今度の部屋

授業でできなかったことや出版物についてフォローします(できるだけ^^)

今日はご挨拶だけ

2013-02-25 11:13:36 | 日記


 こんにちは。
 
 今日は入試(前期)で、明後日から巡検です。

 忙しいので・・・すみませんが・・・失礼します。

 
 今日も来てくださってありがとうございました。

 というよりも・・・せっかく来てくださったのに、ごめんなさい。


『坂の上の雲 七』(その3)

2013-02-24 00:38:49 | 日記


 こんにちは。

 『坂の上の雲 七』のつづきです。

「艦影」277~324頁・・・ロシアと日本の様子が交互に描かれます。

【ロシアバルチック艦隊】
・5月14日合流した艦隊は出航する。総数50隻、排水量16万200トンになっていた。
・ロジェストウェンスキーはできれば日本艦隊と接触することなく、ウラジオストクに入りたかった。そのためには(第1案)小笠原諸島を占領し日本艦隊を引きつけその間にウラジオストクに入る(第2案)ロシア艦隊を二つにわけ、高速戦艦のみで対馬海峡を突っ切る。その他の艦船は津軽海峡か宗谷海峡をとおってウラジオストクに入る。(第3案)いくつかの小艦隊にわけて日本の判断を混乱させ敵の艦隊も拡散させて戦いながらウラジオストクにはいる。
・結局ロジェストウェンスキーは対馬を一気に抜ける案を採用する。

【日本連合艦隊】
・日本側は対馬海峡をとおる日本海コースをとってくれればもっともよかった。しかし、バルチック艦隊が太平洋をまわり津軽海峡や宗谷海峡をとおることも十分考えられた。日本には艦隊が1セットしかなかったため、ロシア艦隊がどこを通るかが重要な問題であった。
・秋山真之も対馬海峡を通ると思っていたが、なかなかバルチック艦隊があらわれないため苦悩する。鈴木貫太郎中佐は「バルチック艦隊は10ノットで進んでいるとおもっているだろうが、これまでの様子から考えて7ノットくらいであろう。だからあわてることはない」と言う(実際の所、8~9ノットで進み、石炭積み込みをしたり故障などがあったりして、実質7ノットくらいで進んでいた)。

【ロシアバルチック艦隊】
・5月19日バルチック艦隊はイギリスの汽船をルソン島付近で拿捕する(バルチック艦隊の秘密を守るため)。これを連れて行ったので、艦隊の速度は3ノットに落ちる。この英国汽船にロシア旗をかかげさせ太平洋をとおりウラジオストクに入らせる作戦を実行する。これにより日本側は多少混乱した。他にも艦隊の汽船を太平洋を航行させ日本側を少し混乱させることに成功する。
・5月22日~23日に東シナ海にはいる。この頃、第2戦艦戦隊司令官フェリケルザムが病死するが、ロジェストウェンスキーは士気に関わるとして、その死を秘匿し、ロジェストウェンスキーはその後任を選ばなかった。ロジェストウェンスキーは「第2戦艦戦隊は第1戦艦戦隊についてくればいい」と思っていた。

【日本連合艦隊】
・東郷は鎮海湾を動かなかった。しかし、5月20日秋山真之中佐は「バルチック艦隊は太平洋にいってしまったに違いない」と考えはじめていた。一方、大本営はバルチック艦隊は対馬海峡をとおるので連合艦隊は鎮海湾にて待機することを期待していた。第二艦隊の参謀長藤井較一大佐も対馬海峡を通ることを確信していた。第二艦隊第二戦隊司令官の島村速雄も対馬海峡を通ることを確信していた。この二人が東郷に直接会い、どのルートを通るかを問う。東郷は「対馬海峡」と言い切る。
・東郷の判断理由1:宗谷海峡は霧が深く大艦隊が通ることに適さない。
・東郷の判断理由2:バルチック艦隊は長期の航海をしてきたため艦底にカキなどがつき船足がにぶっている。日本艦隊と遭遇したとき、速度の速い日本海軍に追いつかれてしまう。
・東郷の判断理由3:バルチック艦隊が大量に石炭を積み込んだとしても太平洋で遠回りをして、かつ戦闘をするだけの燃料をもてないにちがいない。


「宮古島」325~363頁
・5月25日ロジェストウェンスキーは6隻の運送船を分離し、上海へ向かわせる。これは、決戦が近づいている今、運送船を伴うことは足手まといになるからであった。(5月26日この情報が日本へ伝わり、バルチック艦隊が対馬海峡を通ることを確信することになる(太平洋を行くつもりならば、運送船を切り離すはずがないから))。
・しかし、速度が遅くても工作船などは切り離さなかった(ウラジオストクに逃げ込んだ場合修理などで役立つから)。スピードがはやい巡洋艦をこれらの船の護衛にあてた。
・5月26日ロジェストウェンスキーは対馬へ向かうことを全艦隊に知らせる。

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 これで『坂の上の雲 七』は終わりです。

 つぎはいよいよ8巻ですが、ちょっと休みます。
 
 『坂の上の雲』がなくなると、ブログ更新が続かなくなる予感がします。 

 今日も来てくださってありがとうございました。 





『坂の上の雲 七』(その2)

2013-02-23 08:42:54 | 日記


 こんにちは。

 『坂の上の雲 七』の続きです。

「東へ」238~276頁

・バルチック艦隊は、洋上給炭や艦船の故障などによってインド洋横断に20日間を要した。
・その後、マラッカ海峡を通る進路をとる。この海域はイギリスの居留地にも近く、マレー半島の戦端にはシンガポールがある(イギリスの東南アジア支配の根拠地)。艦隊の秘密を守らなければならないのに、このルートを採用した。
・バルチック艦隊は、オランダ領で日本の水雷艇の奇襲がある、ボルネオ島近くで日本海軍が待ち伏せしているなどの虚報に動揺する。
・当然のことながら、日本軍の奇襲はなく通過する(日本にそのような余裕はない)。4月14日フランス領ベトナムのカムラン湾に入るが、同盟国フランスから港からの退去を求められ、4月22日外洋に出る。しかしその後すぐにフランス領ヴァンフォン湾に入るが、ここも追い出される(奉天会戦のロシアの敗北後、フランスはロシアに対してかなり冷酷になってきた)。
・外洋で、バルチック艦隊は、上陸もできず漂いながら、ネボガトフが率いる老朽艦隊を待つことになる。(20数日間)
・ロジェストウェンスキーは本国にネボガトフ艦隊の不要を訴えるが、「待て」との返事のみがかえってきた。
・5月9日ネボガトフの艦隊は遂に合流する。(ネボガトフの航海は故障も少なく、訓練もできていた)。しかし、ロジェストウェンスキーは今後の作戦や航路については、ネボガトフには何も言わなかった。

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 今日は短めです。

 今日も来てくださってありがとうございました。

『坂の上の雲 七』(その1)

2013-02-22 10:30:12 | 日記


 こんにちは。

 『坂の上の雲 七』(その1)です。

 
「会戦」7~132頁:奉天会戦(1905年2月21日~3月10日)

・黒溝台の戦いはもう一押しすれば勝てたという判断がロシア軍ではなされていた。したがって再度グリッペンベルグが立案した作戦を実施しようとする(盗用ということである)。
・ところが、クロパトキンは乃木軍10万人の動向がわからず(実際は3万4千人)、もしかしたらクロパトキンの背後をつくのではないかと心配する。理由は「鴨緑江軍」と乃木軍を混同してしまったのだった。
・2月19日、日本軍は奉天会戦の作戦計画を決定、ロシア軍でも同日会議が開かれていた。クロパトキンは作戦を延期しよう(兵力の補充のため)としたが、周りの反対などにより延期はできず、結局2月25日から攻撃を開始することが決定された。
・ロシア軍の作戦遂行がおくれたことによって、日本が2月21日に「鴨緑江軍」がロシア軍左翼の陣地を先制攻撃することになった。乃木軍はロシア軍の西側から、鴨緑江軍は東側から遠く迂回し攻撃し、3月1日には黒木、野津、奥軍が正面から攻撃を開始した。

「退却」133~237頁

・秋山支隊は、3月2日乃木軍の隷下にはいる。
・3月6日、クロパトキンは西側の乃木軍に兵力を集中、その結果第3軍は敗走する。
・3月7日クロパトキンのもとに「奉天北方20kmの地点に、日本軍約6千が進出」との報告がはいる(実際は秋山支隊の3000)。
・そのため、3月9日クロパトキンは第3軍によって退路を断たれることをおそれ、奉天を捨て後退する。3月10日日本軍は奉天へ入る。
・日本軍の死者15,892人、負傷者59,612人であり、ロシア軍は死者8,705人、行方不明7,539人、負傷者51,438人、捕虜28,209人であった。
・ニコライ2世は、クロパトキンを更迭し、司令官をリネウィッチに変更した。
・日本軍は追撃したかったが、後退するロシア軍を終えないほど消耗しきっていた。
 ーーーーー
・児玉は内密に戦場を離れ東京へ行く(講和をすすめるため)。その途中で、児玉は詩を部下にみせる。

 死屍幾万山河をうずむ
 乱後村童野花を売る
 春去り秋来たり功未だならず
 沙場二歳家を知らず

・児玉は、国内の新聞が連戦連勝をたたえ、「ウラルを越えてロシアの帝都まで征くべし」と調子のいいことをいっていることに対しにがにがしく思っていた。3月28日に東京に到着し、収束へむけて動く。

・アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトは、日本の勝利は小さいものであるべきで、勝ちすぎてしまってこの後日本が影響力をもつことを嫌った。アメリカはロシアに働きかけたが、皇后がバルチック艦隊を頼みにし、戦争続行を主張した。また、駐米公使の高平小五郎の本国からの情報を誤解したために、講和が遠のいてしまったということもあった。

 今日も来てくださってありがとうございました。

『坂の上の雲 六』(その2)

2013-02-21 08:20:18 | 日記


 こんにちは。

 『坂の上の雲 六』(その2)です。

 「乃木軍の北進」(242~276頁)
・1月11日ステッセルが旅順を去り、1月13日乃木軍は旅順に入城した。1月14日戦没者達の招魂祭がおこなわれた。同日、総司令部より「遅くとも2月中旬までには遼陽付近に集結せよ」との命令をうける。1月15日人事異動がおこなわれる。旅順攻撃の責任を問われ、参謀はほとんど入れ替わることになった(伊地知は、旅順要塞司令官という閑職にまわされた)。
・1月24日乃木軍は北進を開始する。乃木軍は黒溝台の会戦には間に合わなかったものの、この後10日ばかりで乃木軍は遼陽に集結することができた。

「鎮海湾」(277~301頁)
・2月6日、連合艦隊司令長官東郷平八郎は幕僚の秋山真之らを率い、列車で東京を去った。2月14日、東郷、真之らが座乗する戦艦「三笠」は呉軍港を出港、2月20日、佐世保港を出港した。南朝鮮の鎮海湾を目指した。
・ここで、3ヶ月間射撃訓練を実施した(内とう砲射撃:小銃を大砲の中に据え付け、小銃弾を発射する)。
・ロシア艦の艦名を覚える(アレクサンドル3世→「呆れ三太」、ボロジノ→「襤褸でろ」、アリョール→「蟻寄る」、ドミトリードンスコイ→「ゴミ取り権助」)

【軍楽隊】の話が挿入される
・いざ戦闘になれば、楽器から離れて戦闘に従事した(負傷者の運搬・伝令など)。
・軍艦旗が午前8時にあげられ、日没時におろされる。そのつど「君が代」を演奏するのが日常的な任務である。

・瀬戸口藤吉(せとぐちとうきち、1868~1941):薩摩藩出身。1897年ごろに「軍艦」を作曲した。1904年に海軍軍楽長(軍楽隊長)に昇進した。この年勃発した日露戦争には出陣せず、日本海海戦後の6月14日に連合艦隊旗艦「三笠」に乗り組んだ。9月11日、「三笠」は艦内の不手際により佐世保港で爆沈したが、藤吉は直前に上陸していて危うく難を逃れた。軍艦行進曲などの作曲家として知られ、「日本行進曲の父」と讃えられる。

・鳥山 啓(とりやま ひらく、1837~1914):紀伊田辺藩(現和歌山県田辺市)出身の博物学者、教育者、作詞家。南方熊楠の恩師であり、「軍艦(軍艦行進曲)」の作詞者。



「印度洋」(302~330頁)
・東郷が待機地である鎮海湾に入ったとき、ロジェストウェンスキーたちは、まだマダガスカルにいた。(艦船40数隻,乗員1万2千人)
・ロシア艦隊は慣例によって兵員の上陸を許可したため、小さな漁村はたちまち歓楽街になってしまった。長い滞在であったため、次第に軍紀が乱れてきた。
・ロジェストウェンスキーは部下からの評判もよく能力もある艦長に対して過酷な面があった。
・3月16日出航し、インド洋横断の航路についた。


「奉天へ」(331~371頁)
・ロシア軍32万人、日本軍25万人で、砲の数はロシア軍は1200門、日本軍990門が激突することになり、戦史上空前の大会戦になる。
・日本は外国の同情があり外国から借金(外債)していた。日露戦争の戦費が19億円で、外債が12億円であったので、ほとんど外国からの借金で戦争が遂行されていた。したがって、日本の政府と大本営は戦費の関係から、戦争をできるだけはやく終えてしまいたかった(奉天会戦の早期実現の必要性)。
・満州軍は作戦会議の結果、2月25日をもって運動を開始することを決定する。その際の作戦は、敵の左をつき、その後右をつく、ロシア軍が右往左往しているうちに中央を突破するというものである。そんなにつごうよくクロパトキンが動くかと児玉は悩むが、もしかしたら反応しすぎるクロパトキンならばこの作戦は有効ではないかと考え、採用した。
・具体的には、乃木軍の役割は日本軍の最左翼で敵をできるだけ引きつけ、乃木軍のさらに左翼を守るために秋山好古の騎兵隊を配置する。日本軍の最右翼には新設「鴨緑江軍」が配置される。第2軍司令官・奥保鞏と、第4軍司令官・野津道貫が中央突破する。
・乃木軍の津野田大尉は兵力の増強を満州軍総司令部に依頼するが断られる。第3軍はロシア軍をひきつけてくれるだけでいいと言われる。すなわちオトリである。

・日本軍には予備軍はなかったが、クロパトキンはどこかにいるにちがいないと心を悩ませていた。

・日本が有利なものは、機関銃であった。ロシア軍56挺、日本の黒木軍58挺、奥軍59挺、乃木軍54挺、野津軍39挺があった。
・新設「鴨緑江軍」(司令官 川村景明 大将:1905年1月~1906年1月まで)というのは、陸軍少将長岡外史がうちだしたもので、講和となったときにロシア領のどこかをおさえてしまうという軍隊であった。児玉は、日本軍にはそのような軍をつくる余裕はないから反対したが受け入れられなかった。
・結局川村司令官は、大山や児玉達に従うことを願い出て、当然受け入れられた。

 ーーーーー
 今日のお気に入り情報は、瀬戸口藤吉と鳥山 啓です。「行進曲 軍艦」は、軍艦マーチとして知られる曲です。

 今日も来てくださってありがとうございました。
 (なんと2週間連続更新!!! 『坂の上の雲』ネタのおかげかな・・・)
 
 

『坂の上の雲 六』(その1)

2013-02-20 09:09:53 | 日記



 こんにちは。

 『坂の上の雲 六』です。

 「黒溝台」(つづき)(7~80頁)・・・黒溝台会戦(1905年1月25日 - 1月29日)
・秋山好古はロシア軍が活動を開始する可能性があることを満州軍総司令部に伝えたが、総司令部参謀たちは「冬期にロシア軍は動かない」と判断し、何もしなかった。
・日本軍は西側より順に秋山支隊、第2軍、第4軍、第1軍といった布陣であり、もっとも手薄だったのは秋山支隊であった。
・秋山支隊は、騎兵としての機動力を捨て、拠点を築き、機関銃などを用いて徹底抗戦することになる。
・満州軍総司令部は、兵力を逐次投入するという戦術上の過ちをおかすが、かろうじて持ちこたえる。
・ロシア軍が攻めきれなかった理由は、クロパトキンが部下グリッペンベルクの作戦成功を恐れ(官僚的保身)、撤退を命じた。もし、クロパトキンとグリッペンベルクの連携がうまくいっていればロシア軍の勝利は確実であったろう。
・結果として、日本軍は緒戦は苦戦したが、結果的には日本の辛勝に終わった。
・日本軍の参加兵力は約5万3千人、死傷約9千3百余人であり、それに対してロシア軍の参加兵力は約10万人、死傷約1万人である。
・グリッペンベルクは、クロパトキンの態度に怒り、本国へ帰国する。

「黄色い煙突」(81~130頁)・・・バルチック艦隊はマダガスカルに碇泊
・バルチック艦隊は、1月9日からマダガスカル島のノシベに碇泊していたが、すぐに旅順が陥落と、旅順艦隊(太平洋第一艦隊)の潰滅を知る。【注】(第一艦隊は旅順艦隊、第二艦隊はロジェストウェンスキーのバルチック艦隊)
・ロジェストウェンスキーは本国に、このままウラジオストックに向かうべきか否かを本国に打診した。それに対して、ロシア本国は第三太平洋艦隊を派遣することにする(ネボガトフ少将)。ただ、このネボガトフ率いる艦隊は老朽艦が多く、ロジェストウェンスキーは期待していなかった。

・日本はバルチック艦隊の動静をさぐるために、12月13日に香港丸と日本丸を派遣したが、バルチック艦隊をみつけることをできなかった(~1月18日)。その後も偵察が行われるが、見つけることはできなかった。
・この間、東郷や秋山真之は東京に滞留している。東郷は、明治天皇に誓ってこれを撃滅する旨を伝えた。


「大諜報」(131~241頁)・・・明石元二郎大佐の諜報活動の話
・福岡藩出身、1883年士官学校卒業、絵画の才や語学の才があった。しかし、運動神経はよくなく、自分の容姿には無頓着であった。1889年陸軍大学校卒業。「変なひとだった。猫いっぴき飼っていて、もどってくると帽子をそのあたりに投げつける。すると猫が呼吸をのみこんでいてその帽子のなかで寝る。翌朝、その猫を追いのけてその帽子をかぶってでてゆく」
・日露戦争中に、当時の国家予算は2億3,000万円程であった中、山縣有朋の英断により参謀本部から当時の金額で100万円(今の価値で400億円以上)を工作資金として支給されロシア革命支援工作を画策する。
・フィンランド憲法党のカストレン、フィンランド過激反抗党のシリヤクスと知り合い、これをきっかけに多くの反ロシアの革命家たちと知り合いになっていく。
・1905年1月22日(日曜日)にロシアの首都ペテルブルクで、「血の日曜日事件」が起こる。これは、僧侶ガポンに率いられた民衆が冬宮に行進し、窮状を訴えようとする極めて平和的な行進だった。しかし、これに対して軍隊は発砲し、多数の死傷者を出した。これによってロシアはまさに革命前夜のようになる。


 今日も来てくださってありがとうございました。

不発弾移送

2013-02-19 09:34:37 | 日記


 こんにちは。

 17日に新横浜行きの新幹線に乗りました。

 たまたま、その新幹線は、浜松で不発弾処理(移送)があったため遅延しました。(約45分ほど)

 ニュースでは、1万2000人に影響があったそうですが、1人/1万2000人が私でした。

 
 今日も来てくださってありがとうございました。

 

豊橋の駅弁シリーズ(「冬のお好み稲荷弁当」)

2013-02-18 17:52:29 | 日記



 こんにちは。

 とよはしの駅弁シリーズです。

 日曜日に食べました。

 「冬のお好み稲荷弁当」(650円)です。もちろん壺屋弁当部さんの駅弁です。

 上段、右から二つ目のカキがのっているいなり寿司が、おいしかったです。

 ただ、残念なのは、パッケージが通常の「いなり寿司」をつかっていることです。

 

 カキがのっているいなり寿司だけだったら、また食べてみたいです。

 お正月に生ガキを食べて、ノロウィルスになったので、少し警戒しましたが、食べてしまいました。

 2,3日が潜伏期間らしいので、明日くらいまで、どきどきしながら待ちたいと思います。


 今日もきてくださってありがとうございました。

 

 

司馬遼太郎『坂の上の雲 五』(その3)

2013-02-17 03:04:46 | 日記


 こんにちは。

 『坂の上の雲 五』の残りです。

 
「水師営」(241〜338頁)
・203高地陥落後、残兵掃蕩にはいる。
・まだ完全に旅順要塞は陥落したわけではなかった
・12月15日有能なコンドラチェンコ少将が戦死する。
・旅順要塞司令官ステッセルは、兵力の消耗などもあり降伏を決意した。(降伏時、将校800、下士官2万7000、入院患者1万5000;百日籠城しても半数は餓死するほどではない食料もあった)
・1月1日降伏

・1月5日、旅順要塞司令官ステッセリと乃木は旅順近郊の水師営で会見した。
・日本軍は、国際法にしたがいロシア軍人を扱った(本国送還《敵国に敵対行為はしないと誓う》か 捕虜として日本へ行くか)。ステッセルは本国へ帰ったが、1908年2月軍法会議で死刑判決をうけたが、乃木による助命嘆願により、1909年禁固刑になった。

  ーーーーー(この後、バルチック艦隊の様子が描かれる)ーーーーー
・1月9日、マダガスカルでフェリケルザム少将率いる艦隊(戦艦2、巡洋艦3、駆逐艦数隻)と合流
・その後2ヶ月間、ノシベ(マダガスカル島;フランス植民地)に停泊することになる(火力の強い英国炭を入手するため。しかし英国炭であるから、当然イギリスはこれに対して妨害する)。
・さらにロシア本国から老朽艦もおくられてきた。それを待つために2ヶ月ノシベで待機させられる(老朽艦では足手まといになるため、ロジェストウェンスキーは断るが、本国は出航させた)。



「黒溝台」(339〜440頁)
・戦線は、沙河で膠着状態になる。
・グリッペンベルグ大将が率いる第2軍が日本軍の左翼を攻撃し、その成功をみてクロパトキンが中央を突破する作戦が立案される。(しかし、クロパトキンは、グリッペンベルグとの確執から、兵を動かさなかった)
・1月2日、旅順陥落の知らせが入る。

 →「黒溝台」は、『6巻』に続きます。

 ーーーーー
 今日、学会で発表しました(50分間)。

 その報告はまた今度します。

 今日も来てくださってありがとうございました。 祝! 10日連続更新!!

 



司馬遼太郎『坂の上の雲 五』(その2)

2013-02-16 10:55:06 | 日記


 こんにちは。
 
 『坂の上の雲 五』のつづきです。

 
「海濤」(152~240頁)

・12月18日、東郷司令官自らが旅順艦隊の状況を確認に行く→脅威であった戦艦セバストーポリが沈んでいることを確認
・東郷は乃木に会いに行き、旅順陥落の礼を述べ、帰国する旨を伝える(乃木の二人の子息が亡くなったことに弔意を伝えた)。
・その際、東郷は黒井悌次郎(海軍中佐)に慰労のことばをかける。
  
 黒井 悌次郎(くろいていじろう):旅順要塞攻撃を行っていた乃木たちに協力し、15センチ砲、12センチ砲、12斤砲等各種あわせて43門などを用いて要塞や旅順艦隊を攻撃した。

・片岡七郎中将の第3艦隊のみを残し、三笠をはじめ多くの艦船が日本へ帰る。

・真之は久しぶりに母親に会う(母親が親戚の家にお風呂に行くときに背負っていった)。
・帰国中も、バルチック艦隊との決戦に備え、作戦を日夜考えていた(「七段構えの戦法」)。

 ーーーーー(この後、バルチック艦隊の様子が描かれる)ーーーーー
・11月3日、タンジール(同盟国フランス植民地)で石炭を補給
・11月12日、ダカール(同盟国フランス植民地)で友好的な扱いを受けなかった(フランスは連戦連敗するロシア軍に不満、イギリスからの圧力)
・ダカール出港後、運送船マライヤ・戦艦ボロジノなどが故障
・12月1日ガボン(同盟国フランス植民地)でも友好的な扱いを受けなかった。
 (依然として、極東での戦況がまったくわかっていなかった)
・12月7日、グレートフィッシュベイ(ポルトガル植民地)で、ドイツから石炭の補充を受けようとするが、イギリスの圧力をうけたポルトガルが、艦隊に退去を要求。
・12月9日、アングルベクウェン(同盟国ドイツ植民地)で、203高地陥落を知る。
・ケープタウンはイギリス領なので通過。
・マダガスカルのノシベを目指す(フランス植民地)
 (疲労などにより、兵にはしだいに不満がたまっていく)


 ーーーーーー
 バルチック艦隊はかなり苦労して航海を続けています。

 今日も来てくださってありがとうございました。