フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

日仏のために(III) RENCONTRE AVEC UN CHERCHEUR D'HANOI

2005-09-20 20:07:53 | 日仏のために

先週、P協会のMW氏とMO氏からのお話があり、パリのIP所属で現在はハノイ在住のPB氏と会うために、指定のホテルに出向いた。彼はアメリカ人であるが、今はフランスの国籍も持つ科学者で、大学まではアメリカ、卒後はパリで教育を受け学位を取っている。アジア担当になった当初は本来の所属先があるパリと往復していたらしいが、今はベトナムに落ち着いているようだ。その経歴からわかるようにフランス語も流暢に話し、日本にも研究のため2年ほど滞在したことがあるとのことで、アクセントのない日本語も少しだけ聞くことができた。

食事をしながらのミーティングは1時間半くらいだっただろうか。話題の幅が広く、充分に楽しむことができた。まず、私が francophile になった4年前の出来事を話すと、本当かと聞き返してきた。嘘ではないことがわかると、病気にはそれなりに存在理由があるという、以前に触れた私の結論と同じことを言っていた。花粉症にお礼を言わなければ、というわけである。また彼のパリの友人を私が知っている事にも驚いていた。"Le monde est petit !" ということなる。

これも以前に触れたことだが (31 août 2005)、アメリカとフランスの科学の進め方の違いについても話が及んだ。彼もアメリカの科学がやや機械的なきらいがあり、背後にあるものについて考えるという姿勢が少ないように感じていた。そういうこともあってのことだとは思うが、アメリカではもう仕事をすることはないだろうとのことであった。日本も戦後、アメリカのシステムを入れ、それをよしとしてやって来て現在がある。少し味(=余裕から醸し出される何か、あるいは愉しむ・味わうという気持ち)が足りないのかな、というのが私の印象である。

彼の指摘では、日本には naturaliste (博物学というニュアンスか) の伝統はあるが、cartésien (デカルト的な論理的・合理的な考え方=西欧的な考え?) の伝統は未だ根付いていないのではないか、というような話をされていたようだ。西欧的な考えからすれば、博物学的な考えは余り高く評価されていないということになるのか。また、彼が研究していた日本の大学で、第二次大戦のためにどのような研究がされていたのか、ということまで教えていただいた。そういう状況になれば、自らの研究の方向性も変えざるを得なくなるということを教えてくれる。

この日の会合では、科学以外の領域、例えば美術、文学、哲学についても話題にできる、愉しめる空間がそこにはあり、あっという間に時間が過ぎていた。

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(version française)

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