今度の部屋

授業でできなかったことや出版物についてフォローします(できるだけ^^)

司馬遼太郎『坂の上の雲 四』(その2)

2013-01-31 10:23:32 | 日記


 こんにちは。

 『坂の上の雲 四』の続きです。

 昨日は、下瀬火薬の話でしたが、どうやら下瀬火薬は勢いがありすぎて扱いが大変だったらしいのです。

 (80頁)「日清戦争のときはすでに下瀬火薬ができあがっていたが、しかし機械のほうがまだ不完全だったので使えなかった」

 (同頁)「のち、いわゆる伊集院信管が発明されることによって、下瀬火薬は実用化されることになり、日露戦争前には日本海軍のすべての砲弾、魚雷、機械水雷にこの火薬がつめられた」

 そこで、「伊集院信管」を調べてみました。(wikiより)

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 伊集院信管(いじゅういんしんかん)とは伊集院五郎海軍大佐が考案した信管で明治33年に採用された。砲弾が飛んでいるうちに、尾部のネジが回転して安全装置をはずすのが特徴で、日露戦争で広く使用された。非常に敏感であり、砲弾がどこに命中しても爆発したと言われている。
定説では日露戦争の勝利に大きく貢献したとされているが、一方で、鋭敏すぎるため扱いが難しく暴発事故も多かったため、実際には厄介物扱いされていたという説もある。

 特徴

弾底信管であり砲弾の底に付いていた
砲弾の先端は硬い鉄なので貫通力に優れた砲弾を製造できる。
装甲板への着弾時に信管が破損して不発になることが少なくなった。
安全ピンなどの取り外す必要のある安全装置が不要
これにより装填前に安全ピンを外すなどの信管の安全装置解除の手順が不要になり装填作業が簡易化した。
安全ピンの外し忘れによる不発の発生が防止された。
安全性の向上
発射した瞬間の衝撃で信管が誤作動して自爆する危険性が減少した。
至近距離で着弾した場合に信管が作動しないため、安全距離を設定できるようになった。

 ーーーーー

 だそうです。

 「信管」とは、

 信管(しんかん) とは弾薬を構成する部品の一つであり、弾薬の種類と用途に応じて所望の時期と場所で弾薬を作動させるための装置である。(wikiより)

 しかし、http://www004.upp.so-net.ne.jp/weapon/fuze.htm のHPがわかりやすかったです。

 素人のわたしがよんだところ、「砲弾=信管+火薬」で、火薬が爆発するタイミングを決定づけるものが信管という感じでしょうか。

 扱っているときに爆発しないような安全性、決まったところで爆発してほしい確実性を担当するのが「信管」なのかなと思いました。


 はっきり言って、爆弾や砲弾の専門家ではないので、これくらいにしておきます。

 あまり詳しくなって、何かあったときに「爆弾犯」と言われたくないので、これくらいでおわります。

 今日は「信管」だけで終わってしまいました。

 今日も来てくださってありがとうございました。




司馬遼太郎『坂の上の雲 四』(その1)

2013-01-30 19:49:30 | 日記



 こんにちは。

 司馬遼太郎『坂の上の雲 四』(文春文庫 414頁)を読み終えました。

【文庫本の紹介文】
 明治三十七年二月、日露は戦端を開いた。豊富な兵力を持つ大国に挑んだ、戦費もろくに調達できぬ小国・・・・・・。少将秋山好古の属する第二軍は遼東半島に上陸した直後から、苦戦の連続であった。また連合艦隊の参謀・少佐真之も堅い砲台群でよろわれた旅順港に潜む敵艦隊に苦慮を重ねる。緒戦から予断を許さない状況が現出した。

【印象に残った箇所】(改行は省略しました)
(57頁)「日本の砲弾はロシア砲弾とはちがい、独特のかたちをしていた。ロシア水兵たちは、その異様にながい形を、『旅行カバン』とよんでいた。しかもこの砲弾の爆発力は、ロシアの砲弾のそれとはくらべものにならない。日本の砲弾は、下瀬雅允〔しもせまさちか〕という無名の海軍技師の発明したいわゆる下瀬火薬が詰められている。この当時、世界でこれほど強力な茅右派なかった。その爆発によって生ずる気量は普通の砲火薬の二倍半であったが、実際の力はいっそう強猛で、ほとんど三倍半であった。しかもこれを詰めた日本の砲弾は、水に衝突しただけで炸裂した。巨大水柱が、海をわきあげさせながら、こげ茶色の煙と炎をともなってあがる光景は、異様というほかなかった」

 この後、ロシアの砲弾が艦に穴をあけて爆発させ沈めるのだが、日本の砲弾は、ほんのちょっとしたことで炸裂し艦上を猛火につつみ戦闘力をうばう、ということが書かれています。

 ーーーーー

 そこで「下瀬火薬」について、wikiで調べました(安直です)。

 日本海軍は1893年にこの火薬を採用し、下瀬火薬と名付け(後に下瀬爆薬と改称)、炸薬として砲弾、魚雷、機雷、爆雷に用いた。これは日清戦争(1894年-1895年)には間に合わなかったが、日露戦争(1904年-1905年)で大いに活躍した。海軍はただでさえ威力の大きな下瀬火薬を多量に砲弾に詰め、また鋭敏な信管(伊集院信管)を用いて榴弾として用いた。敵艦の防御甲鈑を貫通する能力は不十分だったが、破壊力の高さと化学反応性(焼夷性)の高さから、非装甲部と乗組員に大きな被害を与えた。明治38年5月27日の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を粉砕した一因は下瀬火薬である。
 下瀬火薬は、メリニット(1885年、フランスのE・テュルパンの発明。純粋ピクリン酸とされる)のサンプルを下瀬が分析し、純粋ピクリン酸を炸薬に用いるアイディアを得て、研究の末に国産化したものとされる[3]。
下瀬火薬が実用化された後に、フランスが「新型火薬」を日本に売り込んできた。フランスに派遣された富岡定恭は、「新型火薬」のサンプルの微量を爪の中にすり込んで持ち帰った。この微量のサンプルを分析した結果、下瀬火薬と同様のピクリン酸であると判明したという。
下瀬が、下瀬火薬(純粋ピクリン酸)の試作に成功した後も、当時の日本の技術レベルでは手工業的な生産しかできず、量産は困難であった。1898年1月から1年間、下瀬雅允は、ピクリン酸製造技術の導入のため、欧米を視察した。ドイツのグリーシャム社の元技師長であるバーニッケと会い、5万円の代価で、ピクリン酸合成工場設計図20枚余、及びピクリン酸製造技術の提供を受ける契約を結んだ。しかし、代価の5万円は支払われず、バーニッケは1906年4月に契約履行を迫る書簡を送り、下瀬はこれを受けて斎藤実海軍大臣に上申を行ったが黙殺された。
その後下瀬火薬は旧式化して一線を退くが、太平洋戦争で再び使用されるようになる。トルエンを原料とするTNTが石油原料を必要とするのに対して、ピクリン酸は石炭酸(フェノール)を原料としていたため、極度の石油不足状態にあった戦時中の日本でも石炭から作る事のできる下瀬火薬は問題なく製造できたのである。その多くは砲弾などの強い衝撃がかかる物を避けて九九式手榴弾などに使用されていた。

「下瀬雅允」をwikiで調べました(安直ですが)。

 下瀬が生まれた鉄砲町は、現在も広島市中心部に有りその名の通り、江戸時代から鉄砲職人が集まっていた町である。その内の一軒に生まれた下瀬は、幼い頃から見ることも手にすることも禁じられ、それがかえって大きな興味を起こさせたようである。
 1886年フランス人のウジェーヌ・テュルパン(チュルパン)がピクリン酸から強力な炸薬を発明した。メリニットと言う名前をつけられたその火薬は日本にも持ち込まれたが、予算の都合がつかず購入できなかったため、残された少量のサンプルから、下瀬が列強が迫る日本の危機を救うため、実験事故で指を失ってもなお研究を続け明治26年に開発に成功、国産化した。
 ただし、フランスが上記火薬を日本に売り込んだ時には既に下瀬火薬を実用化していたともされており、さらに下瀬自身も独自開発を主張している。
 この下瀬火薬を日本海軍が日露戦争において海軍砲に使用、その強力な爆発力によって戦勝に大きく貢献した。

「下瀬火薬」(「下瀬雅允」にあった説明)

 下瀬火薬は、弾殻を3000以上の破片にし被害を増大させ、更に弾薬が気化したガスの温度は3000度以上になり、銅板に塗ったペンキはアルコールの如く引火して船に火災を引き起こし、相手の戦闘能力を失わせる。この軍用爆薬は永らく秘匿にされて列国から恐れられ、第二次大戦でも石油の枯渇から石油を主体としたTNT火薬に代わって、石炭主体の下瀬火薬を、主に手榴弾に使用している。

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 たしかに、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」でも、ロシア艦隊は炎上していました。爆発というより、艦上が燃えていたので、きちんと再現していたのかもしれません。

 次回も『坂の上の雲 四』の続きです。


 今日もきてくださってありがとうございました。

豊橋の駅弁シリーズ(「花まつり弁当」)

2013-01-29 10:38:12 | 日記



 こんにちは。

 久しぶりの豊橋の駅弁シリーズです。

 なぜ久しぶりかというと、豊橋から新幹線に乗っていないからです。

 弁当を買うのは、豊橋から横浜に向かうときだけと決めているので、豊橋に着いたときには買いません。

 一月以上名古屋から横浜に向かっていました。


 さて、今日の「花まつり弁当」は、壺屋弁当部さんのHPによると、「奥三河で行われる郷土芸能『花まつり』この幻想的な祭りをイメ―ジした弁当です」とのことです。

 花祭(はなまつり)とは、「愛知県北設楽郡等に伝承される霜月神楽の総称である。重要無形民俗文化財(北設楽郡のみ)。少年の舞、青年の舞、巨大な鬼面を付けた鬼の舞、等が夜通し行われる」ものです(WIKIPEDIAより)。

詳細については、HPがあり、素敵な写真と解説があるので、そちらをごらんください。

http://www.town.toei.aichi.jp/hana/top/top.html



 弁当に入っていたものは以下の通りです。

山菜おこわ、あなごのてんぷら、しめじのてんぷら、ごぼう・こんにゃく・しいたけの煮物、カニ玉、鶏肉だんご、こぶ巻き、たまご、ちくわ、えだまめ2、しばづけ、たくわん、わさびなどがはいっています。

 おこわがおいしかったです。

 きょうもきてくださってありがとうございました。

立川談志『現代落語論』を読みました

2013-01-28 16:44:45 | 日記



 こんにちは。

 立川談志『現代落語論』(三一書房)280頁を読みました。

【アマゾンによる内容紹介】
 伝統を現代に! 落語界の革命児であった談志師匠が初めて書き下ろした落語論。この著作を超えるものはないといわれる名著。師匠手書きの帯をまいて復刊!

【目次】
その1 落語の観方聞き方
その2 真打になるということ
その3 昔の噺家・今の寄席
その4 観客・芸・人気ないしは笑について
その5 わたしの落語論

【気になった文】
(36頁)「泥棒の話で思い出したが、先だって、名古屋で泥棒がある家へ忍び込み、隠れていたら、テレビから”幸せなら手を叩こう”という九ちゃんの歌が聞こえてきた。さて仕事と思ううち、泥氏、つい聞き惚れてしまい、何と思わず自分も手を叩いてご用になったという実話があった。
 これをあるディスク・ジョッキーの語り手氏が”バカなやつもいるもんです”と話題にしていたが、なぜこれを、”楽しい奴がいるもんです”とやれないのか。〔中略〕世知辛い今の世の中に、こんな間が抜けた楽しい奴はまたとない。まして何も盗ってないというんだから、表彰してやりたいくらいなもんだ。」
(108頁)「すべての芸術は物真似より生まれる、なんていわれるが、落語の場合も同じで、似ないほうがおかしい。〔中略〕わたしにいわせれば似てない者はむしろものにならないと思う。」
(207頁)「これがどんな種類の笑いで、どうしてお客が笑ったのかを分解できる人は、それを逆算するだろうし、またそうしてこそ、はじめて芸といえるもので、計算のないものは、芸とはいえないだろう。ところが、聞いている第三者にとっては、この逆算ができない芸人の方に、このうえなく親しさと愛を感じ、その芸人が好きになる。」

【感想】
 私は落語が特に好きなわけではありません。立川談志氏の名前は知ってはいますが、ファンではありません。
 しかし、なぜかこの本が気になって読んでみました。人前で話をするという点では、落語も授業もかわらないので、読んでみたくなったのかもしれません。

 でも、なぜ読みたくなったのか、それを類推してみたいと思います。人ごとのように綴っていきます。

 まず、大学の授業は前期15回、後期15回です。前期でやったことを後期でやることがあります。翌年にもそれがくりかえされていきます。したがって、同じような内容が繰り返されるわけです。私のはなす内容は、どうやったら生徒にうまく教えられるのか?(教科教育法)ということを扱っていますので、内容が毎年毎年劇的にかわるものではありません。学習指導要領の解説などにいたっては、10年くらいはかわりません。

 ほぼ同じような内容ならば、一回一回の大学の授業をきわめてみようと考え始めたのかもしれません。90分の授業をよどみなくやってみたい。人を引きつける話術でもって、学生たちに知識や技術を伝えたいということです。古典落語ならぬ古典授業みたいにしてみたいと不遜な気持ちが芽生え始めていたのかもしれません。

 結局、なぜ読み始めたのかについては、自分のことなのによくわからず、落語と授業の相違点もよく見つけ出せず、曖昧なうちにこの感想を終えます。

 でもやっぱり気になる。考えつづけたいと思います。

 今日は本当に感想だけ・・・どうぞお許しください・・・。

 今日も来てくださってありがとうございました。

「社会科研究」の授業がおわりました (後編)

2013-01-27 07:29:05 | 日記


こんにちは。

 前回は、わたしの授業の「悪いところ」を列記し、反省しました。

 今日は、その中で、とても印象に残ったものを取り上げます。

 とても長かったので、一部を掲載します。

 ーーーーー

 (状況説明)
 書いてくれた学生は、試験なのに20分くらい遅刻してきました。私は「時間がないから早くやりなさい」と伝えました。結果、内容は「悪いところ」を書くというよりも、質問のようなものでした。

 (原文)
〔前半部分 略〕「話がよく脱線することもありましたが、教師の印象は授業そのものより、脱線した話がどれだけおもしろかったかということになりがちだと個人的に思っています。先生は脱線した話が私たちが興味を持てるような話だった上にあまり脱線しすぎなかったので先生の印象はおもしろくて色んな経験をしてきた人だと思っています。逆に僕の印象はありますか?欄外に書くほど先生を褒めることばは出てくるのですが、先生は逆に教える相手のことをどうおもっているのか気になります。きっと広い心を持って私たちに接してくれていたんだと思います。最後になりますが、教員を目指す私たちはいつまで生徒としていればいいのでしょうか。それはとても疑問に思います。
 
 ーーーーー 

2つにわけてお答えします。

【僕や学生のことをどう思っているのか?】

 まず、「逆に僕の印象はありますか?欄外に書くほど先生を褒めることばは出てくるのですが、先生は逆に教える相手のことをどうおもっているのか気になります」

 正直言って、この質問を書いた学生は普段から遅刻が多かったので、きちんとした生活が苦手なのだろうな・・・という印象を持っていました。個人的に語り合えば、もっとわかりあえることも多かったのでしょうが、それはできませんでした。ただ、この最後の試験(課題)で、わたしがどきりとする文章を書く人ですから、キラリとしたいいもの、原石をもっているような気がします。否、もうすでに輝いているのかもしれませんが、それはわかりません。ですから、あなたのことに驚いてます・・・もっと話せば良かった、話してみたい・・・という印象をもちました。

 つぎに、「教える相手のことをどうおもっているのか」についてですが、この授業は56人の履修者がいますので、すべての学生のことをわかっているわけではありません。よく発言する学生はよく覚えてますし、模擬授業を前でやった学生のことはよく覚えてます。何も発言せずじっとしていれば、申し訳ないとは思いますが、印象には残りません。
 人数が少なければ、当然のことながら、つながりも深くなりますので、その学生とは表面的ではなく深い議論ができると思います。

 学生全体のことをどう思うか、でお話しします。この大学は教育大学ですので、教員になりたいと思う人や、実際に教員になる人が多いです。私は20年近く中学や高校の教員だったので、学校の先生になりたいと思う人がいたら、自分の経験や知識はすべて捧げたいと思います。捧げるという格好いいことではなく、私の失敗したことや成功したことや、そういうものを聞いてもらって、役に立ててもらえたら、うれしいと思っています。
 なにより、私は、教員になりたい人がたくさんいる、この大学で働けることをうれしく思い、やりがいを感じていますので、こういう場を与えられたことに感謝しています。神様がいるのならば、神様に感謝しています。
 したがって、先生というたいへんな仕事へ進もうとする若い人たちに声援を送りたいと思っています。


【いつまで「生徒」としていればいいのか】

「最後になりますが、教員を目指す私たちはいつまで生徒としていればいいのでしょうか。それはとても疑問に思います」

 まず、最近大学生が自分のことを「生徒」ということが多いのですが、疑問です。私の感覚では小学生は「児童」、中高校生は「生徒」、大学生は「学生」だと思っています。これらの用語の厳密な検討をしたことがないので、これはあくまでも私の印象です。
 しかし少なくとも、私が大学生のころ(20年くらい前)は、自分のことを「生徒」といったことはありません。「学生」または「大学生」でした。

 どうして自分のことを「生徒」というのでしょうか。中学高校の延長であるという意識があるからかもしれません。中学高校は、一般的に「教員が生徒に知識を伝達し、生徒はそれを覚え、または使えるようになって、試験でその定着を先生にみてもらい、成績をつけられる」という感じがします。受け身な感じがします。

 したがって、「生徒」ということばを使うとき、学生の中に受け身の姿勢があるのではないかと思います。もちろん、大学の授業では、教員がプログラムをつくるわけですから、受け身であることは避けられません。それでも、中学高校生とはちがい、知的レベルもあがっているでしょうから、批判的な態度をもち、受け身だけではない学び方ができると思います。

ですから、「教員を目指す私たちはいつまで生徒としていればいいのでしょうか」という質問に対しては、「一刻も早く生徒であることをやめましょう」と断言したいと思います。

 こうやってわたしが言ったことについても、疑問をもったり批判したりするくらいのことができるようになってください。

 (最後に蛇足ですが、「授業」は、「講義」「演習」「実験」などをひろく含めたものとして用いました。)

 今日も来てくださってありがとうございました。
 (残念ながらブログ連続記録が途切れました・・・)

「社会科研究」の授業がおわりました (前編)

2013-01-25 09:40:10 | 日記



 こんにちは。

 「社会科研究」の授業が終わりました。

 この授業の目標・計画は以下の通りでした。

 ーーーーー

 【目標】
教科書(小学校社会科)の記述内容の背後にある専門的な知識を深く掘り下げ(知識/理解)、その後にその知識を再教材化(思考/判断)することで、教材作りの技能(技能/表現)や考え方を学びます。

【授業計画・方法】
具体的には,まず、小学校社会科教科書の記述比較などを通して、その相違点を取り出します。次に、その背後にある知識や論理を深く精査し、また学習指導要領との関連性も見ていきます。最後に、調べ上げた知識・論理・指導要領を総合して、教材化するところまで深めて行きたいと考えています。ディスカッションや発表を中心に行いますので、積極的に参加してください。

 ーーーーー

 この授業はこれで終わりなので、試験を行い、その最後に「この授業に対する評価を書きなさい(いいところ・悪かったところ)」という問題(課題)を出しました。

 では、「悪かったところ」をざっと列記します(いそいでやったので、漏れがあったらごめんなさい)。かぶっているようなものは多少はぶきました。

 ーーーーー

 (悪かったところ)
・授業がまのびしていような感じがすることがあったので、もうちょっとしめるところはしめてもいいと思った。
・スタートというか、エンジンがかかりだすのだクラス全体で遅いと思った。
・だらしない人に甘い。だめなやつはだめです。厳しくしないと甘えちゃうんで遅刻2回は1欠席ぐらいのことをしてもいいと思います。
・発表形式が多かったが、質問する人があまりいなかった。もっとみんなで話し合い、磨き上げる機会はもっとあったと思う。
・授業が盛り上がりすぎて、とてもうるさくなってしまうことも多々あり、さらにほとんどそんなことはないのですが、ゲームのことだけを考えてしまい、あまり内容がはいってない人もいたんじゃないかと思いました。
・グループワークが多かったので、先生の講義が少なかった。先生のほうから一方的に与える講義の中にもまなぶことはたくさんあり、どんな教え方をすれば生徒に響きやすいかなど、実際の先生にしかわからないようなこともたくさん聴きたかったと個人的には思う。
・先生の指示があいまいで、どうすればいいのかわからないことがあったところぐらいです。例えば「教科書作り」の印刷はどのような形態で印刷して配ればいいのかわからなかったので、適確な指示があればよかったかなと感じました。
・授業進度が遅く、内容がコロコロかわってしまったことが残念だった。また、発表が多い割には授業内で発表のための準備の時間があまり割かれていなかったことも少し残念だった。テストを作る回はそれなりに楽しみだったので、どこかでまた機会があれば受けてみたい。
・当初よりも時間の使い方にずれが大きく生じてしまったこと。
・出席が60%なので遅刻には厳しく当たってもよかったと思う。授業の終わり際にきて出席扱いにすると、まじめにきている生徒にとっては不満が出ると思う。
・出席確認を座席指定にするなどして短時間で済ませ、より講義の時間を増やしていただきたかったです。教科書作りでは、たくさん褒めていただくことができましたが、先生が感じられた教科書・模擬授業に対する改善点(いけなかった点)も言っていただけると、皆でもっといろいろなことを共有できたかなと思いました。
・学習指導要領の説明の部分で、時間の都合と言うこともありますが、穴埋めを行うだけということもあったので、もう少し時間をとって学習指導要領について学んだ後に、教科書作りに入ると、さらに質の高い教科書を作ることができたのではないかと思う。
・テストについてもっと勉強したかったなあと思った。時間がなかったはいっても、自分の中ではテストをつくることを楽しみにしていたし、ポイントを整理する意味でもとても大切なことだと思うので、テストについてもっと先生の話がききたかったし、様々なひとのつくるテストも見てみたかったと思うし、自分もつくってみたかったなあと思った。
・計画的に内容が進んでいなかったところです。これは私たちの授業態度があまりよくなく進行してしまったり、本来1時間でやるものを増やしてしまったりしたことは、少し私はやりにくさを感じました。
・遅刻は遅刻というふうにしたほうがよいと思う。まじめに来ている人と対等に扱われるとなると、まじめに来ている人がいやな気分になってしまわないかなと思った。
・すこし指導要領の場面がうすく感じました。その他のことがおもしろかったからかもしれませんが、もう少し指導要領を深くほりさげてもよいのかと思いました。
・当初の予定とおおきく離れてしまったことです。テストをつくるという企画は楽しみにしていたので、やれなかったのは残念です。
・子どもに向けた授業の仕方などは学ぶことができたと思うが、社会科として何かを学んだという実感がほとんどなかった。
・社会科専攻以外の、他の学科の子たちが萎縮してしまっていたように感じました。
・学習指導要領と教科書がリンクしているということは、教科書作りなどからわかったのですが、具体的に学習指導要領のこの部分が教科書ではこういう表記になっているということをもっとしらべてみたかったなと思います。教員になると多くのテストをつくるでしょうから、先生がテストをつくるときに、どのような流れで行うのかということなどをもっと聞きたかったなと思います。
・学習指導要領についてもうすこし考えてみたかった。
・遅刻に対してゆるすぎるので、もうすこし厳しくしてもいいのではと思った。教科書作りの日程で、最初に発表する班のひとたちにもう少し時間に余裕のある日程にしてほしいと感じた。
・もう少し座学があってもよかったのかなと感じた。授業の実践例やそういったものがあると、教科書づくりや紙芝居(をつくる授業)にもいかすことができたと思う。
・グループワークが多かったので、授業内で終わらないような内容だと、授業外であつまらなければいけないところ。みんなで時間をあわせるのは難しいし、子熱で作ってきた者を授業であわせるとあまりよいものができない。また、一人で行う授業が少なかったので、じっくり考えることが少なかったし、さぼろうと思えば、どれだけでもさぼれてしまうところ。
・授業の雰囲気は非常によかったのですが、それが度を過ぎておふざけに発展してしまったことが少し残念です。
・教科書作りで、つくったほとんどの教科書が対話風になってしまったので、あきてくるのでああならない工夫をしていただけたらなと思います。

 ーーーーー

 ざっと見た感じでは、わたしの授業の悪かったところは次のようなところにあると思いました。

・テストをつくってみたかった(予定通りにやらなかった)
・遅刻に対して厳しくせよ
・しめるところはしめる
・学習指導要領をもっとやってほしい
・講義(一方的な話)もやってほしい

 (これに対する回答) 
 遅刻者に対しては次年度以降厳しくやります。
 しめるところはしめます。
 テスト作りは別な授業(教科研究じゃなくて、教科教育法)で確実にやりますので機会があったら受けてください。
 学習指導要領はもう少し時間を増やします。
 講義も少し増やしましょう。

 ということです。
 あれをとれば、これができず、なかなか難しいところもありますが、全力でやります。

 明日も、今日のつづきです。

 今日も来てくださってありがとうございました。(祝! 5日連続 更新)

困ったときの「むのたけじ」シリーズ(2)

2013-01-24 07:26:26 | 日記

 
 こんにちは。

 困ったときの「むのたけじ」シリーズ2です。

 2日前に「むのたけじ」シリーズをやったので、気が引けたのですが、おもしろかったのでまた紹介させてください。


  「いつもネコをかぶっていると、ほんとにネコになってしまうよ。」(詞集『たいまつ』87頁)


 時にはきちんと自分の考えを表明しないと、周囲に流されてしまうよ。

 本心を隠して表面だけ大人しくしていると、本来持っているいいものを失ってしまうよ。

 そんな意味でしょうか?

 さて、わたくしはネコを飼っています。

 それでこれを読んだとき、おもしろかったのです。

 今日は何の深みもないブログでしたが、お許しください。

 「歯」が痛いのです。

 今日もきてくださってありがとうございました。


 

 

 

 
 

 

昔読んだ本シリーズ(立花隆『宇宙からの帰還』)

2013-01-23 09:37:26 | 日記


 わたくしが以前勤めていた学校では、社会科の教員(4人)が同じ本を読んで感想を述べ合うということをしていました。

 例えば、「今月は夏目漱石の『三四郎』ね」と決めて、1ヶ月後に自分の簡単なコメントを述べるというものでした。

 あまり本格的にやってしまうと続かないので、できるだけシンプルにやっていました。

 同じ本を読んでも、それぞれの教員の視点が違っていて、とても楽しく、ためになりました。

 ーーーーーー 

 さて、今日(1/23)、PCのデータを整理していると、その中の1つがでてきました。

 それが、立花隆『宇宙からの帰還』(中公文庫)を読んだ時のコメントです。

 この本は、立花隆がおこなったアメリカの宇宙飛行士へのインタビューをまとめたものです。

 具体的には、科学と宗教との関わりについて語られています。(いろいろな内容がありますが・・・)

 評判のよい本です。

 さて、わたくしが書いたコメントは以下の通りです。

 ーーーーー
 
 この本には教員として生徒を指導する際に役立つことがいろいろ書かれていた。
1)目標をみつける力
 「オルドリンは与えられた目標を達成することはできた(目標を与えられ、それを達成するとほめられ、さらに高次の目標を与えられるという育てられ方)。しかし、その結果、自分で自分の人生の目標・目的を作り出す能力を失った」(?頁)
 
 →この学校では卒業研究で目的や目標をみつける力を身につけさせようとしている。このことは貴重であると思う。
  (「卒業研究」=大学でいう卒業論文を書かせる学校でした)

2)ものごとに向かうときの姿勢
 どんな体験をしてもその体験が体験者にとって有意味である場合もあれば無意味になることもある。その違いはその体験に対して心を開くかどうか、この体験のもつ意味を全部吸収してやろうと思って心を開くかどうかにかかっている」(318頁)

 →やる気のない生徒に働きかける時に有効かもしれない。

3)組織としての学校
 「今の人類は画一化が進んでいるが、多様性のないものは弱い」(?頁)
 
 →教員が上の立場から教育的と称して断定的にものごとをきめていくことは生徒指導上効率的だが、生徒は育たない。多様な価値観のなかで生徒を育てることも必要だろう。教員には、生徒の成長を待つ神の視点も必要なんだろうと思う。
 もちろん学校も組織であるが、そこにも多様性を許容できることが、組織の豊かさになっていくだろう。

(作成日: 2010年1月26日(火) 05時03分)

 ーーーーー
 「科学と宗教」といったことではなく、3年くらい前には中学高校の教員だったので、こんなことを感じたのだと思います。

  5時3分に作成してる・・・早起きだなあ・・・。

  こういう読書会のようなものは、同僚との関係性がよくないとできないですね。

  逆に、こういうことをやって、いい関係性をつくりたいですね。

  
 今日もきてくださってありがとうございました。(よし!3日連続更新!)

困ったときの「むのたけじ」シリーズ

2013-01-22 07:24:58 | 日記


こんにちは

むのたけじ『詞集たいまつ1』(p.98)の次の一文が目を引きました。


「美しい子を臨むなら、親が美しくなることだ。子どもをしあわせにしたいなら、まず親の自分がしあわせになることだ。不幸な親もとで、幸福な子どもは育たない。」


やはり、「優秀な教員を育てたいなら、自分が優秀な教員になるべき」なのです。

1月も22日になりましたが、気合いが入りました。

「そうだ、こまったときは むのたけじシリーズにしよう・・・」

本日も来てくださってありがとうございました。

長らくの不在をお詫び申し上げます(反省)

2013-01-21 14:39:51 | 日記


 こんにちは。

 ご無沙汰しております。長らくの不在をお詫び申し上げます。

 仕事が多かったので、ブログがかけなかったといういいわけを、さりげなくやりたいと思います。


1月8日(火)横浜→愛知/卒論指導
1月9日(水)卒論指導
1月10日(木)卒論締切日(担当学生7人全員、無事提出)・1年生に授業
1月11日(金)2年生に授業/愛知→横浜/論文完成発送「高等学校における地理教育のこれからの可能性」(10日の締切に間に合わず・・・)
1月12日(土)東京の大学で授業(AM)/ネコを病院に連れて行く
1月13日(日)(大相撲はじまる)/床屋
1月14日(月)(ごぞんじ関東 大雪)
1月15日(火)センター試験の振替休日(終わる前に・・・なぜか)/論文修正開始「地理科国定教科書『中等地理』における記述内容の特色」(締切1月一杯)
1月16日(水)横浜→愛知/会議(12:30-13:20)・会議(13:30-17:40)・就職指導の講演会(17:50-18:30)
1月17日(木)巡検事前指導1回目(13:20-14:20;学生にDVDをみせようとしたが、PCから音が出ず・・・)/巡検で泊まる宿舎を予約
1月18日(金)論文修正/次年度シラバス作成
1月19日(土)センター試験(監督;8:30-18:20;昼休憩35分《静かなる批判の意味をこめて》)(リスニングが鬼門だったが無事終了!)/会議(18:30-19:30)
1月20日(日)センター試験(監督;8:30-16:10;昼休憩30分《静かなる批判の意味をこめて》)
Today 1月21日(月)センター試験の振替休日/卒論採点(一部)/次年度シラバス作成/論文修正など (少し楽になった)

coming soon 1/28~2/1資料収集 2/4~6 巡検下見(奈良県) 2/16学会発表(50分間) 2/27~3/1 巡検本番

読書状況
立川談志『現代落語論』(三一新書):読了(内容をまとめていない)
司馬遼太郎『坂の上の雲』(中公文庫)(1)(2)(3):読了 (内容をまとめていない。この本に関しては長すぎて、そもそもまとめる気がない)

2週間の様子を駆け足でお知らせしました。
今までのサボリのつけがまわってきたのか、先を読む力がないのか、仕事は仕事をよぶものなのか・・・ちょっとはまり気味です・・・。

そうです!昔教員になりたてのころ、「仕事をたくさんもらえる先生になってくださいね」ということばを大先輩の先生からいただきました。
それは「仕事をもらえる イコール 信用がある」という意味なのだとおもいます。

でも、今わたくしが忙しいのは、信用があるからではないような気がします。

また心を入れ替えて、ブログがんばりますので、お許しください。

今日も来てくださってありがとうございました。