今度の部屋

授業でできなかったことや出版物についてフォローします(できるだけ^^)

名古屋駅でドクターイエロー発見!(2015.12.16)

2015-12-23 07:52:30 | 日記


こんにちは、お久しぶりです。

先週、ドクターイエロー(正式名:新幹線電気軌道総合試験車)に遭遇しました。



ホームでボーッとしていると・・・。

「お!ドクターイエローだ!」と誰かが言いました。

すると目の前を、黄色い車体が入ってきます・・・。

「おおお!きた!」と私も心の中で叫び声をあげました。



5年半、新幹線に毎週乗っていますが、3回目か、4回目の出来事です。(年に1度あるかないか)





 ↑ 写真を撮っていた人が、大勢居ました。

みつけると、なぜか幸せな気持ちになります。

移動の疲れも吹き飛ぶ、不思議な力をもっていますね。


今日も来てくださってありがとうございました。






学生からおみやげ(2015.12.8)

2015-12-10 09:32:15 | 日記


こんにちは。

卒論の締め切りまで1ヶ月のこの時期にある学生が九州に旅行に行きました。

しかし、親といっしょに行ったというのだから、私はほめました。

「22くらいになると、親と一緒に旅行にはいかない。たいした孝行息子だ」と。

いやみではなく、本当にそう思います。

ここから彼のがんばりを期待しています。

おみやげはカステラでした。

高級な感じがしますね。他のゼミ生と一緒にたべました。



おいしかったです。



今日も来てくださってありがとうございました。

名古屋で飲み会(2015.12.8)

2015-12-08 16:04:06 | 日記


こんにちは。

昨日、大学の友人(W大)が名古屋に出張に来たので、名古屋にいる先輩(W大)と、K大学出身ですがこちらで働いている友達3人で、その友人を歓待しました。

W大応援部吹奏楽団とK大応援指導部吹奏楽団の合同飲み会というわけです(4人ですが・・・)。

その友人が名古屋らしいものを食べたいというので、三河のぶたや鳥肉の鍋をメインとし、手羽先などを食べました。

エビフライ、ひつまぶし、名古屋コーチン、みそかつなどにしようかどうか迷ったのですが、寒いので鍋にしました。

それにしても・・・私が大学時代所属していた活動は上下関係が厳しい団体だったので、いまでも先輩に会うと、そのときの自分にもどりますね。

昨日それを実感しました。

いやいや・・・しかたないですよ・・・。

「4年神様、3年貴族、2年平民、1年奴隷・・・」という世界でしたからね・・・。

その先輩は2学年上なので、貴族(3年生)と奴隷(1年生)です。

わたしが2年になりようやく平民になっても、先輩は神様(4年生)になってしまうので、ますます遠のいた感じがします。

でも、その先輩は、わたしが大学時代、一年経ってもトランペットがぜんぜんうまくならなかったときに、面倒をみてくださった方です。

もし先輩が面倒見てくれなかったら、途中でやめていたと思います。それくらいヘタでした。一年経っても、音が出ないのですから・・・。

その後、わたしが応援部吹奏楽団をつづけることができたのも、その先輩のおかげなのです。

昨日は26年ぶりにお目にかかって、そのことを伝えることはありませんでしたが、今でも本当に感謝しています。

ありがとうございました。

先輩は、隣町の日進市に住んでいて、大手自動車会社におつとめですので、またお会いしたいですね。


今日もきてくださってありがとうございました。








授業紹介;「地理と歴史を融合した授業(その2)」(2015.11.7)

2015-12-03 13:46:08 | 日記


こんにちは、11月7日に行われた授業の紹介(W大)です。

地理と歴史を融合した授業(その2)です。

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授業名「諏訪地方の産業の変化」
目標「諏訪地方では、地域の特性と時代の要請に応じて養蚕業、精密機械工業、電気機械工業を主軸とした産業が展開していたことを理解する」

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t:先生  s:生徒(大学生)

ーーーー16:35ーーーー
t「まず映画をみてもらいます(場所・産業・時代はいつか?)ただ見るだけではなく、注意しながらみてください」
t「この映画の場所はどこでしょうか?」
s「寒い山の奥」
t「どこだと思う?」
s「長野・・・」
t「正解です」
t「工場がでてきましたが、何をつくっていると思いますか」
s「糸」
t「これはカイコから糸をつくる養蚕です」
t「時代はいつごろでしょうか?」
s「明治時代」
t「正解です」

ーーーー16:43ーーーー
t「今日は『製糸業の発達と明治期の殖産興業政策』について学びます。とくに、信州、特にどうして諏訪地方で製糸業が発展したのかについて考えていきたいと思います。理由がわかる人いますか?」
s(答えられず)
t「正解は、絹織物生産できる環境だったのです。気候的にはどうですか?」
s「雨が少ないです」
t「そう、水を多く使うコメができないので、桑を作っていますね」
t「また、諏訪は中山道と合流する甲州街道の終点でもあったのです」
t「明治期以降の殖産興業政策を支えたのです」
t「しかし・・・世界恐慌が起こってしまい、その影響もあって、製糸業が衰退していってしまいます」
ーーーー16:54ーーーー
t「ではこの後、製糸業がどのような産業に変化していくのか?についてみていきたいと思います」
t「電車も通って物流が盛んになってきます。資料をみてわかるように、生糸の生産量が多いことがわかります。生糸の生産量のピークは?」
s「1935年」
t「そうだね。1945年から比べるとすごかったことがよくわかります。これは1929年におきた世界恐慌の影響があって日本経済に影響を与えました。なかでも製糸業にどんな影響があったでしょう」
s「世界中が不況なので、外国で日本の生糸が売れなくなってしまいました。」
t「そうですね」
t「もうひとつ、化学繊維が使われるようになってきたので、養蚕業が衰退していきます」
t「その後諏訪では多くの工場がきます。どうしてなのでしょうか?時代背景も含めて考えてみて下さい」
t「さきほど雨が少ないということがでましたが・・・これもヒントになります」
(グループ活動のあと)
s「・・・」
t「1943年からどんどん増えていきます。何がありましたか?」
s「第二次世界大戦」
t「そうですね、戦争ですから空襲があって、都心部に工場をかまえているとやられてしまう。それで諏訪に疎開してきました。どうして諏訪だったのでしょうか?」
s「湿気がないから、さびない」
t「いいですね。他には?」
s「きれいな水があるから」
t「他には、寒いと熱膨張などを考えなくてもすむみたいです。しかも、手先が器用な養蚕業で働いていた人たちがここに残っていたのも理由です」

ーーーーー17:09ーーーーー
t「右側の黒板を消しますね」
t「次に、戦後の諏訪地方の工業の変化をみたいと思います。諏訪地方は東洋のスイスといわれていて、スイスと非情によく似た環境なのです。教科書をみると、1960年代から精密機械工業のしめる割合が高いのですが、あるときから他の産業が伸びています。なんでしょう?」
s「電気機械工業」
t「そうですね。すこし板書しますね」(文字見えますか?)
t「1980年頃から盛んになってきます。電気機械工業とは、IC、電子部品などをつくる工業です。1980年になにがあったのかというと・・・中央自動車道が開通しました」
t「これらの部品は小さいですよね。それで重化学工業と比べて輸送コストがかからず、付加価値が高いため、道路交通網の整備によって、諏訪に広がっていきました」

ーーーー17:19ーーーーー
t「今回の授業では諏訪地方の産業についてみてきました。明治から現代にかけて3つの産業がありました。時代順にいうと、明治では繊維、戦後は精密機械工業(時計・カメラ)、1980年代以降は電気機械工業(ICなど)でした。そのときの政策、自然条件であったり、自動車道が整備されたりなどがからみあって変化してきたといえます」(終了)



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この授業は諏訪地方の工業の変遷を考えさせる内容でした。
本当は、「どうして諏訪に疎開してきた工業が、終戦後にどうして東京に戻らなかったのか」を考えさせる予定でした。しかし、時間がなくてカットしました。
授業自体の流れは明確でわかりやすいものになっています。
導入の野麦峠の映画もよかったと思います。


今日もきてくださってありがとうございました。