フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年2月①

2011年02月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年2月1日(火)/その583◇他言無用にお願いしたい件

 月曜の午前中にパセオフラメンコ3月号を校了し、
 あとは印刷を待ちながら、
 続く4月号、5月号の追い込みをかける。

 さて、3月号の原稿整理中に、
 妙に内容がスッキリしていることに気づいた。
 世界に唯一の月刊フラメンコ専門誌として、
 実にこの、いい感触なのである。

 格調高き東敬子の名文からはスペインの「フラメンコのいま」が
 確実に伝わってくるし、
 外国人として初めてスペインのフラメンコ・コンクールで優勝した
 萩原淳子の「小さな種に貫く心」は爽やかな勇気を発散し、
 この春ラトル+ベルリン・フィルと共演する「カニサレス」担当の
 小倉真理子(カニサレスの恋女房)も大健闘してくれてるし、
 去年一年分のパセオ・ガチンコ感想を書けやと無茶ぶり喰らった
 みゅしゃ(井口由美子)も「バルぱせ」にて絶好調である。

 だが、それだけではない。
 本号においては、私の担当執筆が皆無なのである。
 それがこのような好成果をもたらした件については、
 当分のあいだ他言無用にお願いしたい件。


 おーまいがっど.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年2月2日(水)/その584◇君の住む美し都 君が咲く花の都

 こないだの日曜日。
 たまった雑用と次号校正をパセオで片づけ、
 例によって行方定めぬ東京散歩に出掛ける。

 会社裏手の神田川沿いの遊歩道から江戸川橋に出て、
 裏通りに入って楽しげな下町の商店街を抜け、
 神楽坂の上方にある赤城神社のカフェでひと休み。
 その間ずっと、1960~1970年代のお気に入りの流行歌を
 シャッフルで聴いていたのだが、妙に沁み入る曲があった。

 「東京へは もう何度も行きましたね~♪」

 これが『東京』という曲だと知ってる方は人生のベテランである。
 地方在住の彼が東京で暮らす彼女を想い募る歌で、
 ずいぶん昔にヒットした。
 曲中こんな一節に、なぜだか不意に心打たれた。

 「いつもいつでも 夢と希望をもって
  きみは東京で 生きていました」

 昔なじんだ曲を聴くとノスタルジーやらセンチメンタリズムやらで
 大いに癒されることはあるものだが、
 この曲は癒し以上の化学反応を私の中に引き起こした。
 昔も今も、男というものはそう変わらないと思うが、
 若い私もそういうタイプの娘に惚れまくっていたものだから、
 何やら青春バンザイ的に盛り上がって、
 ムダに元気になったというかね。

 赤城神社のカフェを出て、飯田橋から四谷までお堀端を歩いたが、
 その間ずっと、繰り返しその『東京』を聴いていた。
 「いつもぉいつでも 夢と希望をもっおて~♪」のとこだけ、
 大声でいっしょに熱唱しちまったかもしれない。

 そーだよな、そーでなくして何のための人生かよ、
 てな感じの、安酒場でよく見掛けるおっちゃんタイプだ。
 落語で大笑いしながら散歩する男なだけに、
 どこまでもマイペースである。

 家に戻って、その音源となるCD(70年代コレクション)を調べてみると、
 『東京』(1974年/昭和49年)を歌ったそのグループの名称も
 同じく"マイペース"だった。


 とほほ3.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年2月3日(木)/その585◇チリもと積もれば

 こないだ観たNHKのドキュメンタリーはおもろかったな。

 大戦前、昭和初期の日本の軍部を検証する番組なのだが、
 事実を追求する切り口が多面的で冷静な上、実にわかりやすい。
 結局はスキャンダルしか採用しない最近のマスコミ報道からは、
 「ジャーナリズムの死」を強く感じていたが、どっこい、
 シャープで気骨あるジャーナリズムが健在だったことがうれしい。

 国家の現在・未来を置き去りに、権力闘争に明け暮れる構造が、
 現政権のそれと酷似しているところに怖いリアリティがあった。
 国家をより良く導くべき最高権力の思考レベルが、
 市井に暮らす私たちと同様のレベルであることを突き付けられるのだ。
 ほんとうを云えば、権力側のそれはさらに劣悪かもしれないとも思う。

 当初「お国のために」という最高ヴィジョンは共有されているのだが、
 権力の座に着くと同時に、誰もが自分とその所属するセクションの利益を
 まずは最優先してしまう構造。
 そうでないと協力者をキープすることが難しいからだ。
 これは古今東西変わらぬ、哀しい人間の性というもので、
 いかんと思いつつも、誰だって流されてしまい勝ちな傾向ではある。

 そういう意味で、身内のことはさて置いて、
 あくまで「お国全体のために」という志を徹底した、
 江戸期の徳川家康公と明治期の小久保利通卿などは、
 世界史的に見ても突出した英雄だったと私には思える。

 そういうリーダーシップは自分にはまるで無理だが、
 そういう人を発見すること、そして出来る協力を惜しまないこと、
 しかし個人的な見返りを期待しないこと。
 ささやかではあるけれども、それが弱小な人間の務めであると考えられる。
 とりあえずは、自分をとりまく環境の中で自分に出来ることから、ということか。

 新潟の海.JPG

 ───────────────────────────────
 2011年2月4日(金)/その586◇ちゃぶ台の正しいひっくり返し方

 ウェブ上を散歩していて、意外な収穫を得ることは多い。

 きのうなどももウェブ友"みゅしゃ"の日記に、
 輝くような人間的叡智を発見した。
 これならば、家族にもお店にも迷惑はかからないし、
 この先は、この人間愛に充ちた極めて優秀な技術論を
 徹底的にマスターしようと決意した。 (↓)

 ──────────────────────

 そういう、気分で叱っているというのは、伝わるものなので、
 うっせーとか、うざいとか、いわれる。

 ああそうですか、と頭の中でちゃぶ台をひっくり返してみたりして、
 とりあえずうっぷんを晴らす。

 IMG_0020.JPG

 ───────────────────────────────
 2011年2月5日(土)/その587◇いよいよ今日から

 今日明日は、いよいよ日本フラメンコ協会の20周年記念公演。
 
 「手伝いはしない。金は出さない。だか、誹謗中傷は任せとけ」

 こういう三拍子そろったギブ抜きテイク専門タイプに
 ぐるっと周りを囲まれながらの協会運営ボランティア20年には、
 何ともならなくとも何とかしようという明るいド根性があふれている。
 こういう現象というのは、本国スペインでも類を見ない、
 後世の国際フラメンコ史に輝き続けるであろう快挙なのである。

 フラメンコが世の市民権を獲得していない時代に辛酸を舐め尽くした世代は、
 かつて己が味わった屈辱的思いを、自分らの世代で断ち切りたかった。
 そういうフラメンコたちの想いと行動の総量が、一般社会における協会
 (つまりフラメンコ)のステータスを確立させた事実は忘れるべきではないだろう。
 だから、フラメンコ普及発展のための新人公演や各種フェス等の健全運営の
 若い世代へのバトンタッチは、老い先短いベテランたちにとっての宿願でもある。

 一方で業界をリードすべき30代が、ほとんど先輩たちに依存状態であるのは、
 現代日本の世相そのものの反映である。
 逆に、きびしい実情とサバイバル根性を正確に伝達することもなく、
 ただ甘やかせてしまった世代の責任も大きい。もちろん私もその一員だ。
 だから、そういう現実をひしと受け止め、やるべきことを淡々とやるしかない。
 かつては浮き世離れしていたフラメンコ界もだんだんと、
 引きこもり人口70万人と云われる一般社会のようになってきた。


 ま、そりゃさて置き、今日明日はぐらとみゅしゃとヒデノリと私、
 それとカメラの大森有起で、嬉々としてパセオ公演忘備録の取材に出掛ける。
 もの凄いメンバーによる、協会の祭典ならではの豪華絢爛プログラム。
 この二年のさまざまな紆余屈曲の中、メモリアル公演実現にこぎつけた
 ネバーギブアップな関係者たちの想いと祈りを、
 この両の眼にしっかり焼き付けてくるつもりだ。

 桜.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年2月6日(日)/その588◇お行儀と厄払いと若干の余裕

 きのうは協会20周年公演・新宿文化センターの初日。

 パセオに公演忘備録を書く、ぐらとみゅしゃと並んで観る。
 初日のみを書くヒデノリもどこかで観てるはず。
 カメラの大森は、5月号の心と技(佐藤浩希)の撮影取材も兼ねている。

 フラメンコ界のこの二十年が走馬灯のように駆け巡る。
 舞台はそれぞれが皆それぞれにステキだった。
 おれ的には01、06、07あたりが圧巻だったな。
 
 終演後は追っ手を振り切り、ヒデノリたちと秀でドンチャカ呑む。
 一度頭をカラッポにしたいライブのあとは、これが定跡なのである。
 てゆーか最初から頭はカラッポじゃねーかという説も捨て難い。
 私のプログラム寄稿に対し、「もー少し、お行儀よく書けんのか?」と、
 ヒデノリから鋭いツッコミが入った。

 さて、会場でお酒やらお菓子などを差し入れてくれたマイミクの皆様方よ、
 ほんとうにありがとう!
 バレンタインの先払いだったのね。てゆーか、厄払いなのね。
 つなみに、
 本日の私のバッグの容量にも、まだ若干の余裕がある、とのことである。
       
 代々木公園のフィクサー3.JPG

 ───────────────────────────────
 2011年2月7日(月)/その589◇協会公演と打ち上げと打ち上げ

 きのうは協会20周年公演の二日目。

 初日も素晴らしかったが、二日目も素晴らしかった。
 普通に書けば、楽に1万字くらいは書けると思うが、
 私の担当は1200字くらいなので逆に苦労するかもしれない。

 終演後はぐらとみゅしゃを連れ、新宿駅近くで呑んだ。
 三人とも二日間の取材でぐったり、のはずだったが、
 極めて濃い内容の、しかもバカスカ元気の湧いてくる公演だったので、
 こちらも大盛り上がりで、1時間だけ軽く呑む予定が倍になってしまった。

 そのあと、出演メンバーの打ち上げ会場、高円寺エスペランサへと
 大幅遅れで駆けつけた。
 濱田会長、小島理事長をはじめとする主要出演メンバーは、
 すでに大盛り上がりの最中である。
 翌朝は大きなプロジェクト会議、夜には有田圭輔インタビューが控えているので、
 軽く切り上げようと思ってたのだが、もとよりそんな言い訳が通用する世界ではない。

 鍵田真由美、森田志保、渡邉薫、チャチャ手塚・・・をはじめ、
 たくさんの出演メンバーと、打ち上げの場ならではのツッコミ話をサシでした。
 こういう本音が出やすい場でのキャッチボールは後々効いてくるのである。
 
 お決まりのフィエスタが始まったのは26時くらいだったか。
 佐藤浩希のギターを中心に、疲労困憊状態であるはずのアルティスタたちが
 自分たちだけのために唄い踊る。
 ボーダーレスにして超ハイレバルなそのフィエスタは、
 きっと朝まで続いたことだろう。

 27時すぎにそっと退散したが、帰路の車中、
 やはり二日間出演した連れ合いは、楽しそうに爆睡していた。


 ジェー.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年2月8日(火)/その590◇いちばん悪い奴

 ヒデノリとサトルは、私よりひと周り年下の親しい呑んだくれ仲間。
 どちらも私より稼ぐ上に、私よりオトナなのである。

 ある時、『デスノート』の話題になった。
 そこに人の名前を書くだけで人を殺せる、あのノートである。
 明るく温厚な二人なのだが、やたらと正義感が強い。
 喜んでデスノートを行使しようじゃないか、と云うのだ。
 そしてまあ、殺すべき候補が次から次へと出るわ出るわ!(汗)
 私もハムラビ法典派ではあるが、キャツらは遥かに過激である。

 悪質な殺人犯。
 悪質な放火魔。
 悪質な強姦魔。
 悪質な詐欺師。
 悪質な政治屋。
 ・・・・・・・・・・・・。
 まあ、この先は書かない方がいいだろう。
 私まで殺されそうな勢いなのである。

 さて、このやりとりを聞いていた天下の超美女、
 代々木上原のオードリー・ヘブバーンこと、
 秀の看板娘カズコが、こうつぶやいた。

 「私には殺したい人の名前は書けないな。
 だいたいそんな人いないし。
 そうするぐらいだったら、私の名前をそこに書き込んでほしい。
 あまり苦しまないでポックリ逝けるんでしょ?」

 ええっーーーーー! そー来るのおっ!?

 まあ、普段からそういう品格漂う女ではあるのだが、
 私にはまるで思い浮かばなかった、
 そこはかとない哀しさを帯びたこの美しい発想に、私は感動した。
 
 よし、わかったよ、カズコ。
 涙を呑んでこのオレが、お前の名前を書き込んでやろうじゃないか。
 ただしその前に、ひとつだけささやかな頼みがある。
 いやナニ、オレが受取人になる生命保険(三億円)に
 ちょろっとサインするだけだよ。

 IMG_0020.JPG

 ───────────────────────────────


しゃちょ日記バックナンバー/2011年2月②

2011年02月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年2月9日(水)/その591◇七つの戒律

 私は都電が大好きである。
 先の休日も三ノ輪~早稲田の全沿線を散歩して、周囲の失笑を買ったばかりだ。
 そこでつい先日、「都電同好会」をほとんど発作的に発足した。

 意外なことに、発起人は私ひとりだ。
 加えて入会基準がとても厳しいので、永久にひとり会である可能性は高い。
 まあ誰も読まんだろうが、その厳しい掟を極秘裏のうちに公開したいと思う。


 「都電同好会/七つの戒律」

 ●会員を都電が大好きな人、もしくは、そうでもない人に限定する。
 ●年に4回以上、用もないのに都電に乗る人、
  もしくは、そうでもない人に限定する。
 ●入会金と会費は無料であり、有志による寄付の上限を3億円未満に限定する。
 ●年に1回、会員有志による「ぶらり都電の旅」を開催する予定はない。
 ●その代わり年に4回、無料呑み食い放題「都電とフラメンコを語る親睦呑み会」を
  開催するわけがない。
 ●身長2m80cm未満、体重380kg未満の地球人に限定する。
  (実際には、まあ、身長3m未満の火星人までは大目にみようと思う)
 ●会員同士の不純異星交遊を禁じる。
  (例えば火星人とバルタン星人は、不純な目的で交際してはいけない)

 以上、家族や友人の反対を押し切り、この宗教にも似た厳しい掟を乗り越え、
 それでも激しく入会を希望される方を、軽い侮蔑の気持ちでお迎えしたい。

 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59705572&comment_count=5&comm_id=4475541

 1067427_1374580381s.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年2月10日(木)/その592◇ステージと客席のキャッチボール

 先週土曜のフラメンコ協会20周年公演の初日。
 きのうの"ぐら"に続き、今日は"みゅしゃ"の忘備録を
 日刊パセオフラメンコ公演忘備録にアップ。

  http://www.paseo-flamenco.com/daily/2011/02/post_10.php#004245

 予想通りアクセス数は上々であり、
 この記念公演に対する業界やファン層の関心の高さが確認できる。
 ぐらもみゅしゃも二日目をアップしてくれたので、追ってアップの予定。
 ほんとうにおつかれさまでした。
 
 全体をいかにバランスするか?
 合同公演の感想を書くのは、実はホントに大変なのである。
 終演と同時に、ピンチが駆け足でやってくるのだ。

 その一方で、こうした合同公演は、
 観る者の知識や見識などを飛躍的に伸ばすチャンスでもある。
 何せ日本の実力派アーティストの大部分を、
 いっぺんに見渡すことのできる公演なわけだから、
 感性や俯瞰力を鍛えるトレーニングにも最適なのだ。

 そして、こうしたステージと客席のキャッチボールの余韻は、
 ネット媒体と紙媒体を通し、
 フラメンコ界全体にさわやかな波紋を投げかけるのである。


 桜の園.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年2月11日(金)/その593◇終わりなき道楽
 
 「フラメンコ公演忘備録」。

 ウェブ仲間有志と私によるそのmixiへの寄稿は、
 ホームページ日刊パセオフラメンコ掲載を経て、
 全部ではないが最後は月刊パセオフラメンコに掲載される。
 そのあと、アーティストのファンクラブ会報などに転載されることもあるから、
 書き手にとっては一粒で四回おいしい。あるいは、一粒で四回チョーまずい。

 「励みになります、ありがとう!」
 日刊パセオに載っけたあたりで、アーティストたちから
 こんな声を掛けられることも増えてきて、逆にこっちも励みになる。
 そんなんで、パセオ5月号からは毎月連載に昇格させることにしたのだ。

 忘備録は昨年の2月号から始めた。
 自発的な書き手は皆無だったので、だったらオレにやらせろやと始めた。
 無難なことを書けばつまらんと云われるし、実際そんなもん意味がない。
 一方では、褒めてもケナしても別の方角から石が飛んでくる。

 まあ、そんな事は四半世紀も経験済みだから、開き直ってわが道を往くしかない。
 愛好家が読んでも、アーティストが読んでも、また一年後の自分が読んでも、
 ささやかながらも嬉しい発見のある、その三者が同時に少しだけ元気になれる
 フラメンコ忘備録にしようと決めた。

 「そんなもん、オレに書けんのか?」

 なにせプロの書き手たちもこぞって逃げ出す領域である。
 だが、幸いにして私は文章の素人だったので、
 「誰だって最初はド素人じゃねーか!」と、
 気弱で謙虚な自分に毒づくことが出来た。
 めげる時には、締切破りの常習犯たちの顔を浮かべながら、
 心の中で彼らにちゃぶ台をひっくり返しながら、
 ライブ翌朝には忘備録をアップしたこともある。

 正直云えば、先ごろウェブ仲間が日記に書いてたように、
 去年の今ごろは私だって毎回ドキドキだったのである。
 ただし、ステージと客席のキャッチボールは、
 フラメンコの普及発展に確実につながるものだという信念は、
 幸いにして砕けることはなかった。

 殺すなら殺せ。
 周囲の罵倒を糧にしようと決めた。
 ヘボな文章を気に病むヒマに、
 自分なりの発見を書き続けることこそ重要だと割り切った。
 「そのうち何とか、あ、なるだろう~♪」という植木等世代なのである。

 実際、文章力なんかは、自転車の運転と同じで、
 毎日書いてるうちに何とか様になってくるものだ。
 フラメンコの本質にプロもアマもないように、
 実のところ、文章にもそんなボーダーはない。
 肝心なのは「自分なりの発見」だと狙いを定めた。
 
 ステージから与えられる霊感や感動や元気。
 自分なりの感性にもたらされる化学反応から何ものかを発見し、
 それを逆発信することで、ステージに返礼したいと思った。
 だって、舞台のアーティストたちは、その素適なフラメンコを
 自分では直接観ることが出来ないわけだから、そりゃこっちの役割だよな。
 まあ、ささやかすぎるギブではあるが、やらないよりはナンボかいいと思いたい。
 そんなこんなの一年間に、自発的な書き人たちはプロ・アマ含め五名に増えた。
 やらなきゃいけないんじゃない。
 やりたい仲間同士で自然とそういう輪を広げてゆけばいいのだ。

 そしてアーティストは、日々深化しながら変貌を遂げてゆく。
 出来る出来ないは別として、私だってそう在りたい。
 だから、この道楽に終わりはないのである。


 しゃちょの公演忘備録 ウェブ用.jpg

 つーことで今日はお仲間ヒデノリの忘備録、
 フラメンコ協会20周年公演・初日の巻。
 
 ───────────────────────────────
 2011年2月12日(土)/その594◇勝ち癖

 小田急「代々木八幡」開かずの踏み切り。
 
 信号カンカンで踏切が降りてる時は、
 迷わず、すぐ脇の歩道橋を登る。
 
 もちろん裏目に出ることもあるが、
 だいたい5勝1敗のペースであり、
 勝率は0.833で楽々8割を超える。

 階段の上り下りで足腰を強化できる上に、
 私の人生における勝率0.003(3勝997敗)を
 いっときでも忘れることが出来るという優れた効用もある。

 画像 004.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年2月13日(日)/その595◇戒名

 先月中ごろに"フェイスブック"をやり始めた。

 その創業者を主人公とする映画を知って興味を持ち、
 んじゃオレもやってみっか、というミーハーな成り行き。

 mixiの「マイミク」に相当するのが「友達」で、
 私の「友達」は現在1000名を少し越えたところ。
 その90%以上はスペインのフラメンコ・アーティストなのだが、
 有名どころからそうでないところまで、ほとんどまんべんなく
 スペイン・フラメンコ界にフェイスブックが浸透しているのにはちょっと驚いた。

 こっちからも積極的にアプローチするのだが、
 「PASEO FLAMENCO」の文字を見つけた向こうからも
 ばんばんアプローチしてくる。
 先々、スペイン・フラメンコの世界を、
 何か一斉に取材したい時なんかに、このメディアは便利かもしれない。

 あっ、すでにやってる人がいたら、友達になってね。
 本名の「キアヌ・リーブス」ではなく、
 戒名の「小山雄二」で登録してるのでよろすく!

 http://www.facebook.com/profile.php?id=100002021047252


 2009落葉 032.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年2月14日(月)/その596◇君に幸あれ!

 「○○○○さんをパセオで大きく取りあげること。
  さもなくば不幸が訪れるでしょう。」

 アーティストや執筆者や編集部に対するドえらく歪んだ根性の手紙が、
 ごく稀にパセオに届くことがあるが、
 つい先日、冒頭のような文面の差出人不明の手紙が自宅に届いた。

 すでに不幸な生活を55年も送り続ける私には惜しくも無効であるけれど、
 いわれなきトバッチリを負いかねない「○○○○さん」のことを想うと、
 やはり犯人に対し、心のちゃぶ台のひとつもひっくり返したくなる。

 ただ、今ではあまりもらえなくなったお手紙を
 そのまま捨てるのも勿体ないので、
 ジェーの散歩の時に、それでウ○コをひろった。

 それまでの人生、私同様あまり幸運には恵まれてこなかったであろう
 その手紙の差出人に、どうか"ウン"が付きますように!という願いを込めて、
 人類愛に充ちた私の心のちゃぶ台をひっくり返す。

              
 ジェーフラメンコ人形.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年2月15日(火)/その597◇好ましい感覚

 『鬼平犯科帳』
 『剣客商売』
 『仕掛人 藤枝梅安』

 ほとんどのデキソコナイどもが、大人になる過程で必ずお世話になる
 超人気作家の故・池波正太郎師の三大名作。
 例外にもれない私も、40代までに十ぺんずつくらいは読んだろうか。

 師は、どんなに遅くとも締切一週間前には必ず入稿したという。
 原稿が集中する締切日というのは編集者の負担が大変であるから、
 自分の大切な仲間である彼らの負担をささやかながらでも軽減したい。
 池波正太郎という大作家は、そういう好ましい感覚の持ち主だった。
 締切の約束を当然のように破っても、平然と原稿料は受け取る
 八百長文士とは、根源的な志が異なる。

 どんな大物アーティストでも、自分のプライベートに何があろうと
 公演開始の時刻の前には必ず駆けつけるものだ。
 まあ、普通と云えば普通のことだが、自分の都合はさておき、
 何よりお客さまや仲間内を大切に想う、
 そういう好ましい感覚は、やはりヒト科の文化として美しい。

 その昔の、何があろうと勝負の最中に退出することは出来ないという掟から、
 「将棋指しは親の死に目に会えない」と云われた時代、
 中三の私が「プロ棋士になりたい」と父親に告げた時、
 ちょっとだけ寂しそうに、彼はただのひと言、こう笑った。

 「じゃあユージとは、オレの死に目にゃ会えないんだなあ」

 穏やかな人柄でも仕事には厳格だった親父のそういう好ましい感覚、
 内心プロ入りに猛反対であったはずの親父のあきらめと覚悟、
 そしてその精一杯のユーモアが、いま想うと、しみじみうれしい。


 1067427_1032874530s.jpg

 ───────────────────────────────


しゃちょ日記バックナンバー/2011年2月③

2011年02月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年2月16日(水)/その598◇俺のことかよ

 スーツ/しゃちょ.jpg

 来る日も来る日も、日記を書く。
 出来事よりも、何を想ったかを書く。
 どんな小さなことでもいいから、できれば何かおもろい発見をしたい。
 それが現在の私の生業で、編集・執筆などは単なる集金旅行だ。
 日々の想いの集積が、そのまんま編集・執筆に反映されるわけだから、
 具体的な企画に着手する時点で、おそらく仕事の7割強は終わってる。

 そんな日々、とりわけ人類の最高兵器"笑い"の発見は重要である。
 人種・宗教を超越する人類和平のエベレストたる"笑い"。
 「知識や見識というのは、笑いの発見のために必要な道具にすぎない」
 と云うと「お気は確かですか?」と云われるので、あまり云わない。

 でもさあ、人の説教によって立ち直った人間なんか、
 私の周りにゃ(私を含め)一人もおらんけど、
 逆に、笑いによって勝手に更生した人間は、
 私の周囲にゃ(私を含め)ウジャウジャいるからねえ。
 まあ、そういう偏向のあるムラ社会で私は生きている。

 それとね、フラメンコを観たり聴いたり考えたりすることは、
 人生を生きたり考えたりするのとまるで一緒だったりもするから、
 アフィシオナード(フラメンコ愛好家)というスタンスには、
 アマ・プロ・体重問わずで、まったくもって無駄がないのである。

 フラメンコ.jpg           
 
 で、日記を書き始めたのは50をすぎてから。
 最初のころは三行書くのに半日かかった。
 でも、毎日書こうと思った。
 書くことで自分の考えを整理できることに、
 つまり、好ましい方向に、あまり迷わず行動できることに、
 ある日突然気づいたからだ。

 こんなこと、普通は十代で気づくと思うのだが、
 つまらん社長業などで三十年ばかり道草を喰ってしまった。
 さらに若かりし私は、日記なんかより、
 仕事やら音楽やら呑み友やら女性が好きだった。
 だからタイムマシンでその昔に戻っても、
 きっとまた同じ失敗をしでかすことだろう。
 まずは生の瞬間ありき。
 そして、その瞬間の記憶の集積ありき。
 そういうヘボい思い込みは、終生変わりようがなさそうだから。

 さて、毎日ひとつのテーマを書くだけで、年間で365のテーマについて、
 自分の考えをスッキリ整理できるメリットがある。
 それを三年続けると、自分の行動原理を1000ばかり暫定できる。
 決定ではない。あくまで暫定である。
 自分の実力を考慮すれば、その多くが正解でないことは明白だから。

 だが、ブレブレで生きるのもやたら疲れるし、第一中途半端でつまらない。
 だから、この数年で発見したその千数百の行動原理に基づき、
 若い頃は得意だった「決め打ち」に走る。
 ある決め打ちが明らかに間違いであることに気づいたら、
 恥も外聞もなく、迷わずそこで修正すればいいのだ。
 それが世の中にボコボコにされながら、
 闘いながら闘い方を覚えるということだから。

 いろんなテーマについての私見を1000ぐらい書けば(=考えれば)、
 さすがに自分という人間が視えてくるものだ。
 例えば、私のケースではこんな感じだった。

(1)現状の自分がどんなタイプの人間であるかってことが、ほぼ判明する。
  (実際にはほとんど火星人に近いという衝撃の事実も判明する)
(2)そういう自分に嫌気のさしてる自分が、じゃあオレは
   一体どんな人間(または火星人)になりたいのか?ってことが、ほぼ判明する。
(3)じゃあ、生きてるうちに(1)から(2)へと、少しずつでも
   変わってゆこーじゃないかとマジで願う自分が視えてくる。

 まあ、こーゆーええ加減な分析から、
 意外と簡単に、私という火星人に適した結論が視えてくる。

 来る日も来る日も、まずはその瞬間の生の感動をもぎとることに集中したい。
 仕事もプライベートもそれはいっしょ。ここだけは変わらない。
 次に、私の品性と実力の低次元性もこの俺にはバレバレなだけに、
 高尚すぎる目標達成はキッパリあきらめる。
 いまさら立派な社会人をめざすのも手遅れすぎるしな。
 ただし頭の隅っこに、ささやかながらも好ましい目標をポツリ置きながら、
 日々ほんのちょっとだけベターに生きようと、それだけは死ぬまで続ける。
 これならば、いかなる夢の途中でおっ死んでも問題ないしな。

 と、まあ、ヴィジョンがゆるくなった分、
 こういうやり方が有力戦略として浮上してくるわけだ。
 だから結局のところ、そんなには私は変わらない。
 バカは死ななきゃ直らないとは、てっきり人ごとかと思っていたが、
 つい最近になって、おゐおゐ、そりゃ俺のことかと気がついた。

 とほほ3.jpg


 ───────────────────────────────
 2011年2月17日(木)/その599◇フラメンコ超緩色系

 久々にgooに書いてるブログをチェックすると、
 アクセスが1000を越えてる日があった。
 調べてみると『ゾロ ザ・ミュージカル』を載っけた日だ。

 gooの「フラメンコ超緩色系」には、
 日刊パセオ「しゃちょ日記」を月に何度かまとめて転載してるだけなのだが、
 最初に着手したブログなので、それなりに愛着はある。

 アクセスの源をたどってゆくと、私のゾロ感想に対する
 サカメンコ(坂本昌行)ファンの感想がゾロゾロと書かれている。
 その着眼がけっこう面白くて、とても参考になったな。

 mixi、ツイッター、フェイスブックなどの流行で、
 ブログの時代は終わったのかと思っていたが、濃厚な層はいまだ健在のようだ。
 これからは棲み分けの時代になってゆくのかな。
 ぼちぼち国際化にも対応したいところなんだが、私なんかは
 mixiの日本ならではの程良い双方向性が、今のところは一番気に入っている。
 そこでのウェブ仲間とのキャッチボールが、人生上・仕事上における
 さまざまな霊感をポーンと引っぱり出してくれたりするから。

 ところで、「フラメンコ超緩色系」というタイトル。
 「緩色(かんしょく=ゆるい色)」という意味合いで付けたのだが、
 よく「暖色(だんしょく=あたたかい色)」に誤植表記されることが多い。
 私としてはそーゆー中途半端な誤植よりも、もっとダイナミックな作品を望みたい。
 つなみに、
 これまでの最高傑作は
 「フラメンコ超男色系」という大変男らしい作品である。

 ───────────────────────────────
 2011年2月18日(金)/その600◇俺がルールブックだ!

 「俺がルールブックだ!

 反吐が出そうだ。
 何て思い上がりの激しい下品な言葉だろう。
 インタビュアーとして活動することの多い私には、
 ちょっと考えられない台詞である。

 独裁体制にも共産体制にも宗教にも、私は興味を感じない人だ
 賢帝による立憲君主制には少しだけ魅力を感じるが、現在ではそれも幻想にすぎないし、
 やはり、生き腐りを嫌う、より良い民主主義を最も好ましく感じるタイプのようだ。


 さて、パセオ編集長に就任して、気がつけば15号発行している。
 編集長就任時に自らコストダウン(月間150万/年間1,800万円)に着手したが、
 部数を落とすことなく、それもどうやら達成しつつある。
 手間ヒマ惜しまず自ら先頭を切れば、解決できるレベルのハードルだったのだ。

 そして、新生パセオの内容に対しては、もちろん賛否両論ある。
 直接私の耳に入ってくるのは、だいたい賛成9:反対1の割合だから、
 全体としての実際のところは賛成4:反対6あたりと看做すのが妥当だろう。

 当初の目標目安はとりあえず賛否が五分五分の線だから、
 あと10%程度ぐらいは、早急に何とかしたいところだ。
 で、いま嬉々としていろんな仕込みをやってるところ。

 新生パセオに対する反対意見には、傾聴に値する有力な意見も多々あり、
 無論それらについては貪欲に採り入れてる最中だ。
 フラメンコ専門誌に必要なのは、自動車の安定ではなく自転車の安定なのである。
 信頼出来る仲間とともに、これからもそれはビシバシ変貌を遂げてゆくことだろう。

 その一方では、「私の好きなアーティストや執筆者だけを採り上げろ」的な
 モンスターな反対意見も相変わらずあるわけで、まあ、大方は匿名なのだが、
 中には直接真顔で云ってこられる方もおられる。

 話しても不毛なことはわかっちゃいるけど、
 大切な読者の一部ではあるので、懇切丁寧な説明を省略することはできない。
 私の根っ子は短気な江戸っ子だが、同時に心優しいインタビュアーでもあるわけで、
 こういうモンスターへの対応は決して嫌いではないのだ。
 そして最後に、現在のパセオフラメンコの編集方針について、
 謙虚にひと言こう述べる。

 「俺がルールブックだ!

 

                
               おーまいがっど.jpg


 ───────────────────────────────
 2011年2月19日(土)/その601◇今日からマリパヘ

 いよいよマリア・パヘス公演!

 この土日の両方とも観る。
 今回のテーマはひとつだけ。

 あまたフラメンコ舞踊手の中で、
 このマリア・パヘスを、
 なぜ私は一番好きなんだろう?

 そういう私に対し、
 この俺は、その理由を発見したいのだ。

 1676003131_85.jpg


 ───────────────────────────────
 2011年2月20日(日)/その602◇シャープな決断

 少年時代に、早指し将棋をよく指した。
 お互いに1手10秒以内に指さなければ負け。
 深く読む時間はないから直感に頼るしかない。
 経験値とセンスと決断力の勝負で、負ければ大枚が吹っ飛ぶ。

 以来、良くも悪くも私の決断が早いのは、
 その頃の刷り込みによる。
 だから物事の選択に迷ったことはあまりなくて、
 重要な岐路においても、ほとんど即決~アクションしてきた。

 幸薄い私だが、選択肢に迷い悩んだ時間がほとんど皆無だったことは、
 実際にアクションする時間の効率活用につながったから、
 これは不幸中の幸いだった。
 ただし、そういう私のシャープな決断とアクションが
 ほとんど裏目に出たことは、幸い中の不幸だった。

 「下手な考え休むに似たり」というのは、すでにメジャーなことわざだが、
 その双璧とも云うべきこの「シャープな決断ほとんど裏目」という
 得難い私の教訓にも、せひ清き一票をお願いしたいところだ。
 なんだったら、「シャープな決断 痛いアクション」をおまけにつけてもいい。
            

 画像 008.jpg

 ─────────────────────────────── 
 2011年2月21日(月)/その603◇人生の真相

 この地球に唯一の月刊フラメンコ専門誌、パセオフラメンコ。
 早いもので、この8月に創刊28周年目を迎える。
 この夏私のパセオ歴は、ちょうど私の人生の半分に達する。

 さて、本日発売のその3月号における私の執筆担当ページは皆無だった。
 「どーりで出来がいいわけだあ!」
 行く先々で聞かされる、こんな的を得た評判にメゲてる私ではない。
 その次の4月号のおける私の執筆担当ページは、
 なんと20ページ近くもあるのだ。

 「幸せな日々はそうは続かない、哀しみは駆け足でやってくる」

 そう、3月号と4月号の足掛け二号にわたって、
 みんな知ってる人生の実相をサブリミナルに表現しているのだ。
 だが、しんぱいゴム用! である。
 続く5月号において、私の執筆量は再びガクンと落ちるのだ。

 「哀しみだって、そんなに永くは続かない」

 そう、みんな知ってる人生の真相は、
 パセオ3~5月号の三号にわたって、しっかり表現されているのである。

 とほほ1.jpg

 さておき。
 本日更新のフラメンコ公演忘備録では、
 早くも「マリア・パヘス来日公演」のガチンコ感想をアップ!
 もの凄いフラメンコライブに出喰わしたとき、
 この新人ライターはもの凄い化学反応を表出するようだ。

 ───────────────────────────────
 2011年2月22日(火)/その604◇尊敬できません

 「ネタぁあがってんだ、えーかげん吐きやがれっ!」

 インタビュー記事には、こんな鬼刑事的側面と、
 気分よくペラペラしゃべりたくさせる太鼓持ち的側面の、
 その両面があった方が結果は出しやすい。
 
 だが、それらはあくまで表面的な戦術であり、
 もっとも重要なのは何と、インタビュー対象者のアルテ、
 および人間性に対するこちら側の「愛」の総量だったりする。

 そういう愛の深さは、「いい記事書きたい」というインタビュアーの
 執念&実務量と、見事に比例するからである。
 だから、リスペクト出来る対象へのインタビューは、
 どんなに難航してもそこそこ成功することは、やる前からわかっている。

 問題はリスペクトするには至っていない対象へのインタビューだ。
 そういう意味で、私としては、
 この俺に対するインタビューなんかは、絶対に不可能なのである。
                   
 090815わん2.jpg

 ───────────────────────────────


しゃちょ日記バックナンバー/2011年2月④

2011年02月01日 | しゃちょ日記

 ───────────────────────────────
 2011年2月23日(水)/その605◇マリア・パヘス~究極のアルテ

 「撮れましたよ、奇跡的なショット」

 1階右のカメラ席に状況を確認に行くと、
 パセオのマリパヘ担当カメラマン、
 北澤壯太がそう笑った。

 そうだろう。
 きっとそういうことになると思ったよ。

 この土日のマリア・パヘス来日公演。
 その二日間を堪能し、いまだ幸福感に酔っている。
 ここ十数年、ずっと追っかけていたマリアの軌跡が
 走馬灯のように脳内を駆けめぐる。
  
 究極のアルテ。
 人間のやることには終わりのないことを改めて痛感する。


 さておき。
 フラメンコ公演忘備録では、
 早くも「マリア・パヘス/ミラーダ」のガチンコ感想をアップ。

 ───────────────────────────────
 2011年2月24日(木)/その606◇ココは読んどけ、パセオ3月号ベスト3!!!

 もはや定番となったヒデノリのベスト3!
 
 すでに十数年来の地元なかよし連の呑み友なのだが、
 奴は本業(コピーライター)のギャラが高すぎるので、
 そことのバランスを健全化するために、
 パセオのギャラは、たくあん二枚未満に制定した経緯がある。

 ただ、気前のいい私としては、時にそれが心苦しく、
 こっそり内緒で、キュウリのおしんこを二枚ほど付けることもある。 

───────────────────────────────
(by ヒデノリ)

ベスト・オブ・〈Paseoフラメンコ〉。
ココは読んどけ、3月号ベスト3!!!

さぁ、皆さん、アタマの中で
ドラムロォォォォォォール!

☆ ベスト1 ☆
フラメンコ力アップ!12の視点
(特別番外編)カニサレス
「異文化の交差点」

60208571_139.jpg

もうね、ダントツでベスト1です。
心の弦がジャランジャラン鳴りだして、
鳴り止むのにしばらくかかりました。
フラメンコと向き合う時のあり方、
日本人とフラメンコとの距離の縮め方。
テクニックについて、正しい集中力について。
本来なら難しくややこしいことを、
とても分かりやすく語ってくれています。
そして、ありがたいことに日々の生活にも
応用が可能なものばかり。
実践すればギターではかなわなくても、
心という領域で同じ境地に立つことは
可能ではという淡い期待を抱かせてくれます。
最後に、夫婦関係でお悩みの皆さん、
あなたもぜひ読むべきです。
全体として、非常にクオリティの高い
のろけ話にもなっています。
オトコ力アップ!オンナ力アップ!夫婦力アップ!
間違いなしです。
※あわせてカニによるマエストロ・エンリケ・モレンテも
 一読をおすすめします。こんな絆を感じてみたい。


 ☆ ベスト2 ☆
「失敗はフラメンコの素」
★実るほど......
(神奈川県・ロサ 37歳)

ご主人の都合で引っ越すことになったロサさんが、
新たなフラメンコ教室での出来事に衝撃を受けたというお話。
その出来事が、とてもフラメンコ的だったので今回のベスト2に。
本来なら、いや、日本的な発想でいけば
後輩がやるべきことを新たな教室では先輩(上級)が
進んでやっている光景にロサさんは心打たれてしまったそうです。
余裕のあるものが、余裕のないものをフォローする。
この当たり前の発想が日本人はなかなかできません。
染みついた信仰のせいなのか、長く続いた家父長制の名残か
定かではありませんが、気づいた時にはもうごく自然に
身動きの取れない縦社会の発想が身に付いてしまっています。
このまままではいけません。踊るしかありません。
どこまでも自由に。ワキ汗など気にせず
一心不乱に踊って自分を解放しようではありませんか。
案外、フラメンコの原点にいるのかもしれませんよ。


☆ ベスト3 ☆
バル de ぱせお
「フラメンコの懐」
井口由美子(みゅしゃ)

ワタシが言うのもおこがましいのですが
一年間、ありがとう&ご苦労さまです。
2010年を慈しむように振り返る文章は、
敬意と充実にあふれ読んでいて気持ちがいい。
とても同じものを読んでいたとは思えないほど
深い洞察と独自の視点がちりばめられ、
読む人間が変わるとここまで変わるかと
思うほどパセオが格調高いものに感じられます。
(インフォメーション下の広告の写真を見て、
もし習うならなるべく美人な先生に
などと考えていた自分が恥ずかしい)
手元に昨年のパセオが揃っている皆さんも、
去年のダイジェストを知りたいと願う皆さんも
ぜひぜひのご一読をおすすめします。
文末の井口さんの写真は、できれば大判カラーで
見たかったと思うのはワタシだけではないと
思います。たぶん。

 ───────────────────────────────
 2011年2月25日(金)/その607◇夢のアランフェス

 音楽的知性と人間的教養に充ち満ちた、
 ブチ切れインプロヴィゼーション!

 そう。
 パセオの3月号に特別出演してくれた、私の大・大・大好きな
 フラメンコギタリスト、カニサレス。

 カニ.jpg

 彼のインプロ(即興)を知るのと知らないのとでは、
 その後の人生が大いに変わってくる。
 つまりそれを知った時点で「地道な積み重ね×出たとこ勝負」という
 戦略方程式の凄みを思い知り、もろに影響を受けることになる。

 そのマエストロが、この5月にマドリーで『アランフェス』を弾く。
 共演は、な、なんと、あのラトル&ベルリン・フィルである。
 名門オケでは滅多に採り上げられないアランフェス協奏曲を、
 しかも、フラメンコのスーパーギタリストが、
 世界最強の指揮者&オーケストラと演奏するのだ。
 クラシックの世界においても、こりゃ大ニュースなのである。
 さらに世界中にそのライブ映像が配信されるなんて噂もある。

 アランフェスは、技術的にも超難曲である。
 もっとも弾けた二十歳のころの私は、これを数ヶ月間猛練習したのだが、
 結局、満足に弾けたのは休符の部分だけだった(汗涙)。

 マエストロは、もちろんこれを簡単にクリアする。
 そして、おそらくは、あのパコ・デ・ルシアでさえ躊躇した領域に
 踏み込むことになるだろう。
 カニサレスのアランフェスは、永年にわたる私の夢であり、
 私にとって近年最大の音楽ハイライトなのである。

 さて、つい先日、その歴史的公演の打ち合わせのために、
 マエストロ・カニサレスは、恋女房の真理子とともに、
 音楽のメッカ・ベルリンへと飛んだのであった。

 http://oguramariko.blogspot.com/2011/02/blog-post_15.html

 60208571_139.jpg


 ───────────────────────────────
 2011年2月26日(土)/その608◇フラメンコの女神

 「おー。
 文章が変わりましたね。さすがです。
 やっぱりこれまで培ってきた蓄積(教養とか体験及び努力など)
 による懐の深さが出てくると、僕なんか敵わんなぁと思うわけですよ。
 当たり前の話ですね。
 以前の日記でパーフェクトと言ったのは、
 それがまんま出てたからなんですよね。
 素敵な文章ではないでしょうか。」


 先日アップされたみゅしゃのマリア・ペヘス公演忘備録『フラメンコの女神』について、
 ライター小倉泉弥(ぐら)がこんなコメントを寄せている。
 実は私もまったくの同感で、文章の殻がふた皮くらいむけて、
 彼女本来の感性が、自由に踊りはじめていることを感じる。

 文章の難易度というのは、セビジャーナスのそれによく似ている。
 もちろん慣れは必要だが、書くこと(踊ること)を
 思いきり楽しんでやろう!っていうハラがくくれてくると、 
 フシギなことに本来の自分が出てくる。
 つまり、書き人のそれまでの人生の蓄積が、
 そのまんまアイレとして表出されることになる。

 だからこそ怖くもあるのだが、それでも書き続けることによって、
 それまで視えなかった地平が、ある日突然眼前に現れる。
 そして、その景色は悪くないどころか、なかなかの眺めなのである。


 悲愴.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年2月27日(日)/その608◇予知能力

 朝の通勤散歩の途中、
 新大久保のグラウンドの草野球を眺めていたら、
 ふいに古い記憶がよみがえる。

 おそらく私は二十歳前後。
 2番センター、だったと思う。
 1点差を追う最終7回裏の攻撃。
 1アウト1塁で、私の打順。

 ベンチのサインはバンド。
 敵キャッチャーが馬鹿な強肩のため、
 1塁ランナーは2塁盗塁が出来ないのだ。
 次の好打者につないで、とりあえずワンヒット同点を狙う意図だ。
 だが、食い込むシュートに、私は二度バンドをしくじる。
 苦虫顔のベンチの指示がヒッティングに切り替わる。

 よしよし、そーこなくちゃ。
 実力はともかく気だけは豪気な私は、逆転サヨナラ2ランホームランを狙う。
 そして、絶好球に見えたしょんべんカーブに、ミスター長嶋ばりの大空振り。
 あまりに豪快な空振りに敵捕手がボールを後逸する間に、
 "振り逃げ"で私は1塁セーフ。
 同点、あわよくば逆転の目が生じる。

 続く3番・秋田は期待通り、右中間を抜ける二塁出性の当たり。
 前を走る同点のランナーに続き、俊足を過信する私は
 ホームめがけて華麗なるスライディング。
 アウトおおおおお!!!!!
 おまけにヒッターまで刺されて3アウトチェンジ。

 グランド借りの約束時間が迫っていたので、結局引き分けという決着。
 若干遺恨を残すチーム同士だったのだが、痛み分けの結果に
 なんだか互いに雰囲気がほぐれて、打ち上げを合同でやることに。

 トホホに試合を引っかき回した最年少の私は、
 合同呑み会の格好の肴となり、最初から最後まで
 敵味方の両軍から爆笑とともにヤジられまくる。

 少しだけほろ苦い、甘く懐かしい想い出。
 だがこのシーン、何となくではあるが、
 その後の私の人生を暗示しているようにも思えるのである。


 小さい秋見つけた.jpg

 ───────────────────────────────
 2011年2月28日(月)/その609◇哀しみの憑依能力

 パセオフラメンコ連載『心と技をつなぐもの』が意外な好評で、
 それが熱心な愛好家の定期購読を増やつつあることは望外の成果だった。

 とは云え、もともとこの企画は、
 練習生の切実な要望から発見された企画だったので、
 その心を充分に理解して、妥協なく突き詰めれば、
 必ず面白くて参考になる内容が産まれることは、確信済みだったのである。

 アーティストの「ひとり語り」という形式を採っているため、
 そのアプローチは通常のインタビューとは異なってくる。
 全体構成と一字一句の最終チェック段階において、
 相手のアーティストに憑依することが必要になってくるのだ。

 つまり、もう一度最初から、それをまとめる私ではなく
 彼らの魂によって再び直接、語り直してもらう必要がある。
 そう、その時私はイタコ状態になっている。
 周囲に話しかけられても気がつかない集中状態なので、
 その作業はもっぱら深夜の自宅である。

 私に語りかける彼らは、ほとんどステージで踊っている。
 だから、言葉ではなくアルテによってそれを伝えてくる。
 それを私は、まんまダイレクトに書き写す。
 よって、現在の私の実力において、この作業が可能なのは、
 そのステージによって感銘を受けたアーティストに限られることになる。


 ところで。
 こうした私の憑依能力というのは、他の何ものかに憑依されやすい
 私の精神気質そのものに起因しているように思われる。

 私の知る限りで云うなら、その代表的な憑依主は、
 "ビンボー神"、"ラリパッパの精"、"どん引き大王"などである。

 フラメンコ.jpg


 ─────────────────────────────