フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

イスタンブール ISTANBUL C'EST MON REVE D'Y ALLER

2005-09-18 08:21:57 | 

昨日の夜はゆっくりする。TV5をつけると、24 h à Istanbul なる贅沢な番組が流れていた。私にとっては何とも嬉しい出来事であった。イスタンブールといえば、昔から私の好奇心を掻き立てる街である。東と西の交差点。どんな雰囲気を醸し出しているのか興味津々で見ていた。

その昔、アメリカからの帰国の機内で、アメリカの大学に在籍し、トルコに帰るところだった学生と隣り合わせたこと、この6月にパリのザッキン美術館でトルコ出身の芸術家に会ったことなどが思い出される。また、2年程前TG大の学生でトルコに1年留学していたというSSさんに数ヶ月トルコ語を習ったこともある。フランス語への興味が増してきたのと、彼女が就職したので止めてしまったが。その時にトルコ関係の本を集めたことがあるが、なかなか打ち込むことはできなかった。また、読み始めたがそのままになっていた、16世紀の建築家を描いた夢枕獏の「シナン」のことも思い出した。

番組を見ると、イスタンブールの歴史から建築、芸術、今のイスタンブールの姿、何でも超廉価 prix imbattable で手に入るというバザール、蚤の市などが存分に伝えられる。ボスポラス海峡 Bosphore から見渡せる素晴らしい眺め、この町の象徴のようなモスクの数々、地震でもあれば潰れてしまいそうな古い町、対立項のある町 la ville d'antagonisme、この町に住んでいる人の話でもアジアのようでもあり、ヨーロッパのようでもある、ラテンアメリカの要素もあれば、アフリカの要素もあるという un peu asiatique, un peu européen, un peu latino-américain, un peu afrique。

さらに、学生時代に聞いてから久しいムスタファ・ケマル Mustafa Kemal (1881-1938) についてのドキュメンタリー。現在のイスタンブール社会で活躍する人々へのインタビューや階段教室での大学生とフランス人との討論会も大いに参考になった(ここでも女子学生の方が active ではっきりものを言っているようであった)。アナトリア Anatolie、高樹のぶ子の小説で知ったエフェソス Éphèse、ビザンティン byzhantine などの音を聞いていると、異様に興奮してくるのがわかる。

番組を通じて、イスタンブールやトルコの姿がぼんやりと浮かび上がってくる。いずれ訪れてみたいところになっているのを感じる。

--------------------------
(10:25-10:57, 18 septembre 2005)

何かのつながりだろうか。今、NHKの特集でイスタンブールのトプカプ宮殿が取り上げられている。つながりを感じる時、嬉しくもなり、不思議な気分にもなる。小池昌代という詩人が案内役。

日本の映像は昨日のTV5のものと明らかに異なっている。同じ景色を見ているはずなのだが、といつも思ってしまう。日本製には肉から出るものが乏しいのだろうか。

壮麗王スレイマン1世(1494-1566)とその奴隷から皇后になったヒュッレム(ウクライナ出身で「美しく笑う人」という意味の名前を貰う:?-1558)との物語。詩を通して、お互いが近くなったようだ。そのために詩人が案内人になっているのだろう。

ヒュッレムは、スレイマン1世の子供を宿した女性から襲われ、顔に傷を負い、それ以来部屋に引き篭もることになる。一途なヒュッレムに心を動かされ、彼女を正妻にすることにする。王はトプカプ宮殿にハレムをつくる。彼女たちには8年にも及ぶ教養教育が求められたらしい。楽譜なしでの音楽教育など。彼女はスレイマニエ・モスクの完成を見届けて50代に亡くなる。

その後、帝国は衰退の道を進む。それは王子の謀反で殺されるとの強迫観念を持ったスルタンが王子を「黄金の鳥篭」と呼ばれる場所に幽閉したことから始まる。そこには鼓膜に穴を開けられ、舌を切られた宦官が配置される。やがて閉じ込められていた子が王位に就くが、ムスタファ1世は精神に異常をきたし一年で退位。オスマン2世はすぐに弟を殺害。ムラト4世は三人の弟を処刑。

18世紀に入り、中心は西ヨーロッパに移る。スルタンは宮廷の中で穏やかに暮らすようになり、トプカプ宮殿は一時膨張するが、別の宮殿にスルタンの住まいが移る。そして、1909年ハレム解散。400年の物語が終わる。

映像を見ながら書くというのは初めての経験だが、興味深いものであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする