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横須賀港に行ってきました(3)

2012-12-19 16:43:44 | 日記

 こんにちは。

 次は海上自衛隊の艦船です。

 【くりはま(試験艦)】:退役した船



 くりはま(ローマ字:JS Kurihama, ASE-6101)は海上自衛隊の試験艦。艦船搭載装備の実験・開発を行う艦である。同型艦はない。
 海上自衛隊初の試験艦である。本艦の建造以前は、護衛艦などを用いて開発・試験を行っていたが、それでは不便であったために専用の艦が建造された。主に後部甲板において、艦船搭載装備の実験・開発を行う。そのために、後部甲板が一段低くなっており、その右舷側に器材操作用のクレーンが装備されている。また、後部甲板に面して試験観測用の計測室が設置されている。このほか、左舷側に魚雷発射の試験設備がある。
 2012年4月6日、横須賀基地にて自衛艦旗の返納式が行われ退役した。(wikiより)
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 ガイドさんも言ってましたが、「32年間はたらいて、この船は役目を終え、しばらくするとスクラップにされ、また生まれ変わる」とのことでした。試験艦とはきいていなかったので、そういう船もあるのかと、今思いました。
 お疲れ様でした。

 【ちよだ (潜水艦救難母艦)】

 

 ちよだ(ローマ字:JS Chiyoda, AS-405)は 、海上自衛隊の潜水艦救難母艦。艦名は江戸城の別名千代田城に由来し、この名を受け継いだ日本の艦艇としては4代目。
海上自衛隊初の潜水艦救難母艦として計画される。「ASR-401 ちはや」の拡大改良型として設計され、うずしお型潜水艦の潜航深度に対応するために深海救難艇(DSRV)と深海潜水装置(DDS)を装備することとなった。艦の後部にはヘリコプター甲板を有する。
 潜水艦救難艦のみならず、潜水母艦機能を付加されており、潜水艦1隻分80名分の宿泊施設、ミサイル、魚雷、糧食、真水の補給物資、潜水艦への給電と充電を可能とする。喫水線下にはサイドスラスターが艦首付近に設けられている。(wikiより)
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 潜水艦は、海の中で動けなくなってしまうことがあるそうです。そのときに出動するのがこの船で、艦のまんなかに小さな潜水艇がみえました。
 救うだけではなく、宿泊施設まであるとは、至れり尽くせりですね。

 【うらが (掃海母艦)】

 

   
 
 うらが(ローマ字:JS Uraga, MST-463)は 、海上自衛隊の掃海母艦。艦名は浦賀水道に由来する。うらが型掃海母艦の1番艦。
 2005年11月25日、国際連合難民高等弁務官事務所の要請を受け、アフガニスタンの難民向けにテント・毛布などの物資を運ぶため護衛艦「DD-157 さわぎり」と共にパキスタンのカラチへ派遣された。救援物資搬出後は「さわぎり」と別れ12月31日に帰還した。
 2011年9月、「MSO-302 つしま」と共に海自艦艇としては初めてベトナム・ダナン港およびインド洋アンダマン諸島のポートブレアに寄港した。その後は10月14日にバーレーン・ミナサルマンに寄港し、翌15日から30日までバーレーン沖ペルシャ湾にてアメリカ合衆国とイギリス共催による多国間掃海訓練」に日本国として初参加し、12月1日に帰国した。(wikiより)

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 ガイドさんも「ペルシャ湾で合同訓練をおえて帰ってきたばかりの船」といってました。これまたお疲れ様でした。
 「うらが」について調べていたら、「うらがホームページ」がありました。興味がある人はどうぞご覧ください。http://www.mod.go.jp/msdf/mf/uraga/jdsuragahp.html
 
 【海上保安庁の船 たかとり】:これは海上自衛隊の船ではありません。

 

 たかとり型巡視船(英語: Takatori-class Patrol Vessel)は海上保安庁の中型巡視船(Patrol Vessel Medium, PM)である。
 第十雄洋丸事件の反省を踏まえ、開発された強力な消防能力を持つ巡視船。毎分3,000リットルの泡沫放水銃2基、毎秒35キログラムの粉末消火剤噴射銃1基を装備している。 通常の警備救難能力も備えており、大規模な災害の際、指揮船となるために、OIC(Operation Information Center)室を船橋に備えている。

 第十雄洋丸事件(だいじゅうゆうようまるじけん)とは、1974年(昭和49年)11月9日に起こったLPGタンカー衝突炎上事故である。衝突によって発生したタンカーの火災を鎮火できなかったため、海上自衛隊の護衛艦が砲撃と雷撃でタンカーを撃沈処分した。(wikiより)

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 ガイドさんの説明によると「船側に描いてある三本のライン、よくみると3本ではなくて『s』なんですよ。シー(海)、セーフティ(安全)、スピード(早さ)を表しています」とのことでした。

 疑うわけではないですが、海上保安庁のHPを調べたら、次のようにありました。

 「海上保安庁の使命であるSafety,Search and rescue,SurveyとモットーであるSpeed,Smart,Serviceのそれぞれの頭文字である“S”を図案化したもので、巡視船や航空機に紺色で描いています」http://www.kaiho.mlit.go.jp/11kanku/03warera/umimaru/osirase/k-mark/mark.htm

 なんだかちょっと違うようですが、まあよしとしましょう。


 【新井堀割水路】

 

 「安政元年(1854)に公郷村名主永嶋庄兵衛は、幕末の海上交通が増えたのにともない、半島先端にある暗礁が危険なため、多額の費用をかけ半島前方部に掘割を377m掘削し、水運の便をはかった。これにより武蔵国野島浦(現在の横浜市金沢区)から横須賀村への航路が作られた。このときの土石は江戸品川に運ばれ、台場築造に使われたという。(旧掘割)
その後、明治18年に長浦に海軍の水雷営、水雷武庫、水雷練習艦がおかれてから横須賀港との交通が頻繁になり、交通に不便となったため、現在の場所を掘削するよう鎮守府は横須賀造船所に依頼して、明治19年、海底27メートルの掘割工事に着手し、明治22年に完成開通した。これにより旧掘割は埋め立てられ、周辺は旧海軍時代より現在まで燃料庫地帯になっている。 」(横須賀市のHPより)

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 右と左にみえる緑色の丘のようなところは、もともとつながっていたそうです。

 それを水路にしてしまい、右側は「吾妻島」と名付けたそうです。

 大きい船は通れないが、小さな船がここを通って、近道するそうです。

 江戸・明治期にこれを作った人は苦労しただろうな、と思いました。

【おわり】
 
 寒かったのですが、おもしろかったです。説明も楽しく、飽きませんでした。

 もう少し船がたくさんいたらよかったのですが、マニアにとってはたまらないと思います。
 
 艦の識別番号とか、艦も装備(ミサイル・砲塔など)について勉強していくと、さらに楽しいクルージングになると思います。

 やはり、現地の見学は予習をしてから臨んだ方がいいですね。

 
 今日も来てくださってありがとうございました。

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