日曜のDALFの読解問題にポール・ヴァレリーのエッセイが出た。それ以来、彼のことを少し調べて見ようかという気になり始めている。ヴァレリーの名前は知っていたが、名前だけである。彼との最近の接点を探ってみると、« Monsieur Teste » をアマゾンから、また « Voltaire. discours prononcé le 10 décembre 1944 en sorbonne » (1944年にソルボンヌで行ったヴォルテールについての演説) をこの夏のパリの古本市(ジョルジュ・ブラッサンス公園)で買っていたので、興味がなかったわけではなさそうである。が、いずれもまだ手付かずの状態。
Paul Valéry (1871-1945)
フランスの詩人。若い時にユーゴ、ゴーティエ、ボードレールなどを読み、マラルメやジードの知己を得て、世に出るようになる。1925年(54歳)にアカデミー・フランセ-ズ会員に、1937年(66歳)にはコレージュ・ド・フランスの教授になり、亡くなった時には国葬で送られるという栄に浴している。恵まれた後半生だったようだ。ネットで調べたところ、いくつか引用が出てきた。その中にはDALFの読解試験問題となったエッセイのエッセンスも見つかった。
« Je n'hésite pas à le déclarer, le diplôme est l'ennemi mortel de la culture. »
「資格は文化に死をもたらす敵であると宣言することに躊躇はない。」
それと何とも素晴らしい言葉も見つかった。とても実感するところまでは行かないと思うが、、。
« Ecrire purement en français, c'est un soin et un amusement qui récompense quelque peu l'ennui d'écrire. »
「端正に、正確にフランス語で書くということは、書くことに纏わる辛さに少しだけ報いる方法であり、慰めである。」
(version française)
ごぶさたしています。
本日はぼくの拙い歌に応答していただき、ありがとうございました。
早朝の冷たく引き締まった空気もまたいいものですね。
さまざまな木々の紅葉が次第に色づくのを見るのが、これからは楽しみです。
ヴァレリのLe vent se leve, il faut tenter de vivreを「風立ちぬ いざ生きめやも」と堀辰雄は訳しましたが、あれは意図的な誤訳だったようですね。
前にそのことを詠ったことがありますので、TBさせていただきます。
フランス語の方もいろいろ考えさせられました。外国語をやると、意識的に言葉を使うためか、これまでに文章の書き方、読み方を掴むことができたように感じています。さらに今回フランス語を始めてからは、どのように読んで考えるのか、自分の中でどのように思考の羽根を羽ばたかせるのか - フランス語で ouvrir l'esprit (精神を開く)と言うそうですが - についての感触を得ることができるようになっています。そのせいか、文章を読む態度が少しづつ変わってきているようにも感じています。
なんだかわかる気がします。
>「端正に、正確にフランス語で書くということは、書くことに纏わる辛さに少しだけ報いる方法であり、慰めである。」
これはフランス語という場所に日本語を当てはめても、英語を当てはめてもドイツ語を当てはめても良いのでは?とも思いました。
フランス語は私はトックの塔に挫折してしまいました。