フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

新しい人と UNE SOIREE POUR NOUVEAX MEMBRES

2005-09-10 10:30:05 | 出会い

昨日の夜、新しくグループに加わった3名の方の歓迎会が近くで開かれた。若干のOB/OGも加わり、和やかな雰囲気のうちに終わった。これからの活躍を期待したい。私にできることはその舞台を整えることくらいだろうか。会の後、OBの一人と杯を酌み交わす。おそらく初めてのことだろう。親子ほど離れているのだが、余り年の差を感じない(ので少々困ったことだと思い始めている)。隣の席になったお客さんとも話が弾む。久しぶりのことであった。

---------------------

今朝、昨日の余韻を残したままテレビをひねると俳句の番組であった。ゲストで出ていた正木ゆう子という俳人が、私が最近感じていることを少し違う言い方で話していた。

「俳句に何かを詠むということは、その対象と自分がつながってくる (深い関係を結ぶ) ことになる。」それは思い出として記憶することとは違うのですか、という司会者の問いに、「それは明らかに違う。そのままにしておくと過ぎ去ってしまう。句を作ることによってそれを自分に引き寄せることができる。」というような内容であったと思う。

俳句にするということは、ある意味で言葉の写真を撮っておくようなものではないかと思った次第。謎野様の「日々歌う」を読ませていただいて、歌にもそういう力があることを感じていたところでもあり、納得。先日触れたブログの効用ともつながるようだ。

さらに彼女はこんなことも言っていた。「私の好きな俳句の中に私の先生のこの句がありますが、この言葉の使い方で時空を越えた、異次元に入り込むような、シュールな世界にいるような感じがします。」というのだ。その句は覚えていないが、短い字空間でそんなことまで表現できるのか、と感心して聞いていた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする