フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年2月①

2011年02月01日 | しゃちょ日記

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 2011年2月1日(火)/その583◇他言無用にお願いしたい件

 月曜の午前中にパセオフラメンコ3月号を校了し、
 あとは印刷を待ちながら、
 続く4月号、5月号の追い込みをかける。

 さて、3月号の原稿整理中に、
 妙に内容がスッキリしていることに気づいた。
 世界に唯一の月刊フラメンコ専門誌として、
 実にこの、いい感触なのである。

 格調高き東敬子の名文からはスペインの「フラメンコのいま」が
 確実に伝わってくるし、
 外国人として初めてスペインのフラメンコ・コンクールで優勝した
 萩原淳子の「小さな種に貫く心」は爽やかな勇気を発散し、
 この春ラトル+ベルリン・フィルと共演する「カニサレス」担当の
 小倉真理子(カニサレスの恋女房)も大健闘してくれてるし、
 去年一年分のパセオ・ガチンコ感想を書けやと無茶ぶり喰らった
 みゅしゃ(井口由美子)も「バルぱせ」にて絶好調である。

 だが、それだけではない。
 本号においては、私の担当執筆が皆無なのである。
 それがこのような好成果をもたらした件については、
 当分のあいだ他言無用にお願いしたい件。


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 2011年2月2日(水)/その584◇君の住む美し都 君が咲く花の都

 こないだの日曜日。
 たまった雑用と次号校正をパセオで片づけ、
 例によって行方定めぬ東京散歩に出掛ける。

 会社裏手の神田川沿いの遊歩道から江戸川橋に出て、
 裏通りに入って楽しげな下町の商店街を抜け、
 神楽坂の上方にある赤城神社のカフェでひと休み。
 その間ずっと、1960~1970年代のお気に入りの流行歌を
 シャッフルで聴いていたのだが、妙に沁み入る曲があった。

 「東京へは もう何度も行きましたね~♪」

 これが『東京』という曲だと知ってる方は人生のベテランである。
 地方在住の彼が東京で暮らす彼女を想い募る歌で、
 ずいぶん昔にヒットした。
 曲中こんな一節に、なぜだか不意に心打たれた。

 「いつもいつでも 夢と希望をもって
  きみは東京で 生きていました」

 昔なじんだ曲を聴くとノスタルジーやらセンチメンタリズムやらで
 大いに癒されることはあるものだが、
 この曲は癒し以上の化学反応を私の中に引き起こした。
 昔も今も、男というものはそう変わらないと思うが、
 若い私もそういうタイプの娘に惚れまくっていたものだから、
 何やら青春バンザイ的に盛り上がって、
 ムダに元気になったというかね。

 赤城神社のカフェを出て、飯田橋から四谷までお堀端を歩いたが、
 その間ずっと、繰り返しその『東京』を聴いていた。
 「いつもぉいつでも 夢と希望をもっおて~♪」のとこだけ、
 大声でいっしょに熱唱しちまったかもしれない。

 そーだよな、そーでなくして何のための人生かよ、
 てな感じの、安酒場でよく見掛けるおっちゃんタイプだ。
 落語で大笑いしながら散歩する男なだけに、
 どこまでもマイペースである。

 家に戻って、その音源となるCD(70年代コレクション)を調べてみると、
 『東京』(1974年/昭和49年)を歌ったそのグループの名称も
 同じく"マイペース"だった。


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 2011年2月3日(木)/その585◇チリもと積もれば

 こないだ観たNHKのドキュメンタリーはおもろかったな。

 大戦前、昭和初期の日本の軍部を検証する番組なのだが、
 事実を追求する切り口が多面的で冷静な上、実にわかりやすい。
 結局はスキャンダルしか採用しない最近のマスコミ報道からは、
 「ジャーナリズムの死」を強く感じていたが、どっこい、
 シャープで気骨あるジャーナリズムが健在だったことがうれしい。

 国家の現在・未来を置き去りに、権力闘争に明け暮れる構造が、
 現政権のそれと酷似しているところに怖いリアリティがあった。
 国家をより良く導くべき最高権力の思考レベルが、
 市井に暮らす私たちと同様のレベルであることを突き付けられるのだ。
 ほんとうを云えば、権力側のそれはさらに劣悪かもしれないとも思う。

 当初「お国のために」という最高ヴィジョンは共有されているのだが、
 権力の座に着くと同時に、誰もが自分とその所属するセクションの利益を
 まずは最優先してしまう構造。
 そうでないと協力者をキープすることが難しいからだ。
 これは古今東西変わらぬ、哀しい人間の性というもので、
 いかんと思いつつも、誰だって流されてしまい勝ちな傾向ではある。

 そういう意味で、身内のことはさて置いて、
 あくまで「お国全体のために」という志を徹底した、
 江戸期の徳川家康公と明治期の小久保利通卿などは、
 世界史的に見ても突出した英雄だったと私には思える。

 そういうリーダーシップは自分にはまるで無理だが、
 そういう人を発見すること、そして出来る協力を惜しまないこと、
 しかし個人的な見返りを期待しないこと。
 ささやかではあるけれども、それが弱小な人間の務めであると考えられる。
 とりあえずは、自分をとりまく環境の中で自分に出来ることから、ということか。

 新潟の海.JPG

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 2011年2月4日(金)/その586◇ちゃぶ台の正しいひっくり返し方

 ウェブ上を散歩していて、意外な収穫を得ることは多い。

 きのうなどももウェブ友"みゅしゃ"の日記に、
 輝くような人間的叡智を発見した。
 これならば、家族にもお店にも迷惑はかからないし、
 この先は、この人間愛に充ちた極めて優秀な技術論を
 徹底的にマスターしようと決意した。 (↓)

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 そういう、気分で叱っているというのは、伝わるものなので、
 うっせーとか、うざいとか、いわれる。

 ああそうですか、と頭の中でちゃぶ台をひっくり返してみたりして、
 とりあえずうっぷんを晴らす。

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 2011年2月5日(土)/その587◇いよいよ今日から

 今日明日は、いよいよ日本フラメンコ協会の20周年記念公演。
 
 「手伝いはしない。金は出さない。だか、誹謗中傷は任せとけ」

 こういう三拍子そろったギブ抜きテイク専門タイプに
 ぐるっと周りを囲まれながらの協会運営ボランティア20年には、
 何ともならなくとも何とかしようという明るいド根性があふれている。
 こういう現象というのは、本国スペインでも類を見ない、
 後世の国際フラメンコ史に輝き続けるであろう快挙なのである。

 フラメンコが世の市民権を獲得していない時代に辛酸を舐め尽くした世代は、
 かつて己が味わった屈辱的思いを、自分らの世代で断ち切りたかった。
 そういうフラメンコたちの想いと行動の総量が、一般社会における協会
 (つまりフラメンコ)のステータスを確立させた事実は忘れるべきではないだろう。
 だから、フラメンコ普及発展のための新人公演や各種フェス等の健全運営の
 若い世代へのバトンタッチは、老い先短いベテランたちにとっての宿願でもある。

 一方で業界をリードすべき30代が、ほとんど先輩たちに依存状態であるのは、
 現代日本の世相そのものの反映である。
 逆に、きびしい実情とサバイバル根性を正確に伝達することもなく、
 ただ甘やかせてしまった世代の責任も大きい。もちろん私もその一員だ。
 だから、そういう現実をひしと受け止め、やるべきことを淡々とやるしかない。
 かつては浮き世離れしていたフラメンコ界もだんだんと、
 引きこもり人口70万人と云われる一般社会のようになってきた。


 ま、そりゃさて置き、今日明日はぐらとみゅしゃとヒデノリと私、
 それとカメラの大森有起で、嬉々としてパセオ公演忘備録の取材に出掛ける。
 もの凄いメンバーによる、協会の祭典ならではの豪華絢爛プログラム。
 この二年のさまざまな紆余屈曲の中、メモリアル公演実現にこぎつけた
 ネバーギブアップな関係者たちの想いと祈りを、
 この両の眼にしっかり焼き付けてくるつもりだ。

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 2011年2月6日(日)/その588◇お行儀と厄払いと若干の余裕

 きのうは協会20周年公演・新宿文化センターの初日。

 パセオに公演忘備録を書く、ぐらとみゅしゃと並んで観る。
 初日のみを書くヒデノリもどこかで観てるはず。
 カメラの大森は、5月号の心と技(佐藤浩希)の撮影取材も兼ねている。

 フラメンコ界のこの二十年が走馬灯のように駆け巡る。
 舞台はそれぞれが皆それぞれにステキだった。
 おれ的には01、06、07あたりが圧巻だったな。
 
 終演後は追っ手を振り切り、ヒデノリたちと秀でドンチャカ呑む。
 一度頭をカラッポにしたいライブのあとは、これが定跡なのである。
 てゆーか最初から頭はカラッポじゃねーかという説も捨て難い。
 私のプログラム寄稿に対し、「もー少し、お行儀よく書けんのか?」と、
 ヒデノリから鋭いツッコミが入った。

 さて、会場でお酒やらお菓子などを差し入れてくれたマイミクの皆様方よ、
 ほんとうにありがとう!
 バレンタインの先払いだったのね。てゆーか、厄払いなのね。
 つなみに、
 本日の私のバッグの容量にも、まだ若干の余裕がある、とのことである。
       
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 2011年2月7日(月)/その589◇協会公演と打ち上げと打ち上げ

 きのうは協会20周年公演の二日目。

 初日も素晴らしかったが、二日目も素晴らしかった。
 普通に書けば、楽に1万字くらいは書けると思うが、
 私の担当は1200字くらいなので逆に苦労するかもしれない。

 終演後はぐらとみゅしゃを連れ、新宿駅近くで呑んだ。
 三人とも二日間の取材でぐったり、のはずだったが、
 極めて濃い内容の、しかもバカスカ元気の湧いてくる公演だったので、
 こちらも大盛り上がりで、1時間だけ軽く呑む予定が倍になってしまった。

 そのあと、出演メンバーの打ち上げ会場、高円寺エスペランサへと
 大幅遅れで駆けつけた。
 濱田会長、小島理事長をはじめとする主要出演メンバーは、
 すでに大盛り上がりの最中である。
 翌朝は大きなプロジェクト会議、夜には有田圭輔インタビューが控えているので、
 軽く切り上げようと思ってたのだが、もとよりそんな言い訳が通用する世界ではない。

 鍵田真由美、森田志保、渡邉薫、チャチャ手塚・・・をはじめ、
 たくさんの出演メンバーと、打ち上げの場ならではのツッコミ話をサシでした。
 こういう本音が出やすい場でのキャッチボールは後々効いてくるのである。
 
 お決まりのフィエスタが始まったのは26時くらいだったか。
 佐藤浩希のギターを中心に、疲労困憊状態であるはずのアルティスタたちが
 自分たちだけのために唄い踊る。
 ボーダーレスにして超ハイレバルなそのフィエスタは、
 きっと朝まで続いたことだろう。

 27時すぎにそっと退散したが、帰路の車中、
 やはり二日間出演した連れ合いは、楽しそうに爆睡していた。


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 2011年2月8日(火)/その590◇いちばん悪い奴

 ヒデノリとサトルは、私よりひと周り年下の親しい呑んだくれ仲間。
 どちらも私より稼ぐ上に、私よりオトナなのである。

 ある時、『デスノート』の話題になった。
 そこに人の名前を書くだけで人を殺せる、あのノートである。
 明るく温厚な二人なのだが、やたらと正義感が強い。
 喜んでデスノートを行使しようじゃないか、と云うのだ。
 そしてまあ、殺すべき候補が次から次へと出るわ出るわ!(汗)
 私もハムラビ法典派ではあるが、キャツらは遥かに過激である。

 悪質な殺人犯。
 悪質な放火魔。
 悪質な強姦魔。
 悪質な詐欺師。
 悪質な政治屋。
 ・・・・・・・・・・・・。
 まあ、この先は書かない方がいいだろう。
 私まで殺されそうな勢いなのである。

 さて、このやりとりを聞いていた天下の超美女、
 代々木上原のオードリー・ヘブバーンこと、
 秀の看板娘カズコが、こうつぶやいた。

 「私には殺したい人の名前は書けないな。
 だいたいそんな人いないし。
 そうするぐらいだったら、私の名前をそこに書き込んでほしい。
 あまり苦しまないでポックリ逝けるんでしょ?」

 ええっーーーーー! そー来るのおっ!?

 まあ、普段からそういう品格漂う女ではあるのだが、
 私にはまるで思い浮かばなかった、
 そこはかとない哀しさを帯びたこの美しい発想に、私は感動した。
 
 よし、わかったよ、カズコ。
 涙を呑んでこのオレが、お前の名前を書き込んでやろうじゃないか。
 ただしその前に、ひとつだけささやかな頼みがある。
 いやナニ、オレが受取人になる生命保険(三億円)に
 ちょろっとサインするだけだよ。

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