フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2012年2月④

2012年02月01日 | しゃちょ日記

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 2012年2月20日(月)/その961◇やっても十年、やらなくても十年

 「やっても十年、やらなくても十年」

 深夜のテレビからそんな言葉がきこえてくる。
 へえっ~とエラく感心した。
 ふいに、中学生の私が妙に感応した言葉を思い出す。

 「何をやっても一生は一生」

 まあ、おんなじような意味合いだが、
 前者の方がより共感できるリアリティがある。

 歳とともにどうしても相談される機会は増える。
 だが、人の人生を決める趣味など私には無い。
 今後はこのひと言で片付けようかなと思った。

 やっても十年、やらなくても十年。
 決めるのはあんた。
 好きな方を選んだらいいよ。
 
             
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 2012年2月21日(火)/その962◇誰だよおめえ?

 彼は立派だ。

 抑止力にならないケースもあるが、
 抑止力としての死刑について、現状私は確率論的に賛成論者。
 実際私なんかも死刑の存在によって暴走を抑止されている。
 死刑の少ない欧米は文明先進国だが、文化先進国というわけではない。

 確率論信奉者ではないけれど、
 社会はやはり、妥当な確率論を軽視すべきではないと考える。
 自分を含める世間は、いつでも衆愚なわけではないから。

 少なくとも現状日本において、
 被害者よりも加害者の人権に重きを置くような偽善的見識に、
 知性や親しみやリアリティを感じることは出来ない。

 一方、喧嘩両成敗的なバランス上、
 悪しき官やマスコミやモンスター何がしなどに
 怒りの湧き出る心理も自然ではあるが、
 指をくわえたままではあまりに幼く生ぬるい。
 自分の怒りに本当に信念を持てるなら、
 そうした権力内部に実効権を確立するなどして自ら改善すべきだろう。


 う~ん、今日はちょっとユキオやマキャベリが頑張りすぎだが、
 食い詰めた貧民が平和ボケした富民に逆襲する普遍人類史にも、
 やるせない徒労感を感じつつ、じゃあオレは誰かと自問する。


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 2012年2月22日(水)/その963◇束の間の逆襲

 「トンカツは醤油で食いたい」

 これは代々木上原のヘッブバーンこと、
 秀の看板娘カズコと私の代表的な接点である。

 「素材の旨さが引き立つよな」
 「うん、ゼッタイお醤油。
  でも、揚げ立てを何もつけないのも美味しいよね」

 「ああ、パラッと塩を振るのもいい」
 「それもありよね。
  あと、お豆腐なんかでも何もつけないのがいいわ」

 「カズコは素材派だからなあ」
 「わりとそうかも。
  お刺身なんかもお醤油つけないで、そのまま食べたいし」

 「えっ、醤油つけねーで刺身そのまま食っちゃうのか?」
 「そうだよ。旨さがよくわかるから」

 「た、たとえば?」
 「そう、マグロとか」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 これにて絶世の美女カズコと私の、唯一の接点は完全に消滅した。

                  
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 2012年2月23日(木)/その964◇久々の学習

 自分の進路について、人に相談したことはなかった。
 ありがたい人様の忠告も素直に受け容れたことはなかった。
 シノギも入試も創業も結婚もみな、ついでの折の事後報告だった。

 ニ、三日前に日記を書いたあと、ふと、そんなことを思い出した。
 熟考よりも直観を信頼する傾向が強くて、その上シャイで見栄っ張りだ。
 さらに即断実行のO型牡羊座だからそんなマヌケが出来上がる。

 ありがたい人様の経験値にさえ耳を貸さないのだから、
 当然おもしろいように失敗する。
 人生3勝997敗という戦歴は、自ら選んだ妥当な結果と云える。
 だから、あの時ああしておけばよかったという後悔はほとんどない。

 私のことを柔軟性のある人間だと、周囲も私も錯覚したりするのだが、
 それは他者とのコンパスを重視するがゆえの柔軟性であり、
 私自身に対するコンパスは極めつきの直情型単細胞なのであった。

 だから、うっかり人のお悩み相談に乗ってしまう時など、
 相手にマジで反応されると相当にうろたえる。
 オレはオレだからそう思うのであって、
 お前はお前でお前らしい選択をすべきじゃねーか。
 どの道失敗するんだから、どーせ失敗するならお前らしく失敗した方がいい。

 てなわけでこの先は、余計なことは云わずに相手のリスクを回避するために、
 以下のセリフを私の中に改めて叩き込むことにした。
 これにてあらゆるお悩み相談は三分で完了し、楽しい酒をドンチャカ呑める。


 やっても十年、やらなくても十年。
 決めるのはあんた。
 好きな方を選んだらええよ。


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 2012年2月24日(金)/その965◇武者ぶるい

 早くもフラメンコ界の大評判を取りつつある、
 3月号の『ムニョスのフラメンコ写真館』の衝撃。
 ウェブ友の感想には「ポルノ」という言葉が飛び出していた。

 人間の本能たる性を主題にした文学・書画・写真。
 これら総称が本来のポルノの意味であり、
 もちろん彼女の連想は、安手のエロティシズムを指してはいない。

 エロスというのは、表現としてのエロティシズムや、
 衝動としての性欲などを原動力とすることが多いが、
 (そして私はそれらの熱心なアフィシオナードでもあるが)
 本来はもっと素朴で根源的な意味合いで「生きたいっ!」という熱求である。

 エロス(生への衝動)とタナトス(死への衝動)の絶妙なバランスが、
 ムニョスのフラメンコ写真の特徴となっている。
 「生と死のコラボ」とか「厳粛なエロ」みたいな趣きがある。

 スペインから送られてきたこれら写真にわれら編集部は、
 思わず息を止めながら、その後数分間、ただ呆然と眺めていた。
 人は皆、エロスとタナトスの二律背反を背負いながら生きているわけだが、
 写真という二次元メディアを通じ、
 唐突にそれら意識下の実態を明らかにされたことに
 あまりにも鮮烈すぎるショックが走ったのだった。

 すでに人生の3分の2以上をフラメンコに関わりながらも、当たり前のように
 こうした新たな局面に出逢ってしまうところにフラメンコの底なしの深遠がある。
 フラメンコの魅力の謎に迫る切り口が、またひとつ視えてきた。
 同時にそれは写真&活字メディアであるパセオに、
 新たな使命と勇気をもりもりと与えている。

     
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 2012年2月25日(土)/その966◇ミューズの使者

 高校時代、授業合間の稼ぎでやっとのことで購入した
 LPレコード(時給250円時代に2500円だった)の解説の多くが
 濱田滋郎師に拠るものだったことが、
 パセオ創刊の大きな伏線となっていることに疑いの余地はない。

 ギターを主とするクラシック音楽全般、中南米音楽、
 フラメンコなどの領域で活躍される師の解説には、
 他の評論家先生とはどこか根本的に異なる眼差しの温かさがあり、
 その柔らかに豊穣な文章は、危ないシノギで世渡りする青春期の私を
 音楽世界に引っ張りこんでくれる福音書のような存在だった。

 幼いころの紙芝居でわんわん大泣きした童話『泣いた赤鬼』の作者が、
 師のお父上・浜田広介師であることを知るのはずっと後のことだが、
 その目からウロコの事実に大いにうなずいたことを思い出す。

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 きのう2月24日、東京・新宿のハイアットリージェンシー東京において、
 濱田滋郎師(日本フラメンコ協会会長)の77歳の喜寿を祝う
 パーティーが盛大に開催され、クラシックギターやフラメンコなどの
 関係者や愛好家が日本全国から多数詰め掛けた。

 クラシック畑からは大萩康司、福田進一、荘村清志という
 花形ギタリストたちが祝辞とともに颯爽たる演奏を披露。
 フラメンコからは師の愛娘・濱田吾愛がエンリケ坂井のギターで
 気合い満点にカンテソロを熱唱し、
 バイレ大御所・佐藤佑子はエンリケ坂井のカンテ、
 金田豊のギターでソレアを踊り会場を沸騰させた。

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 そして祝賀会ラストには、主人公・濱田滋郎による、
 指の動きはともかくも、この世の極みとも云うべき
 味わい深い音色のギターソロが奏でられ、しみじみと会を締めくくった。

 祝宴の引き出物は師の心尽くしともいうべき単行本『清里スペイン音楽祭20年』。
 1985年の第一回からの貴重なデータや座談会記事などが
 ぎっしり詰まっているのだが、若かりし大物出演者たちの青春が
 ハチ切きれそうなアルバム写真に思わず懐かしさがこみ上げる。

 表紙裏には慈愛に充ちあふれる表情の女性の写真が載り、
 濱田滋郎による献辞がこう添えられていた。


  私を、そして「清里」をよく支えてくれた
    妻・慶子(2009年8月末日没)に
       この一冊を捧げる
                


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