こんにちは。
お久しぶりです。
2008.3/9のブログで触れた、ルイ・アラゴンの「ストラスブール大学の歌」をすべて載せます。(大島博光訳『フランスの起床ラッパ』所収)
私もここだけ知っていました。
教員ならば、どこかで聞いたことがある一節です。
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教えるとは 希望を語ること
学ぶとは 誠実を胸にきざむこと
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しかし、詩をすべてみてみると、そこにはナチスに対する苛烈なまでの抵抗を表現したものであることがわかります。
では、ルイ・アラゴンとはどのような人なのでしょうか?(WIKIから転載)
ルイ・アラゴン(Louis Aragon、1897年10月3日 - 1982年12月24日 )は、フランスの小説家、詩人、批評家。ヌイイ=シュル=セーヌ出身。 ダダイスム文学、シュルレアリスム文学を開拓、後は共産党員となり、共産主義的文学へと足を踏み入れていく。代表作は、「パリの農夫」、「共産主義者たち」など。原爆詩人の峠三吉もアラゴンの影響を受けたとされる。
申しわけありませんが、私にはこの詩にまつわる詳しい解説はできません。しかし、その迫力だけはわかります。
みなさんも「教えるとは 希望を語ること 学ぶとは 誠実を胸にきざむこと」の背後にあるずっしりしたもの(軽薄なことばかな?)を感じるでしょうか?
それでは「ストラスブール大学の歌」をどうぞ・・・。
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ストラスブール大学の歌
陽の色に輝やくカテドラル
ドイツ人どもに囚われながら
おまえは倦むことなく数える
めぐる季節を 月日を 流れる時を
おお ストラスブールのカテドラル
学生たちは別れを告げて逃れ出た
アルザスの空翔ぶ鵠鶴(こうのつる)と
おまえの薔薇形窓の思い出を
いっぱいつめた背負袋(リュック)を肩に
それは ほんの始まりだ
教えるとは 希望を語ること
学ぶとは 誠実を胸にきざむこと
かれらはなおも苦難のなかで
その大学をふたたび開いた
フランスのまんなかクレルモンに
古今の学に通じた教授たち
審判者(さばくもの)の眼差しをもった若者たち
きみたちは そのかくれ家で
大洪水の明けの日にそなえた
ふたたびストラスブールへ帰える日に
学問(シイアンス)とは永い永い忍 耐(パアシアンス)
だが今 なぜすべてのものが黙っているのか
ナチどもははいりこんできて 殺している
暴力だけがやつらのただ一つの特性だ
殺すことだけがやつらのただ一つの学問(シイアンス)だ
やつらは鉄の拳で撒き散らす
われらのかまどの灰までも
やつらは手あたりしだい撃ち殺す
見よ 教壇にうつ伏したあの屍を
友よ 何を われらは何を なすべきか
「無垢な幼児たち」の大虐殺を
もしもヘロデ王が命じたとすれば
それは君らのうちよりひとりのキリストが
あらわれでて 美しい血の色に
目覚めるのを怖れるからと 知れ
ストラスブールの息子たちは倒れても(*1)
だが 空しくは死なないだろう
もしも 彼らの赤い血が
祖国の道のほとりにふたたび花咲き
そこにひとりのクレベール(*2)が立ち上るなら
今よりはかずかずのクレベールたち
それは百人となり 千人となり
つづく つづく 市民の兵士たち
われらの山やまに 町まちに
義勇兵とパルチザンたち
われらはともに行こう ストラスブールへ
二十五年まえの あの日のように
勝利はわれらの頭上にあるのだ
ストラスブールへ だが何時と君らは言うのか
よく見るがよい 震えおののくプロシャ人どもを
ストラスブールの プラーグの オスロオの
三つの受難の大学よ
よく見るがいい 銃をうつやつらの姿を
やつらはもう知っている 逃げだす日の近いのを
敗北こそ 奴らのさだめだと
よく見るがいい やつらがおのれの運命を知り
士気もおとろえた その姿を
死刑執行人どもこそ罪人にかわるのだ
やつらに戦車と手先があろうと
やつらを追いだすのだ 今年こそ
武装を解除された英雄たちよ 武器をとれ
ストラスブールのためフランスのため世界のため
聞け あの深く どよもし どよもす
フランスの声を 祖国の声を
鉤 十 字(ハーケンクロイツ)の 殺人(ひとごろし)どもは滅びるのだ
陽の色に輝やくカテドラル
ドイツ人どもに囚われながら
おんみは倦むことなく数える
めぐる季節を 月日を 流れる時を
おお ストラスブールのカテドラル
(*1)1943年11月クレルモン・フェランでストラスブール大学の教授、学生が銃殺されて、数百名が逮捕された。
(*2)クレベール(1753-1800)ストラスブール生まれのフランスの将軍。1792年の革命的人民の義勇軍に参加、翌年将軍となる。戦功によりライン軍の司令官となる。
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