フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

フランス人であるとは COMMENT PEUT-ON ETRE FRANCAIS ?

2007-03-16 23:43:26 | Weblog

フランス大統領になるかもしれないニコラス・サルコジーが 「国家アイデンティティ省 (Ministère de l'Identité nationale)」 に賛意を示したことから、国家という問題が前面に出てきた。最近、この問題について本を出した歴史家のマックス・ギャロ Max Gallo とエッセイストのアラン・フィンキールクロート Alain Finkielkraut のインタビュー記事がフィガロ・リテレール Le Figaro Littéraire (15 mars 2007) に出ていた。

Max Gallo « L'Âme de la France »
Alain Finkielkraut « Qu'est-ce que la France ? »

カフェで読んでいると、あなたがムシュー・モラン (M. Morin か) ですか、などと声をかけてくる女性がいる。何でもありの社会のようだ。対論の概略は以下のようになる。

M Gallo: 私の本のタイトルは 「フランスの精神」 ですが、ルナン Renan (28 février 1823 - 2 octobre 1892) は国家とは一つの精神で、精神的な原則 « un principe spirituel » と言っています。しかし私は、« France, prends garde à ne pas perdre ton âme. » 「フランスよ、お前の精神を失わないように警戒しなさい」 という言葉にも思いを致しています。この本の向かうところは、ブローデル Braudel (24 août 1902 - 27 novembre 1985) が言っている 「国家の中心的問題意識」 « la problématique centrale de la nation » の定義を試みること、フランスのDNAが何なのかを探ることです。

A Finkielkraut: ルナンは国家の精神を構成するものに次の二つがあると言っています。一つは過去の豊かな記憶の中にあり、もう一つは現在の市民の同意である。われわれは長い間、2つ目の点に拘ってきました。これからはルナンの定義を全体として考える時が来ているのではないでしょうか。それは改悛 (la repentance) という過去との傲慢な決別によって危うくなっている死者との関係についてです。「現在」 は、痛恨 (la contriction) という見せ掛けの下、過ちに満ちた 「過去」 に対する道徳的優位を保ち満足している。ルナンによれば、時間の流れの中で深く定着し歴史に形作られてきたフランス。力強く語り « parle fort » アメリカ時間を生きる « vit à l'heure américaine » 大統領候補は、「超現代的なフランス」 La France hypermoderne に二度も反対しなかった。1940年の敗戦は国家の崩壊によるものであるとマルク・ブロック Marc Bloch (6 juillet 1886 – 16 juin 1944) は書いているが、今こそブロックを読み、フランスのアイデンティティをはっきりさせなければならない。しかし、それは要求水準の高いスローガン « un mot d'ordre exigeant » ではあっても省の名前ではないだろう。

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マルク・ブロックについては以前にも触れています (2006-7-1)。

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