フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

マレー地区散策 UNE PROMENADE DANS LE QUATIER DU MARAIS

2007-03-23 06:20:52 | 出会い

今週初め、R というフランスの方から次のようなメールが届いた。私のフランス語版のみならず日本語版ブログの忠実な読者で、毎日幅広いテーマについて触れられ、フランス語をどこまでも理解したいという執拗さが見えていて感心している。今回パリに滞在されているようなので、もしよろしければお会いしたい。また興味があればマレー地区などを案内したい。ところで先日の記事にあった Finkielkraut さんはFrance Cuture で放送されているので、以下のサイトで聞くことができます、と書かれてあった。それを読みながら、私の日本語版に目を通しているフランスの方がいるということに興味を覚え早速返事を出したところ、電話で打ち合わせましょうということになる。話してみると、何と先日の Gallo-Finkielkraut 対談の日本語訳に誤りがあるので、できれば日本語版をプリントアウトしてきてほしいというのである。これにはさすがに驚いてしまった。

その日は午前中に仕事を済ませ、待ち合わせ場所のマレー地区にあるカフェに出かける。見回すと笑顔でこちらを見ている方がいるのですぐに R さんだとわかる。それから Figaro-Littéraire の記事と私の記事を読み比べながら検討が始った。そうすると、私が辞書で確認せずに勝手に決め付けていたところ (自分の中ではそのことには気付いていた) が全く逆の訳になっていた。それから対談をしている両者の言葉の使い方に皮肉が込められていたり、フランス現代社会の風潮が反映されているところが指摘されるのを聞きながら、その内容が紙面から立ち昇るようで気持ちよく、同時に深く汲み取るという作業の難しさを肌で感じていた。また、私がミコ様の俳句を訳した中に本来の意味から云うと少し外れる言葉の使い方があったが、詩的に聞こえるのでよいでしょうというようなことまで指摘される。このように単に目を通すというのではなく、掘り下げて日本語版を読んでくれているフランス人がいるというその事実に感動さえ覚えていた。

R さんは自らを autodidacte だという。この言葉を知っているかと聞かれたが、それはなぜか忘れられない不思議な印象を残す経験から私の中に残っていた。その言葉に最初に触れたのはフランス語を始めた当初、サルトルの « La Nausée » をパラパラとめくっている時で、その響きに何か訴えかけるものがあったからである。これこそ人間のあるべき姿ではないのかという想いが私のどこかにあり、それがフランス語の言葉として目の前に現れたということに共振したのかもしれない。R さんは若いときに短期間日本に滞在したことはあるが、学校で日本語を習ったことはないという。また研究のためパリに来られる日本の大学の先生のお世話をすることがあるようなお話であった。独学でここまでになれるのである。学校の意味を考えさせられる。

それから今思い出せないくらい多くの文学者、芸術家が話題に上がった。記憶に残っているのは、例えばフィリップ・ミュレー Philippe Muray (1945 à Angers - 2 mars 2006 à Paris) という人。実はこの人とはその前日ラスパイユ街のリブレリーで出会っていた。迷った末に入ったその店では、彼の著作と自らの詩の朗読CDが一つのテーブルに並べられていて、その中から手ごろな小冊子を仕入れていたからである。Gallo-Finkielkraut 対談を読んでいる時に M. Morin ですかと声をかけられたが、その名前の人が対談に出てきたり、前日に出会った人が飛び出してきたりと不思議なものである。最近 R さんは岩波新書 「翻訳家の仕事」 を興味深く読んだという。私もどこかで立ち読みした記憶があるが、もう少しじっくり読んでみようかという気になっていた。

カフェでの話が一段落したところで、マレー地区を案内してもらう。それから3時間ほど散策しながら、街の現在とそこに眠る歴史に耳を傾ける。結局4区をほぼ歩き回ることになった。まず、Shoah の記念館、ユダヤ人街のロジエ通り Rue des Rosiers へ。カシェールの店が沢山あると言われて私が首をひねっていると、ニューヨークにいたことがあるのではと言われ、コーシャー (Kocher) のことだと気付く。看板を見てみると Kasher と書かれてあった。それからヴォージュ公園 Place des Vosges では、数年前に1週間ほど滞在した折、オランダ人ジャーナリストとスイスの会社員と待ち合わせて散策した記憶が蘇る。その時坐っていたベンチと再会した時、私は過去の中にいた。

R さんは歩きながら日本語の電子辞書を示し、私にとっては初めての 「ひっこうけんでん (筆耕硯田)」 などという表現を教えてくれたりする。それが筆で硯の田を耕す (→ 文筆で生計を立てる) という意味であることを知り、なぜこの言葉を教えてくれたのかを考えていた。それから5-6軒の魅力あるリブレリーに立ち寄る。そこでも多くの人を紹介された。例えば、ナチスに捉えられた夫を救出した対独レジスタンスの女性闘士で94歳で亡くなったばかりのリュシー・オブラック Lucie Aubrac (29 juin 1912 - 14 mars 2007) さん、やはりレジスタンスの全国組織を纏め上げたが最後はゲシュタポの手で殺されたジャン・ムーラン Jean Moulin (20 juin 1899 - 8 juillet 1943) という人など。そして別れ際になりわかったことだが、訪ねた中にあった Les Cahiers de Colette というリブレリーで、私にプレゼントを用意してくれていたのである。私の atypique で幼稚なフランス語に付き合っていただいた上にこのような心配りである。何と感謝してよいのかわからない。帰って開けてみると、カフェで話題になった bien-pensance という言葉と私が質問した républicain (共和主義者) と royaliste (王政主義者) との対立の歴史などに関連したところから出てきたジョルジュ・ベルナノス Georges Bernanos (20 février 1888 - 5 juillet 1948) という人の « Les Grands Cimetières sous la lune » であった。裏表紙によるとスペインの内戦について書いてあるようだ。

これまでも経験しているように、一つの出会いから世界がぐっーと広がることがある。今回もいろいろなところにつながる扉が開かれそうな気がして、大きな刺激を受けていた。すべてブログのお陰である。

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3 コメント

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Rさん (ミコ)
2007-03-23 19:56:22
ポールさんの博覧強記(勿論Rさんはご存じの言葉)ぶりに呆然としているのに、さらに上手を行くようなRさんの出現に自失です。

autodidacteのRさんは、autodidacteのポールさんがフランス語をマスターされたように日本語をパクパク食べられたんでしょうかねえ。

極意を教えて貰ってももう遅きに失するきらいがありますが、是非ご教示頂きたいものです。

フランスでは「ブッラクブック」というオランダ映画は公開されたのでしょうか?ナチに対するユダヤ系オランダ人のレジスタンスを複雑に描いています。

こちらは候補乱立の都知事選の中、今日からセンバツ開幕ですが「君が代」を山形県の高校生が朗々と独唱し、感動的でした。こんな進化にも目を向けねばいけませんね。もっともわたしは「君が代」自体は嫌いです。


  眩しきは球児の汗や春の土    ミコ
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ミコ様へ(代筆) (paul-ailleurs)
2007-03-24 05:36:32
今チェックしたところ、R さんからメールが入っていました。余りブログにコメントを書くのを好まないので代わりにお願いしたいとのことでした。そこには次にように書かれてありました。

Paul Verhoven の "Black Book" という映画であれば確かにフランスで上映されました。しかし残念ながら 彼の他の映画ほどの反響はなく、数週間で終ってしまったため私も行くつもりでしたが見逃してしまいました。映画のテーマは興味深いもので、ダブルエージェントやアイデンティティの混乱などが善悪二元論ではなく扱われています。レジスタンスの歴史はこのような悲劇に満ちています。プロ・ナチの組織に入り込んでいたレジスタントが真に勇敢にナチと戦ったということを証明することなく解放の際に偽レジスタントに殺されることも起こっています。同じようなレジスタンスの話として、Leopold Trepperという人の "L'orchestre rouge" があります。

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ブラックブック (ミコ)
2007-03-24 09:56:18
RさんMerci beaucoup

「BLACK BOOK」は「氷の微笑」のポール・バーホーベン監督が23年ぶりに母国オランダに戻り完成させました。今日(24日)から東京公開です。ダブルエージェントを扱うなかなかの力作ではありましたが、サスペンス性に流されたきらいもあり、アカデミー賞に出品したものの、ノミネートも逃しました。

しかしたとえ失敗作であっても、欧米が繰り返し戦争の生む非人間的行為を映画にすることは「硫黄島ーー」2部作もイーストウッドに攫われた日本の映画界のことなかれ主義を浮き立たせます。

フランス映画では「Je ne suis pas la pour etre aime」(アクサンがつかず失礼します。邦題「愛されるために、ここにいる」)が久方ぶりに香りを感じさせました。ケイタイ電話が一切登場しないのも今や異色の設定でした。
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