今度の部屋

授業でできなかったことや出版物についてフォローします(できるだけ^^)

インドネシアの大学のお客様(その3;おしまい)

2014-06-26 07:50:13 | 日記
 こんにちは。

 インドネシアの大学のみなさんにおつきあい、最終回です。

 13:50に豊田自動織機高浜工場につきました。ここでは、フォークリフトを作っていて、世界の25%にあたる台数を作っているそうです。

 ↓ 工場の中はもちろん、敷地内は写真撮影が禁止なので、撮る写真は限られています。



 ↓ フォークリフトが展示されています。





 ↓ 説明会場にはいると、帽子(工場内は危険なので)、パンフレット、無線(工場内できこえるようにするため)、そして、フォークリフトのミニカー(おみやげ)です。



 このあと工場内を見学しました。「目標120台 生産数110台」が「目標200台 生産110台」と目標が上がりました。「あと10台で達成だったのに、増えちゃった・・・」となんだか気の毒になりました。でも、一日に250台作るので、働いている人は平気なのかもしれません。


 ↓ これがフォークリフトのミニカーです。



 
 私はこのあと大学で会議にでるため、皆さんとお別れしました。

 インドネシアの皆様、度のご無事をお祈りします。


 今日も来てくださってありがとうございました。

インドネシアの大学のお客様(その2)

2014-06-25 07:01:35 | 日記

 ↑ バスで移動

 こんにちは。

 24日もインドネシアの大学のみなさんにおつきあいです。

 この日の予定は以下の通りです。

8:00大学出発(バス)→8:45名古屋栄のホテルで15名と合流→バスで附属中学校へ移動(途中、名古屋城をバスの中からみる)→9:45附属中学校で授業参観(~12:50)→13:50豊田自動織機見学(フォークリフト工場)→15:30T小学校参観→夕食会

1)名古屋城

 私は名古屋城をみたことがありませんでした。

 結構大きいので感動しました。



2)附属中学校

 1時間、音楽・家庭・数学・英語・国語・書道の授業をみました。

 その後、社会科の授業だけをみました。(集団的自衛権の授業)



 食後は、イスラムのお祈りの時間です。

 その際、「どっちが西ですか?」といわれ、「?」でした。

 適当なことも言えないので、スマートホンでコンパス(方位磁針)のアプリをダウンロードして、正しい西を教えました。

 西、つまりメッカのある方向ですね。

 よくみていなかったのですが、お祈りの前に、顔をあらったり、足をあらったりするのですね。

 知りませんでした。

 その間、私は弁当のかたづけや掃除をしていました(静かに)。



 このあと、フォークリフト工場へ行きます。

 続きは明日。

 今日も来てくださってありがとうございました。

インドネシアの大学のお客様(その1)

2014-06-24 07:09:41 | 日記



こんにちは。

23日は大学にインドネシアの大学(S大学)から、お客様がおみえになりました。

学長、学長夫人、副学長・・・全員で15名です。

昼の学長のお話は授業の関係できけませんでしたが、夕食会とその後の名古屋散策に参加しました。

1)夕食編
 
 イスラムのかたばかりなので、夕食は豚肉などはだめです。それからアルコールもでませんでした。

2)散歩編

 名古屋栄のホテルからいろいろ歩きました。

 どこをどう歩いたのかわかりませんが、「オアシス21」に行きました。

 そこにある「水の宇宙船」がきれいでした。(きれいな写真は、以下の公式HPでどうぞ)

 http://www.sakaepark.co.jp/shisetsu/

 ↓ 下からみるとこんな感じです。




 ↓ 下がすけてみえるので、気持ち悪くなりました・・・。




 ↓ 名古屋テレビ塔がきれいです。


 
 調子にのって写真をとっていたら、このあとスマートホンのバッテリーがなくなりました。

 わたしはスマホで新幹線に乗ったり、バスに乗ったりするので、バッテリーが切れると、大変です。

 久しぶりに「切符」を買いました。

 スマートホンではいくら使ったかをあまり意識しませんが、切符を買うとしっかり認識しますね。

 
 今日24日もインドネシアのみなさんのお供をします(8時から)。
 
 この話はまたご報告します。


 今日も来てくださってありがとうございました。

『これからの『正義』の話をしよう』第1章の要約

2014-06-22 09:42:29 | 日記


 こんにちは。

 大学院の『銃・病原菌・鉄』を読む授業が終わりました。

 次の本は、『これからの『正義』の話をしよう』になりました。(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 担当回数の事情から、私が第一回目を担当することになりました。

 以下、同書の第一章の要約を掲載します。

『銃・病原菌・鉄』より読みにくかったです。

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『これからの正義の話をしよう』 第1章 正しいことをする 

 2004年夏ハリケーンチャーリーが通り過ぎた後に怒った便乗値上げを巡る論争は道徳と法律に関する難問を提起している。商品やサービスの売り手が自然災害に乗じて、法外な価格を付けることは間違っているのだろうか。だとすれば法律は何をすべきだろうか。売り手と買い手が取引の自由に介入することになっても、州は便乗値上げを禁止すべきであろうか。

福祉、自由、美徳
〇これらの問題は正義にかかわることで、正義の意味を探求しなければならないと解決しないことだ。正義に関して異なる考え方を提示する理念(便乗値上げ禁止法への賛成反対の3つの理念)として、福祉の最大化、自由の尊重、美徳の推進があり、これによって正義に対して考え方が異なっていく。
〇二つの立場
 ・束縛のない市場の擁護論の論拠
  1 市場は全体の福祉を増大させる
  2 市場は個人の自由を尊重する
 ・禁止法の支持者
  1 困っているときに請求される法外な値段は社会の福祉に資することはない
  2 特定の状況下では自由市場と言っても本当は自由ではない
〇美徳の問題
 しかし、そうした論拠(社会の福祉・自由)よりも、便乗値上げ禁止法を支持する理由は、憤りを感じるからである。強欲とは悪徳なのだ。
 つまり、便乗値上げ禁止法をめぐる議論はたんなる福祉や自由の問題ではない。それは美徳に関する問題といえる。良き社会の土台となる心構えや意識、つまり品位を育むという問題である。一方で、美徳に関する問題について政府は介入すべきでないとする考えがある。
〇政治思想と正義
 正義にかなう社会とは市民の美徳を養おうとするものなのか。それとも、美徳をめぐる相容れない考え方に対して中立を守り、市民が選択できるようにするものなのか。この問いに対して古代と近代の政治思想はわかれている。
 ・アリストテレス:望ましい生き方について考えなければ、どのような法律が正義にかなうかわからない。
 ・カント:正義にかなう社会は、各人がよき生を選ぶ自由を尊重するもの

  →正義をめぐる理論は、古代では美徳から、近現代では自由から出発しているのだ。


〇正義の判断の困難性
 ・パープルハート勲章にふさわしい戦傷とは?→この勲章が求めるのは、英雄的行為ではなく傷の程度だけである。
 ・企業救済への怒り
2008~2009年の金融危機の際、投資家は大損害を被った。しかし企業の幹部は多額のボーナスをうけとった。このことに対して、国民から猛烈な批判がまきおこった。それは正義に反するという感覚にもとづくものであった。その正義とは、失敗した者が報酬を得てはならないということであった。それは強欲に対してではなかったのである。

〇正義への3つのアプローチ
 ある社会が正義にかなうかと問うことは、われわれが大切にする、収入や財産、義務や権利、権力や機会、職務や栄誉がどう分配されるかということである。正義にかなう社会ではこうした善きものが正しく分配される。
 本書では、以下のように考えて行く。
福祉の最大化:功利主義をとりあげる。そして、福祉はなぜ最大化すべきなのかを考える。
自由の尊重:正義とは自由および個人の権利の尊重を意味すると考えられている。
美徳の促進:正義は美徳や善き生と深い関係があるとする理論

〇予測できない事態
 暴走する路面電車の例で、暴走する電車を止めるために、一人の作業員を殺して5人の命を救うか(または逆)/5人の作業員を救うために一人の太った男を線路上に突き落とすか。これは罪のない一人の命を奪うことによって、さらに多くの命が奪われるのを防ぐという意識的な選択であり、「できるだけ多くの命を救うべし」と「正当な理由があっても無実の人を殺すのは間違いだ」というジレンマの状態である。しかし、いずれかを判断したとしても、予測できない事態でだれもが助かるかもしれない。
 アフガニスタンのヤギ飼いの例では、アメリカの兵士がアフガニスタンのヤギ飼いを見逃したことにより、兵士が大勢死んでしまった。予測できないためにそうなってしまった。
 これらは、事態がどう展開するかわからないためますます正義の判断が難しくなっている。
〇本書の目的
 本書は、正義と不正義、平等と不平等、個人の権利と公共の利益が対立する領域で、進むべき道を見つけ出すにはどうすればいいのか。その問いに答えるために書かれた。
 上記のような葛藤に直面して、われわれは正しい行為についての判断を修正するかもしれないし、当初信じていた原則を見直すかもしれない。具体的な状況における判断と、そうした判断の土台となる原則のあいだを行ったり来たりすることが大切である。
 こうした考察は孤独な作業ではなく、社会全体で取り組むべき試みでもある。われわれは内省だけでは正義の意味や最善に生き方を発見することはできないのだ。

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 価値観がわかれるテーマがとりあげられので、院生との話し合いがもりあがるといいなと思い、この本を選びました。

 
 今日も来てくださってありがとうございました。





 

 

大型のカメ

2014-06-18 07:11:23 | 日記


こんにちは。

先日、亀を公園でみつけました。

大きさは20cmくらいでした。

その大きさに驚きましたが、亀がカラスから逃れるために、高速で走り去る姿にも驚きました。

「かめは速い」

今日も来てくださってありがとうございました。

豊橋の弁当シリーズ(駅弁の日弁当:2014年6月14日)

2014-06-17 05:22:39 | 日記



こんにちは。

日曜日豊橋駅から新幹線に乗りました。

当然駅弁の攻略です。

今日は「ちくわいなり寿司」(650円)です。



 「大葉」、「うずら」、「ちくわ」といった豊橋の名物が、惜しげもなく(!!)使われています。

 とくに「うずら」がおいしかった。

  ・レールパーク弁当¥800円
  ・幕の内弁当¥750円
  ・三河路弁当¥900円
  ・まんぷく弁当?〈日本橋三越本店 限定〉

いよいよあと4つです。

今日も来てくださってありがとうございました。

豊田市に初めていきました(2014.6.13)

2014-06-16 07:47:05 | 日記


こんにちは。

先週、用があったので、初めて豊田市に行きました。



午前中大学の外で仕事があり、大学へもどるのが面倒なので、そのまま豊田市の某ファーストフード店ですごしました。



予定の時間まで5時間くらいありました。

お陰様で原稿書きがはかどりました。

某ファーストフード店は結構いいな…と思いました。

でも、たったあれだけで、ずっとねばってごめんなさい…。


↑ きれいなあじさいが咲いていました。

今日も来てくださってありがとうございました。

教育実習生の授業参観(2014.6.13)(その2)

2014-06-15 09:29:20 | 日記


 こんにちは。

 昨日の続きです。

 私は授業を見ながら以下のことを考えていました。

 デカルコマニーでできたイメージが形になっていく。なんだかわからない模様がちょうちょなどに形をかえていく。
 このことは社会科の授業と共通ではないかと思ったのです。
 例えば、社会科の授業で「アフリカのイメージは?」という質問がよくあります。すると生徒は「動物」「暑い」「貧しい」といったステレオタイプの意見がでやすいです。しかし、授業を通してアフリカを多面的にとらえさせ、アフリカという地域にたいして豊かな認識をもたせるわけです。あいまいだった、またはあやまった認識を、正しいとまではいかなくても、歪みをなくしていくのです。「無数なもの、不確実なもの→しっかりした形にしていく」これは共通だと思ったのです。

 たしかに、デカルコマニーでできた模様にペンで描き込んで形にしていくまでだと、私の考えは間違いではなかったかもしれません。ところが、その後、はさみをつかったり、まったく違った物へと変化していきました。形にとらわれず、どんどん形がかわっていく。これは社会科とはちがうな・・・と思いました。社会科の場合は拡散させたとしても、最終的には収斂させていく。しかし、美術の授業はどんどんひろがっていく。これが芸術の奥深さだと思いました。

 とても刺激をうけました。おもしろかったです。
 
 よい授業をみせてくださったFさん、そして実習校のみなさま、ありがとうございました。

 今日も来てくださってありがとうございました。

教育実習生の授業参観(2014.6.13)(その1)

2014-06-14 08:14:47 | 日記


こんにちは。

昨日、教育実習生の授業を見に行きました。

中学校 美術と社会科の授業です。

私は社会科が専門ですので、美術についてはよくわかりません。

しかし、とても勉強になりました。


さて、授業の内容は、「デカルコマニー」でした。

これは、紙にポスターカラーを塗り、折る。そうすると反対側にうつって左右対称の模様ができる。

そのような手法です。


(http://plaza.rakuten.co.jp/1snowcrystal/diary/200702020000/より転載させていただきました)

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WIKIによると・・・

 絵画を制作する際、そこには往々にして制作者の意図が働いているが、デカルコマニーで制作された模様には制作者のコントロールが(少なくとも完全には)効いていない。つまり、完成した模様に制作者の「無意識」が表出していると考えることが可能になり、それこそがデカルコマニー最大の特徴と言える。また見る者によっても模様の見え方は様々であり、それが見る側の「無意識」をも示す可能性も指摘されている。
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授業ではその後、できた模様がなにに見えるのか、ということをグループで話し合っていました。

クルクル逆さまにしたり、離してみたり、「牛にみえる」「宇宙人にみえる」など人によって見方が違ってきます。

今度は、その模様に「ペンで書き込みをしたり」「はさみで切ったり」していました。

私が見ていたグループには、「ちょうちょ」「あざらし」などが描かれていました。最初のものとちがうものになっている生徒もいました(例えば、牛だったのが、金魚鉢になった等)。

以上が授業の内容です。

今日はここまでです。

今日も来てくださってありがとうございました。(つづく・・・)

ネコと再会(2014.6.12)

2014-06-13 07:37:41 | 日記


こんにちは。

2,3日前にみつけたネコに再会しました。



自転車にのっていたので、なかなかうまく撮れず・・・



倒れそうになりながら・・なんとか・・・



撮りました。

今回は触れませんでした。

今日もきてくださってありがとうございました。