フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

最初から国際標準で A LA NORME INTERNATIONALE DES LE DEBUT

2006-06-28 20:11:04 | 科学、宗教+

先日のフランス語クールで、マジョリテの年齢を下げることについての議論があった。フランスでは18歳だが、これをさらに15歳まで下げてはどうかという意見があるという (フランス語では年齢を進める "avancer cet âge à 15 ans" と言うらしい)。この考えに対して、"pour" の立場から考えを述べた。

今回の日本サッカーを見ていて、あるいは最近参加した会議などを見て感じていることと絡めたものなので、一面しか論じていないのだが。そのポイントが今日はタイトルになってしまった。

今回の敗退はすでに言われているように技術不足もあるのだろうが、それよりもその技術を発揮させるところの精神面での不足が大きな要因ではないかと思っている。所謂スポ根ではなく、目指すレベルを最初から世界基準に置くということだ。日本にいると日本の中で何とか、という安易な考えに陥りがちで、そこで満足しがちである。そこに目の高さがあると海外では辛くなり、特に状況が厳しくなると力を全く発揮できなくなる。そのためには最初から世界のレベルに自分の目の高さをあわせておくことが不可欠になる。そのことをわからせることが指導する側には求められるのだろう。

そのためには、若い時から海外に活躍の場を求めること、そこで世界のレベルを体で覚えること、その上でその基準を日本の環境でも維持していくこと、自分がそのレベルに達するかどうかは別にして、その基準を自分の中に持っていることが重要になる。それがあるかないかで全てが変わってくるような気がする。そういう人たちが集まれば、そこに向けて技術や体力を鍛えていくのではないだろうか。

最初のテーマに戻ると、ワールドカップに勝つためには精神的自立が重要になるので、マジョリテを早めるのには賛成だ、というむちゃくちゃな議論を展開した。しかしフランス人から見るとそれほど無茶なお話ではなかったようだ。むしろ、日本の日常から感じていることは "infantilisation, infantilisé" (子供じみていること) とのことなので、私の論点には理解を示してくれた。

コメント
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