フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

すべては病気から ? TOUT COMMENCE PAR LA MALADIE ?

2007-04-02 23:13:00 | 哲学

週末、風の中を歩いたせいか花粉が再燃しピークを迎えている。こういう体調の時には、人間の進歩に向けて汲々としている姿やその結果もたらされるものに全く感じなくなる。美しく見えなくなるのだ。人には必要不可欠なものだけあればよい、それにしても必要のないものが溢れすぎていないか、しかし必要のないものが人間を豊かにしているのではないのか、など想いが過ぎる。それにしても人間のやることの幅の何と広いことか。ほとんど限りがないと思えるくらいだ。体調の悪い時は、進歩 (今ここにないものを求める) に対して否定的になる。今ここにあるものだけでよいのではないか、というところに落ち着く。しかし大部分の人はそうは考えない。組織体になると生存が至上命題になる。それで競争がそこに組み込まれてしまう。人は生まれながらそのフィルターを通してものを見ている。そのフィルターがあることに気付くには相当の時間を要する。あるいは見る側の内的状態が変化するとそれに気付くことがあるのかもしれない。私のフランス語は花粉から始った。このところのすべては病気から始ったことになる。病気がなぜなくならないのか。ある病気は撲滅されることはある、しかし病気という状態そのものはなくならない。それは私の大きな疑問のひとつなのだが、そこには何らかの存在理由があるということなのだろうか。

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思いがけない哲学講義 SUIVRE UN COURS PHILOSOPHIQUE

2007-03-24 23:52:04 | 哲学

その日は朝からパリにある大学の研究所を訪れる。木の螺旋階段が軋む音を聞きながらゆっくりと上がっていく。ホールはやや暗く、個室が並んでいるのだが人気がない。少し行くと図書のような小さな部屋が2つあり、それぞれに一人ずつ静かに本を読んでいる。余りの静けさに声をかけるもの憚られたが、いつまでもうろちょろしているわけにも行かず、そのうちの一人に受付の場所を聞いてみる。しかしその人はわからないという。外から来たのかもしれない。もう一人に聞くと、一言も発せず秘書のいるところに案内してくれた。

中に入ると秘書が二人いるが、愛想はほとんどない。特に私の相手をしてくれた方は、本当に応対するのが厭そうに見える。私が何かを話しかけてもコンピュータ画面を見たまま質問に答えるだけで、話を膨らまそうとしない。気にせずにいろいろなことを聞いてみると、面倒くさそうにではあるが一応の対応はしてくれることがわかる。「ところで一つのコースに何人くらいが登録しているのですか」 と聞いたところ、彼女は私の予想を超える行動に出た。「丁度今、隣の部屋で哲学の講義をやっているので聴講できるかどうか教授に聞いてみますね。すこし静かにして下さい。もしOKであれば様子を見るといいですよ」 というのだ。これには驚くと同時に、やることはやるじゃない、という感じで恐縮しながらも嬉しくなっていた。

中に入ると、壁一面に本が置かれている大きな応接間という印象。趣があってなかなか気持ちがよい。男女5-6人が思い思いに先生のお話を聞いている。あっという間にその雰囲気に引き込まれる。話題になっているのはどこかで聞いたことのある哲学史上有名な人ばかり。例えば、

Rudolf Carnap (18 mai 1891 - 14 septembre 1970) un philosophe allemand puis américain et le plus célèbre représentant du positivisme logique

Otto Neurath (10 décembre 1882 - 22 décembre 1945) un philosophe, sociologue et économiste autrichien

Moritz Schlick (14 avril 1882 - 22 juin 1936, assassiné par un de ses anciens étudiants) un philosophe allemand et père fondateur du positivisme logique et du Cercle de Vienne; l'un des premiers philosophes « analytiques ».

David Hume (26 avril 1711 – 25 août 1776) un philosophe, économiste et historien, et l'un des plus importants penseurs des Lumières écossaises

Auguste Comte (19 janvier 1798 - 5 septembre 1857) un philosophe français, positiviste, et considéré en France comme le fondateur de la sociologie
  
Bernard Bolzano (5 octobre 1781 – 18 décembre 1848) un mathématicien bohemien de langue allemande, qui critique l'idéalisme d'Hegel et de Kant

Franz Brentano (16 janvier 1838 - 17 mars 1917) un philosophe et psychologue catholique allemand, puis autrichien

Emil du Bois-Reymond (7 novembre 1818 - 26 décembre 1896) un célèbre physiologiste et mathématicien du XIXe siècle, il fut l'un des fondateurs de l'électrophysiologie
  
Ernst Mach (18 février 1838 - 19 février 1916) un physicien autrichien

Karl Popper (28 juillet 1902 - 17 septembre 1994) l'un des plus importants philosophes des sciences du XXe siècle


後半はマックス・エルンストの "Analyse des sensations" という本の中から思索を進めていた。その中で聞こえた言葉は、、

  positivisme (実証主義)
   monisme (一元論)
    idéaliste (観念論者)
     matérialiste (唯物論者)
      empiriste (経験論者)

  "La science décrit des régularités mais n'explique pas."
  "La science est toujours d'origin pratique."

というようなことも言われていたようだが、フォローするのはなかなか大変。子どものような目をしてたまにこちらを覗きこみ、早口で進む先生の話を聴きながら、外の喧騒の中、古い建物の一室では人知れずこのような活動が行われているということにある種の感動を覚え、またその時間を共有している自分が別世界を彷徨っているようにも感じられ、豊かな時間を味わわせていただいた。


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予想もしなかった小さな宝物が落ちてきたような一日の始まりとなった。別れ際にまた無愛想な姿に戻った彼女に挨拶をして通りに出た。面白い人々が集まっている町のようだ。


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春の日、ある書店にて

2007-03-12 22:18:23 | 哲学

新しい町に降り立ち、早速あてどもなく歩き回る。その時、とにかく先へ先へと歩を進めるようになっている。以前であれば、これを進むとわけがわからなくなると思うと道を引き返すことが多かったが、それでは気分が削がれるためか、もはやその気には全くならないことに気付く。どこに着くのかわからないまま進み、あとでどんな道を歩いていたのかを地図で確かめるのが大きな楽しみになっている。

ところで、こちらでは本屋さんに入るのがひとつの楽しみになっている。展示の仕方が日本と違い、大きなお店でもどこかパーソナルな (人間の生の) 感触を感じることができ、しかも美しく感じることが多いからだ。その日は、壁に10名程度の作家の今までに見たことのない表情が何気なく飾られた本屋が目につき中に入る。まず、許可を得てから店内の写真を撮る。飾り付けが感じよく、本当に気持ちがよい。いつものことだが、彼らの中にある美的センスがわれわれのそれと根本的に違うのだ、ということを思い知らされる。なぜそうなのか、という疑問がずーっと私の中にある。

最近お定まりのコースになっている Philosophie のコーナーへ。その棚の前に立ち、そこにある先人の営みを思った時、これまでになく気持ちが昂ぶってくるのを感じていた。そこで、 « Les philosophes et la science » 「哲学者と科学」 という1000ページを超える本を買う。これから時間をたっぷり使って、これまでずーっと先送りにしてきたことについて読み、考え、そして何かを作ることができれば、、、という想いが襲ってくる。それから、2000ページを超える歴史上の人物を描いたプルターク « Plutarque » を手に取る。なぜか興奮を抑えきれないようだ。こちらはいずれ、ということで棚に戻した。

アラブ系のサンドイッチ屋さんで昼食。アメリカ時代を思い出し、禁断のコーラと日本の3倍はあるサンドを平らげる。歩いたからしょうがない、と自分に言い聞かせながら。これをやっているから、ダイエットの効果がさっぱり上がらないのだろう。

その日ホテルに戻り、本屋さんのしおりを見て、やっぱりフランスか、という感じで嬉しくなる。そこにはこう書かれていた。

  « Un peu de philosophie pour l'arrivée du Printemps... » 
  「春を迎えて少し哲学を・・」 という言葉の下に、次の三冊が紹介されている。

 1977年、体制に暗殺されたチェコの偉大な思想家ヤン・パトシュカの歴史哲学作品
 J. Patočka « L'Europe après l'Europe » 「ヨーロッパ後のヨーロッパ」

 イデオロギーと個人の問題についてのアドルノ1950年の作品
 T.W. Adorno « Etudes sur la personnalité autoritaire » 「専横的人格に関する研究」

 ルイ・アルチュセールの自伝の改訂版
 Louis Althusser « L'avenir dure lontemps » 「未来は永続する」


   ・・・ この日、至福の時間が流れていた。

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ポール・ファイヤアーベント PAUL FEYERABEND

2007-03-02 23:28:20 | 哲学

どこかのページで見た 「知のアナーキズム」 という言葉とその方の名前が発する音が気になり、Wiki を読んでみることにした。いつもお世話になる科学・芸術や外国に関する項目については、英語版・フランス語版は日本語版に比較して圧倒的に充実している。このプロジェクトの哲学に多くの人が賛同し、積極的に参加しているということなのだろうか。

   ポール・ファイヤアーベント Paul Feyerabend (13 janvier 1924 - 11 février 1994) 

今回は、英語版とフランス語版を読み比べながらその人生を眺めてみたい。

 Paul Karl Feyerabend était un philosophe des sciences d'origine autrichienne qui vécut en Angleterre, aux États-Unis, en Nouvelle-Zélande, en Italie et finalement en Suisse.
(ポール・カール・ファイヤアーベントはオーストリア出身の科学哲学者で、イギリス、アメリカ、ニュージーランド、イタリア、そして最後はスイスに住んだ)

彼の人生を英語版では "peripatetic" という初めて出会う言葉で形容している。その意味は "travelling, moving, nomadic, migrant, vagabond, wandering, itinerant" で、これから使いそうな言葉である。

 Il est une figure influente dans le domaine de la philosophie des sciences, notamment par sa théorie épistémologique dite de « l'anarchisme épistémologique » qu'il a exposée dans l'ouvrage "Contre la méthode".
 (彼は、「方法への挑戦」 で提唱した 「科学哲学アナーキズム」 と言われる理論により、科学哲学の分野で影響力のある人物である)


ウイーンに生まれた彼は、高校まで本をよく読み、戯曲や歌に興味を示す。高校卒業後はドイツの軍隊に入り、ドイツ、フランスに配属され、「田舎を回り、塹壕を掘りそして再び埋める」 という単調な生活をする。
 "Nous avons tourné dans la campagne, creusé des fosses puis nous les avons rebouchées."

1943年12月 (19歳) から東部戦線へ。そこで赤軍の侵攻に押されドイツ軍が撤退を始めた時、彼は3発の銃弾に撃たれ、そのうちの1発が脊椎を直撃。一生杖を離せない人生となった。
 "Il dut utiliser une canne pour marcher le restant de sa vie."

戦後、戯曲を書く仕事の後、歴史学と社会学を始めるも落胆。物理学に転向し、そこからさらに哲学へ進む。1948年 (24歳)、あるセミナーで20世紀最高の科学哲学者の一人カール・ポッパー Karl Popper (28 juillet 1902 à Vienne - 17 septembre 1994) に初めて出会う。1951年 (27歳)、ウィトゲンシュタイン Wittgenstein (Vienne, 26 avril 1889 - Cambridge, 29 avril 1951) のもとで学ぶことになっていたが、彼が亡くなったために急遽ポッパーに教えを乞うことになる。そこでポッパー哲学の魅力の虜になる。
 Il a été fortement influencé par Popper durant cette période: "J'étais tombé sous le charme de ses idées [celles de Popper]."

1955年 (31歳) にブリストル大学で科学哲学を教え始め、1958年 (34歳) にはカリフォルニア大学バークリー校に移り、アメリカ国籍を取る。その後、ロンドン、ベルリン、エール大学、ニュージーランド・オークランド大学などで教えるが常にカリフォルニアに戻っていた。しかし 1989年10月 (65歳) にはアメリカを引き払い、イタリア、そして終の棲家となるチューリッヒに落ち着き、70歳の時に脳腫瘍で亡くなる。


その生涯で以下のような作品を書いている。

 "Contre la méthode: Esquisse d’une théorie anarchiste de la connaissance" (publié en 1975)
  "Against Method" (published in 1975)
  「方法への挑戦―科学的創造と知のアナーキズム」 ・・・ このタイトルに反応したようだ。

 "La science dans une société libre" (publié en 1978)
  "Science in a Free Society" (published in 1978)

 "Adieu la raison" (un recueil d'articles publié en 1987)
  "Farewell to Reason" (a collection of papers published in 1987)

最後に自伝を。

 "Tuer le temps" (1995)
  "Killing Time: The Autobiography of Paul Feyerabend"
  「哲学、女、唄、そして…―ファイヤアーベント自伝

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パスカルに自分を見る JE M'ENTREVOIS CHEZ PASCAL

2007-02-18 12:34:01 | 哲学

このところのテーマになっている 「全的に考える」 の影響だろうか。最近パスカルを読み、ある発見をする。ここでこれまでに書いてきたように、理性に基づく仕事に打ち込んできたデカルト主義者 (cartésien) であった私が (これはそう意識していたわけではなく、今になって言えることだが) ここ2-3年でその状態に満足できなくなり、思索を重ねてきた結果が 「全的に考える」 に関連する記事になった。

   科学すること、賢くなること (2006-12-15)
   パスカルによる 「私」 の定義 (2007-01-29)
   全的に考える (2007-02-12)

それは、ある意味においてパスカル主義者 (pascalien) に変わったことを意味していることにに気付いたのだ。すなわち、この間に私が考えていたのと同じことを彼が考えていたことを知り、驚くと同時にパスカルが非常に近く感じられるようになっている。例えば、彼のこんな言葉に対して反応していた。

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「世間では、詩人という看板を掲げなければ、詩の鑑定ができる者として通用しない。数学者その他の場合も同じである。しかし、普遍的な人たちは、看板などまっぴらで、詩人の職業と刺繍師のそれとのあいだに、ほとんど差別をつけない。
 普遍的な人たちは、詩人とも、幾何学者とも、その外のものとも呼ばれない。しかし、彼らは、それらのすべてであり、すべての判定者である。だれも彼らを見破ることができない。彼らは、はいってきたときに、人が話していたことについて話すだろう。ある特質を用立てる必要が起こったとき以外は、彼らのなかで特にある一つの特質が他のものよりも目立つということはない。しかし、そのときには、思い出されるのである。なぜなら、言葉のことが問題になっていないときには、彼らが上手に話すと人は言わないが、それが問題になっているときには、彼らが上手に話すと人が言うのも、これまたその特徴だからである。
 したがって、ある人がはいってきたとき、人々が彼のことを、詩に秀でていると言うならば、それはにせものの賛辞を彼に呈しているのである。そしてまた、何か詩句の鑑定で問題になっているときに、人々がある人にそれを頼まないとしたならば、それは悪い兆候である」

 On ne passe point dans le monde pour se connaître en vers si l'on <n'> a mis l'enseigne de poète, de mathémathicien, etc., mais les gens universels ne veulent point d'enseigne et ne mettent guère de différence entre le métier de poète et celui de brodeur.
 Les gens universels ne sont appelés ni poètes, ni géomètres, etc. Mais ils sont tout cela et juges de tous ceux-là. On ne les devine point et <ils> parleront de ce qu'on parlait quand ils sont entrés. On ne s'aperçoit point
en eux d'une qualité plutôt que d'une autre, hor de la nécessité de la mettre en usage, mais alors on s'en souvient. Car il est également de ce caractère qu'on ne dise point d'eux qu'ils parlent bien quand il n'est point question du langage et qu'on dise d'eux qu'ils parlent bien quand il en est question.
 C'est donc une fausse louange qu'on donne à un homme quand on dit de lui lorqu'il entre qu'il est fort habile en poésie, et c'est une mauvaise marque quand on n'a pas recours à un homme quand il s'agit de juger de qulques vers.<br>


「オネットム。
 人から 『彼は数学者である』 とか 『説教家である』 とか 『雄弁家である』 と言われるのでなく、『彼はオネットムである』 と言われるようでなければならない。この普遍的性質だけが私の気に入る。ある人を見てその著書を思い出すようでは悪い兆候である。何か特質があったとしても、たまたまそれを <何事も度を過ごさずに> 用立てる機会にぶつかったときに限って、それに気がつかれるようであってほしい。さもないと一つの特質が勝ってしまって、それで命名されてしまう。彼が上手に話すということは、上手に話すことが問題になったときに限って思い出されるようでなければならない。しかもそのときにこそは、思い出されなければならないのである」

 Honnête homme.
 Il faut qu'on n'en puisse <dire> ni "Il est mathématicien", ni "prédicateur", ni "éloquent", mais : "Il est honnête homme." Cette qualité universelle me plaît seule. Quand en voyant un homme on se souvient de son livre, c'est mauvais signe. Je voudrais qu'on ne s'aperçût d'aucune qualité que par la rencontre et l'occasion d'en user, "ne quid nimis", de peur qu'une qualité ne l'emporte et ne fasse baptiser ; qu'on ne songe point qu'il parle bien, sinon quand il s'agit de bien parler, mais qu'on y songe alors.

   "ne quid nimis" = rien de trop


「すべてをすこしずつ。
 人は普遍的であるとともに、すべてのことについて知りうるすべてを知ることができない以上は、すべてのことについて少し知らなければならない。なぜなら、すべてのことについて何かを知るのは、一つのものについてすべてを知るよりずっと美しいからである。このような普遍性こそ、最も美しい。もしも両方を兼ね備えられるならばもっとよいが、もしもどちらかを選ばなければならないのだったら、この方を選ぶべきである。世間は、それを知っており、それを行っている。なぜなら、世間は、しばしばよい判定者だから」

 Peu de tout.
 Puisqu'on ne peut être universel en sachant pour la gloire tout ce qui se peut savoir sur tout, il faut savoir peu de tout, car il est bien plus beau de savoir quelque chose de tout que de savoir tout d'une chose. Cette universalité est la plus belle. Si on pouvait avoir les deux, tant mieux ; mais s'il faut choisir, il faut choisir celle-là. Et le monde le sait et le fait, car le monde est un bon juge souvent.

   (『パンセ』 前田陽一・由木康訳)

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最後の言葉は、私に促しの力を持って迫ってくる。

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全的に考える PENSER D'UNE MANIERE TOTALE

2007-02-12 00:30:19 | 哲学
以前に、自分の全存在の中における科学の占める位置がどれほどのものなのかについて、「科学すること、賢くなること」 と題して書いた。「人間としてある」 という中で、科学をすることから得られるものがどの程度のものなのか、という問題である。これは科学に限らないかもしれない。一般に、仕事と言われているものに当てはまることだろう。仕事をすることと人間存在について考えることとは必ずしも一致しないどころか、前者が後者を邪魔している場合が多いのではないか、という疑問であった。少なくとも私の場合、仕事を口実に自らの存在についての考察を避けてきた、先延ばしにしてきたということに気付き、そろそろその問題を全的に考える時期に来ているのではないかという思いが頭をもたげてきたように感じたのだ。

昨年出会ったピエール・アドーさん
の "La philosophie comme manière de vivre" (「生き方としての哲学」) を読んでいて、これに対応するような問題に触れているところにぶつかった。

Dans ce perspective, j'ai été influencé, dans ma jeunesse, par le cardinal Newman, qui a écrit une Grammaire de l'assentiment, dans laquelle il distingue les assentiments notionnels et les assentiments réels ; en anglais notional et real assent. L'assentiment notionnel, c'est l'acceptation d'une proposition théorique à laquelle on adhère d'une manière abstraite, comme une proposition mathématique, 2 et 2 font 4. Cela n'engage a rien, c'est purement intellectuel. Le real assent, c'est quelque chose qui engage tout l'être : on comprend que la propostion à laquelle on adhère va changer notre vie.

「この点について、私は若き日に教えを受けた枢機卿ニューマン氏に影響を受けました。彼は 『同意の基本原理』 という本の中で、観念的な同意と現実的な同意を分けて考えています。観念的同意とは、抽象的に支持する理論的命題 (例えば、2+2=4 というような数学的命題) の同意のことで、われわれに何事をも促すことのない、純粋に知的なものです。それに対して、現実的同意はすべての人を促すものです。それは、支持する命題がわれわれの人生を変えうるものとして理解されます。」


ところで、先日のジャクリーヌ・ド・ロミイさんのインタビューで、扇動政治はこの人の時代からあると紹介されていたアルキビアデス (Alcibiade; vers 450 - 404 av. J.-C.) という人物に興味が湧き、彼について読むことにした。手始めに、プラトンによる 「アルキビアデス I」 をこの連休に紐解いてみた。この対話は、美少年であったアルキビアデスに思いを寄せるソクラテスがその愛を告白するところから始る。あなたの付属物 (肉体・美貌) に惹かれて寄ってくる連中が去っていってもわたしはあなたそのもの (心・魂) に惹かれているので、それが向上をやめない限りあなたから離れることはない、というのがソクラテスの心である。この対話で扱われているひとつのテーマが、まさに 「全的に考える」 という問題と関係していた。

できるだけすぐれた善い人間になることが望みであることに一致した二人は、さらに話を進める。何にすぐれた人なのか、と問われたアルキビアデスは仕事をすることと答える。それではどんな仕事なのかと問われ、結局どの仕事も賢さをもたらさないことにアルキビアデスは気付かされる。そしてデルポイの神殿の箴言 「汝自身を知れ "connais-toi toi-même"」 という言葉の意味を探ることになる。

私自身の疑問は、人類が目覚めて以来存在し続けた問題であったことがわかる。この対話はアルキビアデスが20歳くらいの時のものらしい。それ以後の彼の人生は波乱万丈で、その中にロミリさんが指摘していた扇動政治との関連も出てくるはずである。この人物については、これからも読んでいきたいと思っている。

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老子を読み、翻訳を考える QUELLE EST LA MEILLEURE TRADUCTION?

2007-02-10 00:33:57 | 哲学

最近、「老子」 を読み始めている。本屋で目に入った以下の3冊とマルセル・コンシュさんの本を参考にしながら。最初は加島氏の訳、それから小川氏と王氏のものを読むことになった。

老子」 小川環樹訳 (中公クラシックス)
タオ ― 老子」 加島祥造訳
老子 (全) ― 自在に生きる81章」 王明訳
Lao Tseu "TAO TE KING" Marcel Conche訳・註

その中で気付いたことがある。老子の何たるかも知らない状態から始めているので、最初に触れた加島氏の訳が親切でよいと思っていた。それからしばらくして小川氏の本を読んでみた。この本は、原典に忠実に、意味を膨らまさずに訳している。この本は研究書の香りもあり、言葉の意味について詳しい解説がされていて、自分で意味を探ろうとする時に役に立つ。

古典を読む時、あるいは外国のものを読む時、訳者の主観で丁寧に訳すというよりは、少々ぶっきらぼうなくらいに原文に即して日本語にする方が、読む方にとってありがたいということに今回思い当たる。余りに丁寧に分かりやすく訳されてしまうと、読者の側の想像力を働かせる余地がなくなっていることに気付いたのだ。その視点から老子に限って言うと、小川氏の訳が圧倒的によい。マルセル・コンシュさんの訳も簡潔で、その意味するところを考えさせる。「思いを巡ら」 さざるを得なくなる。しかもコンシュさんの解説は、古代ギリシャの哲学にまで遡る西洋の文化を背景にして書かれているので、東と西を考える上で興味津々な内容になっている。

時間に追われている現代人には読みやすいものが好まれるのだろうが、実は読者が自らの想像力を刺激するという一番の楽しみを奪われていることになっている。よく直訳のような日本語だと言って非難されるものもあるようだが、それがどのような意味なのかを考え直したり、原文はどうなっているのかと想像したりするという楽しみもあるような気がしてきた。こんなことに気付くということは、精神的な、時間的な余裕が出てきたということなのだろうか。

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ジャクリーヌ・ド・ロミイ (II) JACQUELINE DE ROMILLY

2007-02-08 00:01:56 | 哲学
ロミイさんのインタビューの続きをもう少し。

LT : Il existe d'autres formes de pensée que littéraire, sans pour autant tomber dans la barbarie.

 文学以外でも野蛮に陥ることのない思想様式はあると思いますが、、。

JdR : Sans doute, mais plus simplistes, qui assènent des vérités toutes faites, pauvres et sans nuances. Et qui risquent donc de déboucher sur une pensée appauvrie, squelettique. La pensée demande des correctifs, des nuances, de la subtilité, pas des dogmes tout faits issus des fast-foods de la réflexion.

 もちろんです。しかしその場合、月並みで、貧弱で、ニュアンスに欠ける事実を突きつけるだけの単純化されたものになります。したがって、豊かさに乏しい骨格だけの考えになる危険性があります。思想には、表現を和らげるもの、ニュアンス、繊細さが必要で、ファストフードのような 「レフレクシオン」 (考察)から出てくるありきたりのドグマは必要ありません。

J'ai crée une association, Sauvegarde des enseignements littéraires, et tout récemment une autre qui est le prolongement de la première, Elan nouveau des ctioyens. Elles visent à réveiller les valeurs de la démocratie et à les remettre au coeur du débat citoyen.

 私は 「文系教育の擁護」 という組織を作りました。つい最近、この延長線上にもうひとつ 「市民の新しい躍動」 という会も。このふたつは、デモクラシーの価値を呼び起こし、それを市民による討論の中心に取り戻すことを目指しています。

LT : Vous craignez une guerre des civilisations ?

 あなたは文明の戦争が心配ではありませんか。

JdR : Ne simplifions pas, là encore. Je refuse de résumer, de schématiser les enjeux en termes politiciens qui seraient plein d'allusions anachroniques. Le danger de la démocratie, le seul, le vrai danger, c'est la démagogie... Rien n'a changé depuis le temps d'Alcibiade.

 ここでも単純化しないようにしましょう。私は、時代錯誤の匂いに富む政治家の言葉で問題を総括したり、図式化しないようにしています。デモクラシーの危機、ただひとつの本当の危機は扇動政治です。古代ギリシャのアルキビアデス (450? - 404 av.J.-C.) の時代から何も変わっていません。

LT : L'âge ne vous a pas atteinte. Vous avez une forme, une fraîcheur, un dynamisme étonnants. Et toujours le même humour, la même aptitude au bonheur de vivre. Quel est votre secret de jouvence ?

 あなたはお年を感じないくらいの素晴らしい健康と若々しさと活力、そしていつも変わらないユーモアと生きる喜びを味わおうとする心をお持ちのようですが、その若さの秘訣は何でしょうか。

JdR : La passion, pardi ! La passion de ce que je fais, de mon travail, de mes recherches, et puis l'amour, l'amour pour mon cher Thucydide. Quant à parler de fraîcheur, vous êtes très gentille, mais j'aurai 94 ans dans quelques semaines. Et je me sens plutôt défraîchie. La vieillesse est un terrible combat que l'on est sûr de perdre et que l'on s'obstine à mener. Tout se dégrade, se défait, pouah, affreux ! On peut avoir acquis des qualités de sagesse, de hauteur de vues, de courage moral, de stoïcisme (il faut bien se consoler avec des aspects positifs), mais on perd la vue, l'ouïe, la marche. Il n'y a pas de quoi se réjouir. Je reconnais cependant que j'ai toujours gardé mon humour et la capacité de rire des situations cocasses.
 
 もちろん、情熱です。自分のしていること、仕事、私の研究、そして愛、私の大切なトゥキディデスへの愛。若さについてのお言葉、ありがとうございます。しかし、あと数週間で94歳になります。ですから、むしろ色褪せていくと感じています。老いは、負けることがわかっていて必死に立ち向う酷い戦いです。すべてが衰え、崩れ、ああー、本当に酷い。賢さ、達観、道徳力、克己心などの特質を得ることはできますが (ポジティブな面にも目をやらなければ)、目は見えなくなる、耳は遠くなる、そして歩くこともままならなくなります。何を楽しめと言うのでしょうか。ですが、私はいつもユーモアを失うことなく、おかしな場面では笑うことができるようにしてきたと思っています。

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ジャクリーヌ・ド・ロミイ: 野蛮に抗する ROMILLY CONTRE LES BARBARES

2007-02-07 00:28:01 | 哲学
一年半ほど前に取り上げた人が、再び LE POINT の IDEES 欄 (「思想」 というコーナーが一般週刊誌にあるというのもフランス的か?) に登場。

Jacqueline de Romilly (26 mars 1913 -)

ギリシャにとことん惚れ込んだ (hélleniste) フランスの哲学者。もう少しで94歳になる。彼女に最初に気付いたのは年齢であったが、その学識の深さを感じ取ることができた時、尊敬に変わっていた。この方はこれまで女性の道を切り開いてこられたようで、アカデミー・フランセーズにはマルグリット・ユルスナールに次いで入り、コレージュ・ド・フランス初の女性教授になっている。今回、フランスで最高の栄誉とされる大十字レジオンドヌール勲章 (La Grand-croix de la Légion d'honneur) を女性では5人目に受章された。

  (注)レジオンドヌール勲章には、上からあげると以下の5つの等級がある。
     『グラン・クロワ』(Grand-Croix, 大十字)
     『グラン・ドフィシエ』(Grand-Officier, 大将校)
     『コマンドール』(Commandeur, 司令官)
     『オフィシエ』(Officier, 将校)
     『シュヴァリエ』(Chevalier, 騎士、勲爵士)

このインタビュー記事は、受章の機会に彼女の考えを聞こうというもので、その核心にあるのは 「思考と熟考の衰退」 に対する警告である。

"La pensée et la réflexion se meurent."

彼女の考えを聞く前に、「パンセ」 と 「レフレクシオン」 とはどういうことなのか、Le Grand Robert で調べてみた。

La pensée = Activité de la conscience considérée dans son ensemble ou ses manifestations, chez individu;
L'activité cérébrale, considérée comme la source de la faculté de connaître, comprendre, juger, raisonner...

  個人においては、意識の全体としての活動あるいはその表れ。
  知り、理解し、判断し、推論するなどの能力の源泉と考えられている大脳の活動。

La réflexion = Retour de la pensée sur elle-même en vue d'examiner et d'approfondir telle ou telle donnée de la conscience spontanée, telle ou telle de ses actes spontanées.

  自然に出てくる意識や行動の状況を検証、深化するために、「パンセ」 という行為を自らに向けること。
  (最初に使われたのは、デカルトによる "faire réflexion"、"faire une réflexion" とのこと)

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Le Point (LP) : 今回、考えられる最高の栄誉を手にしたわけですが、お気持ちは?

Jacqueline de Romilly (JdR) : これまでもいろいろの栄誉を受けてきましたが、一番嬉しかったのは初めて女性が大学に入る権利を得た1930年、17歳の時の試験でギリシャ語、ラテン語で賞をもらったことです。陶然とさせるものでした。それ以後、それに匹敵する幸福感につつまれたことはありません。

"Savez-vous ce qui m'a procuré la plus grande joie ? En 1930, j'avais 17 ans, les filles ont eu pour la première fois le droit de se présenter au Concours général et j'ai eu cette année-là les prix de grec et de latin. Rien par la suite ne m'a jamais redue aussi heureuse. C'était grisant."

あなたのご質問に答えるとすれば、自分の仕事を人に認められることはいつも気持ちのよいもので、これから自分の持てるものを出し尽くして仕事に当たっていく上で大きな励みになります。

"Pour répondre à votre question, c'est toujours agréable et flatteur pour son ego d'être reconnu pour son travail et félicité, mais c'est surtout un formidable encouragement pour continuer la lutte que je mène et assumer jusqu'au bout de mes forces la tâche que je me suis fixée."

LP : あなたはヘレニストで、消滅の道を歩んでいる古代言語、特にギリシャ語の教育が永続するように何十年も戦ってこられました。今回授章されたことで、未来は明るいとお考えですか。

"Vous êtes helléniste. On connaît la bataille que vous menez depuis des décennies pour que perdure l'enseignement des langues anciennes, et en particulier du grec, en voie de disparition. N'êtes-vous pas finalement optimiste pour l'avenir puique votre combat est reconnu et honoré ?"

JdR : 私は古代語にも、フランス語にも、古典研究一般にも、われわれの文明の未来に対しても余り楽観していません。急激な精神的目覚めがなければ、われわれは破滅に向かい、野蛮の時代に入るでしょう。今や、無関心だけではなく、理性や知性に対する軽蔑さえあります。

"Je ne suis pas très optimiste, ni pour mes chères langues anciennes, ni pour la franaise d'ailleurs, ni pour les humanités en général et, pis, guère plus pour l'avenir de notre civilisation. S'il n'y a pas un sursaut, nous allons vers une catastrophe et nous entrons dans une ère de barbarie. Il y a un désintérêt et même un dêdain pour la Raison et les Lumières."

私がギリシャの文献に惹かれるのは、理性に基づく思考や熟考の誕生との出会いであり、まだ混沌としていた世界で初めて現われた精神の輝きの迸りです。ギリシャ哲学のすべての政治倫理は、明晰さと普遍性を求めています。それは成功しましたし、全く輝きを失っておらず、彼らが求めていたことは現代的な課題でもあります。

"Ce qui me passionne dans les textes grecs, c'est la rencontre avec la naissance de la pensée raisonnée, rationelle, de la réflexion, c'est l'irruption de la lumière qui est apparue pour la première fois dans un monde encore confus et obscur. Toute la morale politique de la philosophie hellènes visent à la clarté et à la l'universel. Et elles ont réussi, rien n'a vieilli, leurs préoccupations sont d'une telle actualité !"

考えること、熟考すること、正確を期すこと、話す時の言葉を吟味すること、構想を互いに交えること、他人に耳を傾けること、これらを学ぶことこそ対話を可能にし、われわれの周りに高まっている恐るべき暴力を防ぐ唯一の方法になります。言葉は野蛮に対する盾になります。

Apprendre à penser, à réfléchir, à être précis, à peser les termes de son discours, à échanger les concepts, à écouter l'autre, c'est être capable de dialoguer, c'est le seul moyen d'endiguer la violence effrayante qui monte autour de nous. La parole est le rempart contre la bestialité.

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老子 「道徳経」 を読み始める COMMENCER A LIRE "TAO TE KING"

2007-02-01 00:17:31 | 哲学

最近、老子という存在に気付く。ここでも紹介しているマルセル・コンシュさんが訳し、考察を加えていることを知り、どんな考えの持ち主かを知りたくなった。先日、本屋で加島祥造氏の現代語訳に触れ、彼らを参照しながらゆっくりと原典に当たってみようという気になってきている。いつものようにその場所を設けてみた。

老子を読む LIRE "TAO TE KING"

 老子 「道徳経」 の参考として:
    "Lao Tse : Tao Te King" (マルセル・コンシュ訳・註)
    「老子」 小川環樹訳 (中公クラシックス)
    「タオ ― 老子」 (加島祥造訳)
    「タオにつながる」 (加島祥造)

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パスカルによる 「私」 の定義 QU'EST-CE QUE LE MOI ?

2007-01-29 00:35:39 | 哲学

このブログの姉妹版に 「フランス哲学メモ」 MÉMENTO PHILOSOPHIQUE というのがある。最近、パスカルによる 「私」 についての断章を読み、そこに記事を書いた。今日はその記事をそのまま転載したい。

(注:ブログ「フランス哲学メモ」の記事は「今なぜ『科学精神』」なのか?」の中に移されました。パスカルに関する記事は、カテゴリ「Pascal」にあります。2008年8月)

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Qu'est-ce que le moi ? 「私とは?」

Un homme qui se met à la fenêtre pour voir les passants, si je passe par là, puis-je dire qu'il s'est mis là pour me voir ? Non, car il ne pense pas à moi en particulier. Mais celui qui aime quelqu'un à cause de sa beauté, l'aime-t-il ? Non, car la petite vérole, qui tuera la beauté sans tuer la personne, fera qu'il ne l'aimera plus.

外を行く通行人を見るために窓に身を置く人がいる。もし私がそこを通ったとしよう。彼は私を見るためにそこにいると言えるだろうか。答えは否である。彼は私を特に見ようとは考えていないからだ。しかし、美しさゆえに誰かを愛しているとする。それはその人を愛しているだろうか。答えは否。なぜなら、その人を殺すことのない天然痘によりその美しさがなくなると最早愛さなくなるからだ。

Et si on m'aime pour mon jugement, pour ma mémoire, m'aime-t-on moi ? Non, car je puis perdre ces qualités sans me perdre moi-même. Où est donc ce moi, s'il n'est ni dans le corps, ni dans l'âme ? Et comment aimer le corps ou l'âme, sinon pour ces qualités, qui ne sont point ce qui fait le moi, puisqu'elles sont périssables ? Car aimerait-on la substance de l'âme d'une personne abstraitement, et quelques qualités qui y fussent ? Cela ne se peut, et serait injuste. On n'aime donc jamais personne, mais seulement des qualités.

そして、もし私が私の判断力や記憶力のために愛されているとする、その場合私は愛されているのだろうか。そうではない。なぜなら、私を失うことなくこれらの特質をなくすことがあるからだ。私が体でもなく精神にもないとすれば、一体どこに私があるのか。そして滅びうるゆえに私を構成し得ないこれらの特質がないとすると、どのように体や精神を愛することができるのだろうか。なぜなら、その精神を構成するいくつかの特質がどんなものであれ、ある人の精神の実質を抽象的に愛することになるだろうから。それはありえないし、正しくもないだろう。したがって、人は決しては私の実質そのものを愛することはなく、その特質だけを愛するのである。

Qu'on ne se moque donc plus de ceux qui se font honorer pour des charges ou des offices, car on n'aime personne que pour des qualités empruntées.

職責や公職のために尊敬されている人をもう揶揄すべきではない。なぜなら、人は借り物の特質によってしか愛さないのだから。

(拙訳)
Pensées (1670)
fragment 323 dans l'édition L. Brunschvicg
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読んでいると、「私」 がどこにあるのか、わからなくなる。人が人を見るとき、まずその人の外側 (パスカルも指摘しているが、例えば職など社会的地位)に影響を受ける。それを知ろうとする。この傾向は特に日本で強いように感じる。街に出て知らない方とお話をする場合、まず何をされているのですか、と聞かれる。その情報なしには不安で話ができないというところがあるのだろうか。余談だが、そういう時に 「私の仕事は生きることです」と答えることがある。もちろん、ほとんどの場合相手にされないが、それが本心であり、私の理想である。

本題に戻る。人はその特質ゆえに愛することになるという。その特質がなくなったときには私はどこにあるのだろうか。特質とともに私は消え去るのだろうか。魂のなくなった肉体を愛することができるだろうか。あるいは、以前とは見まがうような醜い体に宿る魂を愛することができるのだろうか。このような状況は、今や日常的になりつつある。記憶力を失い、意志の疎通もできなくなった私を人は愛するのだろうか。事故に会い、全く機能しなくなった体を持った私は愛されるのだろうか。

それは、どこにその人の最終的な存在意義を見ているのかによって変わってくるような気がする。さらに言えば、最後まで残るその人の借り物ではない特質をどこに見ているのか、その特質をどれだけ意識的に形にして捉えているのか、そこにかかっているような気がする。それがはっきりとしたものとして捉えられていれば、その人が滅びた後も、その特質は記憶、記録に残すことができるだろう。そしてその特質に触れることにより愛することも可能ではないのか。「私」の底を貫くような、通奏低音のように鳴り響いている特質だけではなく、ある時期に現れた特質をも含めて 「私」 と定義できないだろうか。

もしそうだとすれば、精神といえども眼に見える形にしておかなければ、そう努めなければ 「私」 は存在しなくなるだろうし、ましてや愛されることなど望めないだろう。しかし、たとえ記録に残しておいた 「私」 だとしても、その存在が保証されているわけではない。古代アレキサンドリアの図書館にあった膨大な記録は影も形もなくなっている。このネット上の記録にしたところで、単純なミスによって一瞬に消え去るかもしれない。そう考えると、「私」 が確実に存在しているのは、私に触れたことのある人が 「私」 と言えるかどうかわからない借り物の特質も含めて記憶している間だけのことになるのだろうか。


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26 mai 2007 人間にとって記憶とは À QUOI SERT LA MÉMOIRE ?

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ドゥニ・ディドロの人生 LA VIE DE DENIS DIDEROT

2007-01-25 22:25:38 | 哲学

ある方からのメールにこの人の名前を見つけ、興味が湧いて調べてみた。「百科全書」 l'Encyclopédie を仕上げた人として学生時代に聞いたことがあるだけで、どんな考えをもって生きた人なのか全く知らなかったからである。

ドゥニ・ディドロ Denis Diderot (5 octobre 1713 à Langres - 31 juillet 1784 à Paris)

彼が生きたのは、日本で言えば七代将軍徳川家継、その後の吉宗、家重、家治の時代に当たる。ざっと年表を見てみると、思いの外興味深いことを考え、実行していたことを知り、一気に親しみを覚える。

27歳、パリで哲学を学ぶ。この時期の生活はよくわかっていないが、ボヘミアンのような生活をしていたという (il mène une vie de bohème)。
28歳の時、ジャン・ジャック・ルソー Jean-Jacques Rousseau に出会う。
30歳でホテルのシーツ整理係の女性 (lingère) と密かに結婚。
33歳にして、"Pensées philosophiques" を出版するも直ちに糾弾される。
34歳、百科全書をジャン・ダランベール Jean d'Alembert とともに出版。
36歳、「盲人に関する手紙」 "Lettre sur les aveugles à l'usage de ceux qui voient" を出版するも、その唯物論的立場 Les positions matérialistes によりヴァンセンヌの森にある牢マルキ・ド・サドミラボーが投獄された) に3-4ヶ月投獄される。昨年その辺りを歩いたことがあり、彼の人生を近くに感じる。
40歳、唯一人の子どもマリー・アンジェリックが誕生。
42歳の時、生涯の愛人となるソフィー・ヴォランと出会う。
49歳、ロシアのエカテリーナ2世が彼の仕事を助けるために書籍を買い上げる。
52歳、百科全書を書き終える。認知度が低いことや出版社 Le Breton の態度に対して苦々しい思いを抱きながら。
59歳、娘が結婚。
60歳、エカテリーナ2世に対する感謝の念からか、サンクト・ペテルブルグへ旅立つ。この旅行が彼の命を縮めることになる (Ce voyage auront certainement raboté sa vie de quelques années.)。
71歳、パリで亡くなる。フランス革命で墓は荒らされ、今はどこにあるのかわからないという。

彼は科学と形而上学との関係について、例えば 「盲人に関する手紙」 において彼独自の方法で解析した。ひとつの体系を構築するのが哲学者だとすれば、彼は哲学者と言うよりは思想家と言った方がよいだろう。問題を提起し、矛盾点を挙げ、思索した。

"Curieux, cultivé, travailleur infatigable, touche-à-tout"
(好奇心に溢れ、教養があり、(後世での評価だけを求めた) 疲れを知らない働き屋で、何にでも手を出した男)

彼の作品の紹介を読んでみると、極めて現代的なテーマを扱っている。いずれ読んでみたいものばかりである。ところで、最近取り上げたエリック・エマニュエル・シュミット Eric-Emmanuel Schmitt さんは、学生時代ディドロについての論文 "Diderot et la métaphysique" を書き、物書きになってからも彼についての本を書いている。いずれ触れてみたい。

Diderot ou la philosophie de la séduction (1997)

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デカルトの人生 LA VIE DE DESCARTES

2007-01-21 12:11:08 | 哲学

物理学者、数学者にして最も知られたフランスの哲学者。数学に霊感を受けた理性、論理の力 (l'esprit cartésien) を明らかにした近代哲学の父。理性を中心に据えるこの男の底には、想像力、直感を重視するところもあった。その中味については、いずれ触れることにして、今日は彼の人生を振り返ってみたい。

ルネ・デカルト René Descartes (la Haye, 31 mars 1596 - Stockholm, 11 février 1650)

16世紀終わりにラ・エに生を受け、8歳から16歳までイエズス会の学校でよりよい人生を営むために知への強い欲求を持ちながら勉学に励む。しかし、そこで行われている哲学、科学に対しては失望と懐疑の念を抱き続ける。その中で、数学に対する興味と宗教への熱い思い、教会への敬意を覚える。

1618年 (デカルト22歳の時)、軍隊に入り、オランダ、デンマーク、ドイツに駐留。この間、論理学 (la logique)、幾何学 (la géométrie)、代数学 (l'algèbre) の統合を通して、すべての科学、すべての哲学の刷新を目指す。そして、1619年11月10日、3つの夢を見る。この神秘的な出来事を、自分の使命は哲学に打ち込むことであると解釈し、軍隊を辞める。1620年から28年まで (24歳から32歳にあたる) ヨーロッパを広く旅し、偏見を捨て、経験を積み上げ、彼の方法論を深めた。

1628年、オランダに落ち着き、その後20年に渡って住まいを変えながら静寂の中で自らの哲学完成に全精力を傾ける。哲学者には孤独が必要なのだ (Le philosophe a besoin de solitude)。彼の座右銘はラテン語で "Larvatus prodeo" (Je m'avance masqué) 「私は仮面をして前進する」。その大きな成果 「方法序説」 "Discours de la Méthode" が1637年に出版される。デカルト41歳の時である。

「方法序説」 の原題は、
"Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la verité dans les sciences"
『みずからの理性を正しく導き、諸科学における真理を探究するための方法序説』

となっており、屈折光学・気象学・幾何学 (La Dioptrique, Les Météores, La Géométrie) についての科学論文の序文として書かれたもの。当時の本として特異なところは、専門家向けのラテン語ではなくフランス語で書かれていることである。ごく普通の人々に語り掛けたいという彼の意思を感じる。当時ガリレオが教会と衝突していた原因が、科学と宗教の間の誤解ではないかと考え、その和解を願うようなところがあったのかもしれない。

1641年 (45歳)、「省察」 "Méditations métaphysiques" (ラテン語からの直訳は、Méditations sur la philosophie première)、1644年 (48歳) には 「哲学原理」 (ラテン語からの訳は、Les Principes de la philosophie) を発表。この時期に、オランダに亡命していたボヘミアのエリザベート王女に出会い、文通を始める。この交流の中で自身の思想を深め、「情念論」 "Les Passions de l'âme" (1649年) にまとめる。

その名声がスウェーデン女王クリスチーヌの耳にも届き、1649年2月に招待される。躊躇した彼だが、9月にはスウェーデンに向かう。そこでは毎朝5時から女王にご進講。さらに、新しい環境、冬の厳しさ、知識人の嫉妬などで、その滞在は不愉快なものになった。そして翌年2月には風邪をこじらせ、肺炎によりストックホルムで亡くなる。享年53。

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机に向かうだけの哲学者ではなく、世界中を旅し、心を開き、孤独の中で自らの思索を進め深めていった彼の生き方には惹かれるものを感じる。

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正月の読書で、ある発見 UNE PETITE DECOUVERTE DE 2007

2007-01-05 23:31:32 | 哲学

昨年、この国に欠けている重要なものの実体と思えるものを 「科学精神」 という言葉で捉えられるようになり、自らも考えを始めることにした。この正月実家に帰り、母親の小さな本棚を覗いていたところ、西田幾多郎の弟子、高山岩男氏による 「西田哲学」 (岩波書店) と坂田徳男という人 (ネットで調べたところ、医学部と文学部を出ている) の 「哲學素描」 (晃文社) が目に留まった。深夜、「哲學素描」 のページをぱらぱらと捲っていて驚いた。

そこには私が最近興味を持ち始めている科学と哲学を取り巻く問題が一般向けに論じられていたからである。さらに、敗戦後数年で出版されたせいか、敗戦の原因についても考察されていて、日本人における 「科学精神」 の欠如を最大のものとしてあげている。読んでみると、日本人は全く進歩していないな、というのが読直後感であった。ほんの一部を引用してみたい。そこから全体の調子が伝わるのではないかと思う。

「戰後育の一方針として論理學の授を中學初年級から課するといふ案を提唱せられた方があつたが賛成である。あらゆる合理的思惟の基礎根柢となる論理學が何故從來我國の育制度上不當に輕視せられたかは、實に全く理解し難いことである。ある友人が私に言った、「日本人には 『理解』 といふことがなく、『情解』 があるだけだ」 と。萬事を感情から割出して考へ易い國民の根本性情がこの戰爭の前後を通じて國家に災いしたことは恐らく敵の優秀な兵器の性能にもまさるものがあつたであろう。
 論理學の無視も、そのやうな學科が實用向でないといふ見地から來たものとすれば、ここにも日本人の心理的近視眼が遺憾なくさらけ出されてゐる。」

このブログでも高校教育に論理的に考えるコースとしての 「哲学」 を組み込んではどうかというようなことを書いたことがある (5 août 2006)。その時に、同じ主張を昔されたことがあるというコメントを悠様からいただいたが、反応がほとんどなかったという。

「何ら明確な概念規定を入れることもできない 『八紘一宇』 といふごとき空疎な理念をば哲學的言辞をもつて粉飾するに日も足りなかった 『哲學者達』 がさらに昨今、民主主義轉向に、看板の塗變へに、これまた日も足りぬ有様を目撃するにつけて、私は世界におよそこれほど無性格な學界をもつ國がまたと他にあらうかの歎を發せざるをえぬ一人である。輕々しく立場を轉換することは政治家においてすら無節操の非難に値する。いやしくも學者の場合、それは痛烈な良心の苦悶を經ずしては起こりえないことではないか。極端から極端への、無論理、無媒介な轉化は、我國の學者の無性格と無良心を表明する以外の何物でもない。彼等は毫も學者ではなく、思想家でもなく、要するに幇間に過ぎないのであり、まづ葬り去るべきは彼等の一黨であるであろう。國民の精神を毒すること彼等に過ぎたるものはないからである。」

激しく本質を突いた言葉が迸り出ている。私の少ない経験と独断を覚悟で言わせていただければ、科学者は言うに及ばず、文系の思想を扱っている人の態度を見ていると、その人の全存在をかけてある思想を語っているというよりは、単なる仕事として語っているようにしか見えないことが多い。自分がどこか別のところにいるのである。日本に哲学研究者はいるが、哲学者は少ないと言われる所以でもあるのだろう。それがもてはやされるのか、軽いのである。そのため、環境が変われば全く逆のことも平気で言えるのではないだろうか。そんな思いを捨てられない。

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ところで、この本が出版された日を見たとき、不思議な感慨が私を襲ってきた。それは私が母親の胎内にいたと思われる時期に当たるのである。本人に確かめると、この本を買ったのか、父親から借りたのか、誰かにもらったのか覚えておらず、読んだのかどうかもはっきりしないという。しかし、運命論者の私としてはそこに何らかの意味を持たせようとしているようだ。

2007年正月最初の読書が私にちょっとした発見をもたらしてくれた。

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正月のテレビ EN REGARDANT LA TELEVISION

2007-01-04 00:07:32 | 哲学

正月の夜、NHK-TVを何気なく見ていた。番組名は忘れたが、岸恵子、田辺聖子などの人生が紹介されていた。田辺聖子の人生も興味深いものであったが、岸恵子が自らの人生を語っている最後のところを見ることができ、その中でこんなことを言っていた。言葉どおりではないが、そのエッセンスは以下のように記憶している。

「人生には気のようなものが流れていて、それはアンテナを張り巡らせていなければつかめない。それに気付かなければ手からすり抜けていく。人生を大きく変えるチャンスを失うことになる。人生に変化は大事。それが苦しいものになるかもしれないし、成功に結びつくことになるかもしれないが、、。」

それから同じ夜、昨年気付いたあの人に会いたい」 が流れていた。すぐに終わると思っていたところ、次から次に昔の人が出てきて懐かしさも手伝ったのか、ついに最後まで見てしまった。寝たのは4時過ぎだっただろうか。

秋山庄太郎、沢村貞子、浜口庫之助、井伏鱒二、幸田文、中村元、長沢節、笠智衆、浜田庄司、三浦綾子、村野藤吾、森瀧市郎、横山隆一など。

それを見ていて、人はその一生をかけてひとつのことを言っているように感じた。あるいは、人はひとつのことを言うためにこの世に生まれてきたのではないのか、という感慨を持っていた。そのまとめの言葉を早い時期に書くことができる人もいるし、その一生が終わるまで書くことができない人もいるだろう。できれば最後までそのまとめができないような人生を歩んでみたいものである。

そして、以前に読んだ寺山修司の歌が浮かんでいた。

   “人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ” 
                     - ロング・グッドバイ -

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