青森で空港に向かう前に本屋に入り、この本に出会う。すぐ横の喫茶に入り読み始め、青森を出る頃には読み終える。
猫町 HAGIWARA Sakutarō, "La ville des chats" roman en forme de poème en prose
「散文詩的なロマン」 との副題がある。冒頭にショーペンハウエルの引用が出ている。
蠅を叩きつぶしたところで、
蠅の 「物そのもの」 は死にはしない。
単に蠅の現象をつぶしたばかりだ。
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私は旅に対して昔感じたようなわくわくするような気持ち (ロマン) を感じなくなっていた。それはこれまでの経験から、旅とは 「同一空間における同一事物の移動」 に過ぎないことを悟ってしまったからだ。別のところに行っても、そこにあるのは同じ人間が同じような景色の中で同じような人生を歩んでいることを見てしまったから。それで私は drogue に頼るようになるが、健康を害してやめる。医者の言葉に従って散歩を始める。
私はいつも同じ道を歩いていたが、その日は違う道に入り、道を間違えてしまう。そして自分がどこにいるのかわからなくなる不思議な感覚を味わう。私が北陸に逗留した時に散策に出て、完全に道に迷ってしまった。その時に、同じような、しかしもっと驚くべき経験をする。あるところに迷い込んだ時に猫で溢れた町を見ることになる。まるで異次元の世界に迷い込むように・・・そこから覚めてみるとあたりは以前のままの静かな町なのである。どちらが本当の姿か、猫町など存在するのか。
「しかし宇宙の間には、人間の知らない数々の秘密がある。ホレーシオが言うように、理智は何事をも知りはしない。理智はすべてを常識化し、神話に通俗の解説をする。しかも宇宙の隠れた意味は、常に通俗以上である。だからすべての哲学者は、彼等の窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜を脱いでいる。詩人の直覚する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実存なのだ。」
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そんなお話である。理と不知・信との対立、「狐に化かされる」 と言われるような経験がテーマになっているかのようだ。私もよく散歩に出て、同じような経験をする。家からほんの10分くらいのところでさえ。視点が変わると現実と思っていたものが全く違った様相を呈してくる。不思議の世界である。
そう言えば先日の深夜、ある哲学者が、戦後のある時期から 「狐に化かされる」 という話を聞かなくなってきたが、その原因についてラジオで話をしていた。夢の中だったので結論はほとんど覚えていないが、おもしろいことを考えている人がいるなと思ったことは覚えている。
青森で 「猫町」 を読むと何の違和感もなく私の中に入ってきた。今東京に戻ってみると、理の世界が私の周りをがっちりと包んでいることを感じる。もはや、このお話が入り込む隙間もないかのようである。