こんにちは。
大学院授業の「その2」です。
この授業は戊辰戦争を歴史と地理で教えるものでした。
「攘夷から倒幕へ」
10:00 「この絵をみたことある?(勝と西郷)」(勝と西郷です)→「この二人はなにしてるの?立場がちがうんですね。新政府と旧幕府側の代表ですね。今日は、戊申戦争についてみていきましょう。どのように倒幕への動きが高まっていったのだろう」
10:03 「戊辰戦争では、新政府と幕府側にわかれたのですが、旧幕府側はどの県だと思いますか?→白地図掲示し、地図に塗ってください」
10:05 「実際にどうだったのかの正解を貼りますので、自分のと見比べて、グループでその特徴をはなしあってください。青く塗ったところが旧幕府側です」
10:08 「どうでしたか」(北の方にかたまっている。/教科書では親藩とか譜代とかは裏切ったのに、外様ががんばっていると思いました。/ 東京に記しをつけましたが、江戸は塗られてないのはなぜだろうと思いました。)→「幕府に味方をしているのはほとんどありません。戊辰戦争は京都から始まって、東にひろがっていき、北海道で決着がつきました。新政府が勝ちました。」
10:15 「資料集をつかいながらプリントの空欄を埋めていきましょう。わかるひとは資料集をみないで書いてみましょう」(生徒書き込み中)→「では、答えてください」(生徒は答える)→「こうして王政復古にいたりました」
10:20 「では社会科日記をかきましょう。わかったこと疑問を書いてください。3分くらいで。」(なぜ二人は話し合いしていたのかな?/1853から64年で倒幕の動きが高まった/どうして東北の県だけが新政府に反発したのか気になった)→たくさん疑問出たので、次回にこれらを解決していきたいと思います。
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(授業者)自分がくわしくできなかった。
ルートをたどって東北に追い詰められていったことをわかりやすく伝えればよかった。
(受講者の感想)
戊申戦争についての説明が一度も出てこない。
倒幕への動きのまとめは、どうしてあのタイミングなのか?すでに終わっているのではないか?すでにおわっているんじゃないのか?
主発問は「どのようにたかまったのか」なのだから、倒幕への動きを最初にやったほうがいいのではないのか?地図をまんなかに貼ったのはよかった。なぜ県の地図を使ったのか?廃藩置県はまだあとだから。
地図を使うなら、薩英戦争、高知からどんどん東へ動いていくのでわかりやすくなる。薩摩の人がどうして江戸に(絵をつかって)という疑問も大切にした方が良かった。
「旧幕府側を塗って」といったが、どこをぬると思ってましたか?→江戸城をぬるとおもっていた→しかし、新政府側がどこにいたのかのほうが塗りやすかったのではないか?
(私の感想)
地理的なことが地図を使ったというだけにみえました。
おそらくは西から東へ、北へと広がっていく様子を伝えて、地理的な広がりを伝えたかったのかもしれませんが、
ちょっと足りなかったかもしれません。
ただ、それでなくてもこのあたりは複雑な内容ですので、25分によくまとめられと思います。
今日も来てくださってありがとうございました。