炎の商社マン(上)
- 第一章 ( 2 ) -
「そういう狭いお考えにはついて行けませんな。合繊メーカーは
なにも皇人だけじゃありませんからね。皇人も確かに大切な
取引先の一社ではありますが、他にも東光ナイロン、
朝日合繊、岡山レイヨン、大日本アセテート、五菱レイヨン
などなど、ボクの欧州派遣に期待してくれているメーカーが
たくさんあります」
「その中のワンノブゼムに過ぎない皇人の森嶋さんだけに、
べったりくっつけなんてバカな命令下されて、そんな世間の
見えない人の指示なんかに従うわけにはいきませんな。
それにボクに課された仕事は、純繊維だけじゃありませんよ。
五菱石油化学や積山化学などの案件もやらなくちゃ
なりませんしね。
これはトーセンに人多しといえども、ボク以外の人間には
出来んことです」
「お前たち合成繊維の連中は、何かというと新しい用語を
使って、上司であるオレを煙に巻こうとする。ここは本社では
なく欧州繊維部だ」
「それはそうです。そして貴方が欧州繊維部長であらせられる」
「それが分かっているなら、オレの指示に従うのが当然だろう」
「何を言ってんですか。貴方が部長に就任して何年に
なるのですか。確か5年は過ぎましたよね。いま欧州に貴方を
部長といただく駐在員は何人いるんです。
それで肝心の業績の方はどうなってんです」
「だから、それを立て直すのに、皇人の森嶋さんが新たに
始められる事業の手足となって働く、窓口商社の専任者として
キミに来てもらったんじゃないか」
「例の仮撚りのハナシですか。当然やりますよ、ワンノブゼム
として」
「そんな失礼なことができるか。オレは森嶋さんだけじゃなく
所長の白石さんにも、専任者をつけますから是非窓口商社に
と頼んである」
「まるでご自分のお手柄みたいな言い方ですな。あの案件は、
本社ベースで田中部長自ら、皇人の大山部長と折衝されて、
トーセン窓口が決まったんです。ついでに言えば皇人とは、
仮撚りだけでも、ドイツ以外にギリシャでの事業計画もあるし、
工業用材料の案件も幾つか用意してあります」
「そんなハナシ、オレは聞いておらんぞ」
「貴方は森嶋さんだけが皇人だと錯覚してらっしゃるんじゃ
ないんですか。たった一つの案件だけに、貴重な人材一人を
べったりくっつけて専任者とするなんて、えらい余裕のありこと
考えるのが、まだトーセンの禄を食んでたとはなあ、これじゃ
赤字の垂れ流し体質は直りませんな」
「欧州繊維部長としてのオレが何も知らされていなくて、
一兵卒のお前が、いろいろと並べてる。組織がたるんでいる
証拠じゃないか」
「よくそんなことが言えますね。組織のタガをゆるませて平然と
5年も無駄飯食ってた人に、バカらしくて本社も連絡なんか
取る気が無いんでしょう。貴方はご自分が意志決定者だと
思ってられるようですが、決定はすべて本社ベースで
行われます。
それから、えらく興奮しておられるようですが、早くもキミから
お前に格下げですか。
会社なんだから、キミと呼ぶぐらいの落ち着きを保って
欲しいもんですな」
「お前なんか、お前で充分だ。キミなんてガラか」
「だんだんホンネが出てきたようですな。稼ぎも無い
欧州繊維部長なんて、ただの現場見回りみたいなもんで、
誰も司令官なんて思っちゃいませんよ。せいぜい自覚して
本社の信頼を取り戻す努力をなさることです」
「オレが司令官じゃない? そんなら何か? 貴様が新任の
司令官だとでも言うのか!」
「ほう、今度は貴様ですか。そんなに頭に血を上らせなくても
話は出来るはずですけどね。血圧いくつあるんです」
「貴様、オレに喧嘩売る気か」
「困ったお人だな、聞きしにまさるオッサンやねぇ」
着任早々の部下、中原信介にオッサン呼ばわりをされた
高木は激昂した。いきなり立ち上がりテーブルをドンドンと
叩いた。小柄な高木だが、これをやるとたいていの部下は
恐れ入りおとなしくなる。
高木には軍隊経験がある。中支で終戦を迎えたとき、
古参の軍曹だった。部下は威圧すれば従順になるものと
思いこんでいた。
ところが、あん畜生め、中原は違った。
同じように立ち上がったかとみると、高木がやったのを
真似るがごとく、いやもっと激しくテーブルをドンドンと叩き
かえしてみせたのである。
高木の全血液が頭に集中した。
「貴様ぁ、それが上司に対する態度か」
「あれっ、議論にいき詰まると立ち上がってテーブルを叩く。
それが貴方の儀式なんかなぁと思って、それで貴方の方式
でお返しをしただけなんですけど。
それと、あらためて申し上げますが、いまも貴様って
言いましたよね。トーセンには部下に貴様呼ばわりをする、
そんな野蛮な人間は居らんことになっているはずですが、
欧州繊維部長だけは、別扱いなんですか」
心中ぐっと詰まった高木だったが、ここで弱みを見せるわけ
にはいかない。自分が十五才も若い中原に手玉に取られて
いることが分かるだけに、余計に怒りを増幅させていった。
「オレは今日の日までお前のようなヤツを見たことがない。
オレは明日の飛行機で大阪に帰り、本社と交渉して必ず
お前をクビにしてやる。
覚悟を決めて待っておれ」
中原は恐れ入るかと思いきや、平然とした態度を崩すこと
なく言い返してきた。
「そうですか。それはご苦労なことです。だけど、そう貴方の
思い通りになりますかねぇ。
本社では何年も赤字続きの欧州繊維部は解体すべしとの
声が高まっているし、採算なんか考えたこともない外交官
気取りの集団は処罰の対象だとの強硬意見もありますよ。
当然貴方がその処罰の主対象でしょう。
その体質を変貌させて儲かる体制を作るためにボクは
派遣されて来たんですけどね。
まあ、帰った途端クビの宣告を受けるのが貴方の方じゃ
なかったらいいんですけど。やっぱ無理かなぁ」
「そうそう、カクさんを頼っているんでしょうけど、あんな
アホ専務、もうチカラありませんからね」
高木がいままで聞いたこともない大胆不敵な中原の
勝利宣言にも似た言葉に、高木は放心状態になっていた。
「ともかくお前はクビだ、お前ごときに舐められて黙っている
オレではないわ。必ずクビにしてやるからな」
そう言い放つと、高木はまるで解放されたように支店長室
を飛び出し、これといった当てもなしにエレベーターで下に
降りた。
アルスターパビリオンに行って、コーヒーでも飲もう。
中原信介という不埒なヤツが、どれほど無礼でけしからんか
本社の関係者に分からせるために、報告書の形にまとめる
必要があるだろう。
その草稿をまとめよう。
早く熱いコーヒーが飲みたい。
一方の中原はどうしていたか。赴任早々に支店長兼部長
と衝突し、あろうことかテーブルを叩き合う大喧嘩を
やらかしてしまった。相手の高木は激昂のあまり明日にも
大阪へ飛ぶらしい。必ずクビにすると怒り狂うところまで
上司を追い込んだし、普通のサラリーマンなら落ち着いて
みると自分のやり過ぎに愕然とし、当の上司に頭を下げに
行くところである。
中原には高木に謝罪する気持ちなんて、これっぽっちも
無かった。むしろ「してやったり」とニンマリしていたのである。
「これで最初の仕事は片付いた。邪魔者は処分するに
しかずだ」
高木のような前世紀の遺物みたいな上司がいたんじゃ、
仕事がやりにくくて仕様がない。
叩き帰してやろうと喧嘩のきっかけを待っていたら、なんと
先方から仕掛けてきてくれた。
おかげで時間の節約ができた。高木源一郎、さして悪者
でもなさそうだが、ああも頭が悪いんじゃ救いようがない。
陸軍経験者の悪いところ、すぐに怒鳴りつけるクセも
直りそうもないし、いいや後は田中部長に任せよう。
中原信介はその夜、さし当りの宿として契約したペンション
の自室で、長い手紙を田中吉三郎宛てに書き、
翌朝航空郵便で出した。
「さっそくやってしまいました」で始まる長い手紙には、
中原がこれからヨーロッパ全域で手がけようとする
ビジネス戦略が、主たるメーカー別に詳しく記載されていた。
≪前へ 目次 次へ≫
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「炎の商社マン」 解説
著者自ら自作を語る!注目です。 >解説 目次へ
書籍のご購入は
パソコンから : ご注文フォーム
お電話で : 0120-198-011
(携帯の方は 078-857-3148)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます