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キャラクター商品とご当地グッズ(その14;群馬県)

2013-04-28 13:13:56 | 日記



 こんにちは。「ご当地キティちゃん」です。

 今日は群馬県です。

【あすなろ舎さん】
上州桶 : 桶にキティちゃんがはいってる
伊香保グリーン牧場 : キティちゃんが牛乳瓶を持っている
上毛かるた(鶴舞う形の群馬県) :キティちゃんが鶴にのっている
高崎だるま三連:だるまが三つ並び、真ん中がキティちゃんの顔になっている
尾瀬GO:水芭蕉の中にキティちゃんが寝ている。
上州 焼き饅頭:饅頭が4つに並んでいて、すべてがキティちゃんの顔になっている
かかあ天下と空っ風:キティちゃんがほうきににまたがって、飛んでいる
草津温泉ツイン: キティちゃんが2人?ならんでいる
関越道 関越トンネルツイン:トンネルの中にキティちゃんの顔がある

【wiki】
高崎だるま09ツイン/上州桶/おぎのや釜めし2/舌切り雀のお宿/かえる/上州芋/伊香保/おかいこ
鬼押し出しVol.2/尾瀬/尾瀬 眠り/尾瀬2003/高崎 上州だるま/上州温泉/ぶんぶく茶釜/ぶんぶく茶釜09
上州温泉2004/花豆/草津温泉/谷川岳/国定忠治

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 「舌切り雀のお宿」はどうやら、群馬県軽井沢東磯部温泉にある旅館のことらしいです。

 「舌切り雀」のストーリーは省略します。

「舌切り雀のお宿」をあれこれ調べてみると、おもしろい記事をみつけました。

「ちいきしんぶん」のHPより(http://news.gunmablog.net/e208533.html)

 舌切雀のお宿はどこだ?
 「桃太郎」「花咲か爺さん」「猿蟹合戦」「カチカチ山」と並んで、日本の伝承五大昔話に数えられている「舌切雀」は、誰もが知っている童話の一つである。子どもの頃に絵本で読んで、その残酷さに目を覆い、意地悪で欲深いおばあさんを憎み、結末のストーリーに胸をなで下ろした人も多いのではないだろうか。
 伝承された場所や童話の作者によりストーリーに異なりはあるが、一般に知られている「舌切雀」の話は次のようなものだ。
 昔々、おじいさんとおばあさんが住んでいた。ある日、おじいさんが可愛がっていたスズメが洗濯のりを食べてしまい、怒ったおばあさんはハサミでスズメの舌をちょん切ってしまう。それを知ったおじいさんは悲しみ、スズメを探しに竹やぶの中へ入って行った。そこにはスズメのお宿があり、おじいさんはスズメたちの踊りを見ながら料理をごちそうになり、小さなツヅラをもらって帰った。ツヅラの中身は、金銀サンゴの宝物。これを見た強欲なおばあさんは、自分も宝物をもらおうとスズメのお宿へ出かけて行き、大きなツヅラをもらって帰る。しかし中から出てきたものは、ヘビやムカデや化け物だった。
 鎌倉時代の「宇治拾遺物語」の中の「雀の恩返しの事」という話が原型となった物語だといわれている。しかし、この物語では場所や時代については、まったく語られてはいない。なのに、この物語の舞台は群馬県の磯部温泉なのだという。


 舌切雀のお宿は川の岸
 舌切雀物語は、口伝えにより全国に残されている。これらの話を拾い集めて、日本の昔話として世に発表した人物が、童話作家の巌谷小波(いわや・さざなみ)だった。
 巌谷小波(1870~1933)は東京生まれ。本名=秀雄。尾崎紅葉らと硯友社を興し、のちに「日本昔噺」「日本お伽噺」「世界お伽噺」等を発表した明治大正の児童文学の第一人者である。
 「巌谷先生は全国をまわり、その土地土地に伝わる舌切雀の話を聞き取り調査をしたそうです。その中で、磯部の伝承話が一番話にブレがないことから”舌切雀のお宿はここだ“とおっしゃったといいます」と語るのは、磯部温泉の老舗旅館「ホテル磯部ガーデン」の6代目女将、櫻井丘子さん。
 巌谷小波は、大正15年頃に当地を何度か訪れ、磯部を舌切雀伝説の発祥地として定義づけ、同ホテルの本館であった磯部館に滞在して、書や句を多数残している。今でも小波が残した掛け軸には『竹の春 雀千代ふる お宿かな』という句とスズメの擬人画が描かれている。
 では、なぜ全国にある舌切雀物語の発祥の地が、磯部温泉なのだろうか?
 天明3(1783)年の浅間山大噴火の折り、水田地帯であったこの地に鉱泉が湧出したのが磯部温泉の始まりと伝わる。明治17(1884)年に信越本線が開通してからは、軽井沢に先行する別荘地として開け、東京から文人たちが好んで訪れていた。巌谷小波は磯部温泉を訪れていた大正15年頃に、やはり館林市を訪れ「茂林寺縁起」を童話化した「分福茶釜」を世に出している。
 「磯部は昔、田んぼの美しい村だったと聞いています。田があればスズメが多くいたことでしょう。それに碓氷川の岸のまわりは竹やぶに覆われていたといいます」
 小波が訪ねた当時の磯部温泉の環境が、まさに「舌切雀のお宿」のイメージにぴったり合っていたということのようだ。今でいう、宮崎アニメの舞台モデルといったところか。童話の大家が「ここだ!」というのだから、ここが”舌切雀のお宿“なのだろう。


 舌切雀のお宿はここだ!
 「さぁーさ、こちらへどうぞ」
 女将に案内されてロビーの奥へ入って行くと、杖をついた優しそうなおじいさんと小雀の像が出迎えてくれた。
 「これらが代々当館が守り継いできた宝物です」
 指さした先には、いかにも古めかしい板絵が展示されていた。神社や仏閣の本殿壁画などで見かけるお伽噺の絵巻である。擬人化されたスズメたちが、楽しそうに踊っている。しかし、これだけでは舌切雀のお宿である証拠にはならない。と、猜疑の目で眺めている私の視界に、突如、飛び込んできた巨大な物体!
 長さ約30センチ、幅約27センチの鉄製のハサミだった。茶褐色に錆びついてはいるが、確かにハサミと分かる。これが小雀の舌を切ったと伝わる「舌切りばさみ」だという。あまりに大き過ぎて、これではおばあさんも持てないのではないか?
 と思えば、ツヅラも置いてあった。長さ約1メートル、幅約30センチ、高さ約70センチという黒くて重そうな木製のツヅラだ。欲深いおばあさんが背負って帰った大きい方のツヅラに違いない。さらに展示室の中を見渡すと、おじいさんが利用していた杖や水筒までが残されていた。
 ここまで見せられれば、もう私の中に疑心など、これっぽっちもない。晴れた気持ちでホテルを後にした。玄関から前庭へ出ると、敷地の隅に真っ赤な鳥居の「舌切神社」が祀られていた。返す言葉もない。私は素直に、手を合わせるしかなかった。
(フリーライター/小暮 淳)

ーーーーー(以上 引用)ーーーーーーーー

 フリーライターの小暮さんもさぞや驚いたことでしょうね。

 ここに行ってみたいですね・・・。

 とても興味があります。


 さて、巌谷小波について安直にwikiで調べてみました。

【童話作家の巌谷小波(いわや・さざなみ)】(http://ja.wikipedia.org/wiki/巌谷小波)
1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日

東京府東京市麹町区出身。巖谷家は近江水口藩の藩医の家柄で、父の巌谷一六は明治政府の高級官僚でのち貴族院議員となり、また書家としても有名だった。少年期より文学に興味をもち、裕福な家庭に育った。
獨逸学協会学校(現:獨協中学・高等学校)へ入学するが、医者への道を歩ませられることを嫌い、周囲の反対の中で文学を志して進学を放棄、1887年(明治20年)文学結社の硯友社に入る。尾崎紅葉らと交わって、機関誌「我楽多文庫」に『五月鯉』(さつきごい)などの小説を発表したが、少年少女のセンチメンタルな恋愛を描く作品が多かった。

 1891年(明治24年)、博文館の「少年文学叢書」第1編として出版した児童文学の処女作『こがね丸』が、近代日本児童文学史を開く作品となり、以後博文館と組んで児童文学に専心し、種々の児童向けの雑誌や叢書を刊行した。転進前の小説の多くは清純な魅力とともに感傷的な一面もあり、小説としては未熟ともいえた。その点でこの転進は文学的にも大きな成功だった。

 作品の多くは彼自身が編集する博文館発行の雑誌「少年世界」に掲載された。以後同社の「幼年世界」、「少女世界」、「幼年画報」などの主筆となって作品を執筆、さらに「日本昔噺」(1894~96年)、「日本お伽噺」(1896~98年)、「世界お伽噺」(1899~1908年)など、大部のシリーズを刊行した。今日有名な『桃太郎』や『花咲爺』などの民話や英雄譚の多くは彼の手によって再生され、幼い読者の手に届いたもので、日本近代児童文学の開拓者というにふさわしい業績といえる。その作品は膨大な数に上ったが、1928年から30年にかけてその代表的なものが『小波お伽全集』(千里閣版・全12巻)にまとめられた。

 内外の昔話や名作をお伽噺として平易に書き改める仕事のほか、童話の口演や戯曲化も試み、全国を行脚してその普及に努めた。後進の指導にも熱心で、創作家のみならず、童話口演の分野でも新人を育てており、近代児童文学の生みの親である。自伝『我が五十年』(1920年)、息子で文芸評論家の巖谷大四による『波の跫音(あしおと)― 巖谷小波伝』(1974年)がある。

 1911年に作った文部省唱歌『ふじの山』の作詩者としても知られる他『一寸法師』も小波の作詞である。また滋賀県甲賀市立水口小学校校歌など各地の校歌の作詩も手掛けている。


親族
父 巌谷一六は貴族院勅選議員で書家。明治の三筆の一人。
姉 冨森幽香は水口教会宣教師ののち同志社女学校舎監。冨森家は赤穂浪士の一人富森正因の子孫

長男 巌谷槇一は劇作家・演出家。
次男 巌谷栄二は児童文学研究家。
 栄二長男の巖谷國士は仏文学者・評論家。
三男 巖谷平三は映画監督・演出家。
 平三長男の巖谷鷲郎は映画監督、のち文芸評論家。
四男 巌谷大四は文芸評論家。
 大四三男の巖谷純介はブックデザイナー。
次女 三八子
 次男橋口稔は英文学者・東大名誉教授。稔の叔父橋口収は大蔵主計局長。
三女 きの江
  夫藤林益三は最高裁長官、のち弁護士。
   益三次男の藤林道夫は仏文学者。

 ーーーーーーーー(以上 wiki引用)ーーーーーーーーーー

それにしても親族がすごすぎます。

華麗なる一族ですね。


【今日のポイント】

 巌谷小波のツルの一声で、「スズメのお宿」確定!



 今日もきてくださってありがとうございました。

 みなさまにとって、よい大型連休になりますことをお祈りします。

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2 コメント

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初めまして (師子乃)
2020-05-31 13:10:49
童話の発祥を見ていくのも興味深いですね。
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Unknown (今度の部屋)
2020-08-03 10:37:01
(師子乃)さん、コメントをありがとうございました。

長い間、留守にしていたので、ご返事がおくれました。申し訳ありません。

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