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(横浜市でみつけたネコです。笑っているみたいだなあ・・・)
こんにちは。
ご無沙汰しております。
さて、昔のファイルをみていたら、懐かしいものがでてきました。
これは13年前に、私が元担任(中1と2)だった子ども達(その時中3になっている)にあてて書いた手紙?です。
13年前ですが、世の中の状況はなにもかわってないのですね(笑)。
文中にでてくる「58回生」というのは、その学校では創立以来入学生をナンバリングしていて、58番目に入学した子ども達を表します。学校がある限り、59、60、61・・・と続いていきます。
「ギンタ」というのは、58回生が拾って、いまでも私が飼っているネコのことです。
ーーーーーー以下 手紙文ーーーーーー
すっかりご無沙汰しています。
皆さんの担任を離れてから、はや半年が過ぎました。今、私は2年C組の副担任として、ボチボチやっています。球技大会などで皆さんの元気な姿を拝見するのはうれしいものです。
さて、今日は最近読んだ、丸山眞男『現代政治の思想と行動』の中から、私が印象に残ったところを紹介します。中学生には馴染みのない人物かもしれませんが、丸山眞男は日本を代表する著名な政治学者です。覚えておいて損はしません。
今、日本国憲法の改正について多くの人たちがいろいろと意見を述べ、行動しようとしていることはニュースなどで、皆さんは知っていることでしょう。今特に注目を浴びているのは憲法第9条の箇所です。
政治家の中には、憲法の条文が「時代に合わなくなってきている」、「新しい時代に対応するために変える」と言っている人がいます。
しかしながら、丸山眞男は次のように言います。1945年8月15日の敗戦から、日本国憲法が1946年11月3日に公布される日までの世界の状況は、すでに米ソの対立があり、決して平和ではなかったという歴史的な事件を列挙した後で、以下のように述べています。
「私達日本国民が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意」して、一切の武力を放棄し、「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」(憲法前文)つたのは、決して四海波静かなるユートピアの世界においてではなく、米ソの抗争がむろん今日ほど激烈でないにしても、少くもそれが世界的規模において繰り拡げられることが十分予見される情勢の下においてだつたのです。こうした情勢にも拘わらず敢て非武装国家として新しいスタートを切つたところにこそ新憲法の画期的意味があつたと少くも私は記憶し理解しています。」(185㌻)
第二次世界大戦後は平和な世界ではないだろうことが予想されたにもかかわらず、敢えて日本は「非武装国家」としてスタートしたのです。困難な道を敢えて進もうとしたのです。この点にこそ、日本国憲法の意味があったということを丸山眞男は述べているのです。
日本国憲法が書き換えられることに対する判断は、それぞれがすることですから、今ここで私があれこれ述べるつもりはありませんが、今日本が大きな岐路に立っていることを考えれば、この文章のもつ意味は重いと思います。
その他、「無責任の体系」というのも興味深い話です。いわゆる郵政民営化法案について政治家の中で自分の主張を変えた人がいます。そのことに照らし合わせて、これを読むと失笑を禁じ得ません。
この本が書かれたのが1950年頃であり、2003年4月の段階で「156刷」されている、古いけれど今でも十分に新しい内容を持った本なのです。皆さんは「公民」で政治についていろいろと勉強していると思います。政治に興味がある人は、内容はちょっとレベルが高いかもしれませんが、読みやすく書かれているところもありますので是非読んでみてください。
本当はギンタの話でも書こうかと思ったのですが、15歳という少しは大人になったみなさんに少々面倒くさいかもしれないけれど、大事なことを書いてみました。
ーーーーー以上 手紙文ーーーーー
本日もお越し下さりありがとうございました。