炎の商社マン(上)
- 第一章 ( その6 ) -
総合商社トーセンは元の名を「東洋繊維貿易」といい、
大正9年(1920)に三光物産の棉花部が分離独立した
会社である。三光は言うまでもなく五菱と並ぶ日本の
二大財閥のひとつである。
鉄鋼と共に明治以降の日本の工業化を推進する
原動力となった紡績事業を、その原料である棉花の
輸入からそれを製品化した綿糸・綿布の抽出を担うことで
支える棉花部の事業が拡張し、本体から分離独立させて、
「東洋繊維貿易」が発足したという背景がある。
戦後のGHQ占領統治の時代に、戦中の軍部への協力の
度合いを勘案して、財閥系の会社の多くが解体された。
三光物産・五菱商事が共に財閥解体の対象となって消滅し、
その結果戦前のランキング3位の「東洋繊維貿易」が、
自動的に日本最大の商社となったのである。
中原信介が入社した昭和32年(1957)の時点では
「東洋繊維貿易」が構築した海外拠点の数は業界他社を
圧倒し、116名にのぼる駐在員の数は日本の貿易業界首位の
評価にふさわしかった。
戦後日本の復興は貿易振興によってとの機運の下に、優秀な
人材が競って総合商社に集まり、中でも業界首位の
東繊(東洋繊維貿易を略した通称)には、東大・京大・一橋の
俊秀がひしめいていた。
東繊は中原信介にとって、小学校3年生の幼いときからの
憧れの職場で「ボクは将来必ずあの会社に」と心に決めた
会社であった。
父の仕事の関係から大連に生まれ、奉天から新京へと
転校した信介が偶然手にした一冊の「黒革の手帳」。
それは「東繊手帳」として世に知られた分厚いもので毎年の
お歳暮に関係先に配られるものだった。
新京の同じ隣組仲間に戸川という二年生がおり、兵隊ごっこで
信介の当番兵を務めており、上官である信介に貢物として
進呈されたものが「東繊手帳」だったのである。戸川の父が
東繊の新京支店長(後に専務)で、何冊かを家に持ち帰った
中からの一冊が信介の手元にきたことになる。
革の匂いと独特の手触り、2センチはある分厚い中味。
そして何よりも幼い信介の心を捉えたのが、見開きに
掲げられた大阪高麗橋の本社ビルの威容を写した
写真であった。
昭和20年に入ると日本の敗色はますます濃厚となって
いくのだが、相次ぐ空襲や食糧難でそれを実感する
内地の人たちとちがい、満州ではソ連参戦までは物資も
豊富で人々は平穏な日々を送っていた。
満州国高官のはずの父に赤紙が届き、最下級の
二等兵としての応召だったから、子供心にも何かオカシイと
信介は思った。
そして思いもかけない母の死に遭遇する。8月1日のこと
だった。敢えて行うまでもない軽い手術のはずだったのに、
その手術が失敗で、母は水を求めながら息絶えた。
看取ったのは11才の信介だけだった。
4才で病弱の弟、康夫を連れてこれからどうすれば
良いのだろう。信介は途方に暮れた。
それでも葬儀一式は、父の会社の人たちや隣組の人たちの
手で行われ、だだっ広い家に二人取り残された9日早朝、
満州ではあり得ない空襲があって、それがソ連参戦と
知る由もなく、ますます心細い思いをしていた時に、
突然父が帰ってきた。
母の死の知らせが8日午後になって漸く父の所属部隊に届き、
父は一時休暇をもらったとのことだった。
父は慌てており、思考回路が狂っていたとしか思えない愚挙を
仕出かしてくれた。
こともあろうに兄弟だけで北朝鮮に逃れる列車に乗れという。
信介は反対した。
全満州で最も安全な場所といえば、ここ新京しかない。
なんといっても関東軍本部のお膝元であり、治安が安定している。
「死ぬ時はみな一緒に」と隣組の人々も言うし、何も当てのない
北朝鮮に行けなんて、いったい何を考えてるのか。それをクチに
すると鉄拳が飛んでくる。帝国陸軍で数ヶ月とはいえ鍛えられた
腕で殴られるのは辛い。
11才の信介が病弱の弟康夫を連れて、誰も知り合いの
いない場所で、どれほどの辛酸を舐めることになるのか、
父にはなんの配慮もなかった。
早く子供たちを逃がして、自身は関東軍本部に出頭し、
新しい任務を命じられる。それしか念頭に無いようだった。
信介の判断で、皆が南へ南へと最終地・大連を目指すとき、
逆行して新京に戻るのは9月も半ばを過ぎてからのことである。
新京には差し当たりの収入を得るべく、俄かに出来た野外市場が
あちこちの空き地に出来て、そこへ行けば本当に何でもあった。
饅頭、餅、三笠焼、きんつば等のお菓子もたくさん。
生まれて以来小遣いというものを持たされたことのない信介には、
美味そうなそれらに手が届かない。市場の中に級友の一人が
タバコを売っているのが目に入った。
「ボクもタバコの売り子をしたい」と信介は思った。
少しでも口銭を稼いで、あの饅頭を食べたい。
級友は親切な男で、タバコを卸す親方のところへ連れて
行ってくれた。親方というのは中年の女性だった。
信介の身体を上から下まで嘗め回すように眺め、何処に
住んでいるのかと訊いた。
信介が住所を言うと、ちょっとビックリした様子で、
「いいわ、タバコを卸してあげる。お金が無いらしいから、
あんたを信用して貸してあげる。
売れたら口銭が入るから貯まったら現金で仕入れてちょうだい」
母の遺品の箪笥の引き出しを一つ抜き取り、これも遺品の
赤いしごきを肩から腰に廻して
駅の弁当屋みたいな形でタバコを並べる。これが正式な
タバコ売り子の姿らしかった。
市場には買い手も多いが売り手もまた多い。
信介の頭の中に閃くものがあった。父はソ連軍の目を恐れて
一歩も外に出ない。
近所のオジサンたちも同じ。父はタバコを吸わないが、
たいていの大人の男は喫煙者である。一歩も出ないで
タバコを切らしてるんじゃなかろうか。
家のある方に戻り、通り一本隔てた住宅街に行って、最初の
家のベルを押した。
「オッ! タバコか、これは有難い。いくら持ってる?
それ全部買おう」
直ちに親方の元へとってかえし、再び貸してもらう。意外に
口銭が多い。その分借りが少なくなる。
先ほどの家の隣に行き、続けて二軒。この三軒で全部売り切れ。
もう箪笥の引き出しなんか要らない。家に帰って引き出しを
元に戻し、今度は風呂敷を二枚持って親方の元へ。
「あんた、何か特別の売り方やってるね。何してるの」
信介はただニコニコして返事をしない。せっかく発見した
漁場を他人に教えるバカは居ない。
親方は売れればいいわけで、大量のタバコを仕入れた信介は、
風呂敷を抱えて次なる漁場へ。
全量がはけて精算したら、たった一日でかなりの金額が信介の
手元に残った。
もう何でも食える。餅でも饅頭でも。
中原信介11才。ポーラよりもメナードよりも早く、訪問販売に
成功した。
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「炎の商社マン」 解説
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