つかむコンパス
むぎゅう。
つかんで嬉しいのは"コンパス"だけではない。
はじめてつかむ綺麗な姐さんの両のおっぱい。
勤労の見返りはこんなにも大きいのかっ!
意外にも世の中は楽しく、ちょろいかもしれない。
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将棋のプロテストに失格後、昼間はそこそこ高校にも通う当時16、7歳の私が、文京区は小石川にある景気の良さそうな製本会社で堅気のアルバイトに励んだ時期がある。
電話帳の製本という実に単調な作業だったが、それでもいかにキレイに、いかに素早くこなすかというテーマを発見してからは、それなりに楽しくやってた。
褒められたくてそうした訳ではないが、そんな仕事のやり方がそこの社長の目にとまったみたいで、毎週土曜の仕事がひけたあと、幹部連中と共にくり出す盛り場遊びのお仲間に加えてもらった。
37年前の国鉄・大塚駅あたりの、1軒目はそこそこの割烹で、2軒目がちょいヤバのキャバレーというのがお決まりのコースだった。
何せ高1のガキである。今じゃそうもいかねえだろし、随分とのどかな時代でもあったわけだ。
勘定はすべて社長持ち。時給230円で働く少年にとっては夢のような豪遊である。
「ほれ遠慮すんな勤労学生、ハタラキもんの特権じゃあ」
気さくな先輩たちの温かいアドバイスに、こーゆー状況下ではとっても素直な私が、じゃあひとつすんません、と遠慮なくそのお宝をつかませていただいたのが冒頭のシーンだ。
「この子ロコツぅー」とバカ笑いする、その奥村ちよ似な姐さんの鼻血の出そーなセクシーバディを全身全霊で受けとめたあの歓喜の瞬間を、昨日のことのように思い出す。
恥ずかしながら男の場合、こうした出来事はとっても大きな人生上のモチベーションになり得る。
まるでパブロフの犬のように、その後の私が、どんな仕事でもとりあえずしっかりやっときゃ、きっとその内いー事あるだろーという具合の人生コンパスを、いとも安易に刷り込まれちまったのは無理もない話だろう。
スケベであることに比例して多少のことではメゲない性格は、どうやら十代中盤のこの時期に思いきり形成されたらしい。
そしてまさしくこの時期に、私はパコ・デ・ルシアに出逢うのだった。
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当時推測したほど世の中はちょろくなかったが、楽しさの点において、渡る世間は予想以上だったかもしれない。
ごく稀に、まじめなんですねと云われれば、原点が原点だけに今でも心で赤面する。
で、そんな奴あ俺ぐれえのもんだろと思いきや、歳を食って周囲を見渡せば、お仲間さんたちはみな似たり寄ったりの風情でもある。
まぢでけな気ではあるんだが情けないこと甚だしい、ペーソスだけは100点満点と云えそーな、ある"勤勉"の真実。
如何にもっともらしく構えたところで、結局は女の手のひらで転がってるだけの男たちの実相は、哀しくもあるのだが、ちょお笑えるところに若干の救いがあるだろう。