炎の商社マン(上)
- 第一章 ( 5 ) -
「おていちゃん」にはすでに山村が来ており、西尾もすぐに
やってきて5人が揃った。
まずはビールとなり、おていちゃんが自ら運んできた。
「高木さん、お久しぶりですね、ドイツからお帰りに
なったんですか」
「いや、こいつは一時帰国というやつでね。下手するとこの
ままってことになるかもな」
「それは、どういう意味だ」
「まあ、そう気色ばむな。とに角、乾杯だ。せっかくのビールが
温まってしまう」
「高木、ご苦労さん。カンパイ!」
「いや有難う、持つべきものは友だ。どうも今回のオレは
皆に疎外されているようで、気が晴れぬ」
「いまや合繊万能、それも原料部隊の意気高しの
時代だからな。
我々綿糸布は御用済みってとこよ」
「昨日の会議でビックリしたよ。田中吉三郎以下、松木など
次長クラスまで、鼻息の荒いこと」
「稼ぎの規模が違うからな。織物を一反いくらで売ったところで、
総合商社の商売にはならんよ」
「高木んとこへ最近中原ってのが行ったろ」
「来たよ。それが今回の急な一時帰国の理由だ」
「やっぱりそうか。中原となんかあったんか」
高木は気の置けぬ友人たちに、つい先日
ハンンブルグ支店長室で、着任早々の中原信介と激しく
やりあったことを話し、その態度の不遜きわまることを
訴えた。それまで黙っていた山村が言った。
「高木、お前は失敗したな。どうせいつものように最初に
威嚇して服従させようとでもしたんだろう。何も中原に
限ったことじゃなく、今の合繊原料の連中にそんな
手は利かんよ。お前も合成繊維とくに原料なんて分かりっこ
ないんだから、余計な口出しせずに中原のやりたいように
やらせてやる姿勢を見せればよかったんだ。成績が上がれば
それはお前の功績になるじゃないか。
お前もいつまでも若いよな」
「中原ってそんな腕利きか」
「国内商いで、トーセンの歴史上誰も考えたことのない
商品開発を次々と成功させて、ハンパじゃない稼ぎを
認められて、その発想を海外市場でもと田中の吉さんが
強引に輸出に引っ張ったそうだ。なんでもカクさんも手が
出せんらしい」
「六角天皇の威光が及ばんのか」
「あのバカ専務を放り出せ。あんなアホが居る限りトーセンの
行く末は危ない。一日も早く辞めさせろ」って、毎日のように
社内で大声で言いふらしていると有名だった。
「五菱石油化学の一件があって、香山社長も大向副社長も
中原の存在を意識してるというしな」
「普通、社長・副社長なんて平社員の名前なんか知らんぜ」
「天下の六角天皇の威光なんて、いまや地に落ちたって
感じだな。時期社長どころか、今季いっぱいで子会社行きが
決定的らしいぜ」
「平社員の中原の言う通りになるってか」
「そうなるんじゃないか」
「専務のクビを平社員が取ることになるな」
「なりそうだ」
「専務それも天皇と崇められたクビを取ろうってオトコよ。
それこそ欧州繊維部長のクビなんて眼中に無いんじゃないか」
「・・・・・・・」
「どうした高木、元気ないじゃないか、まあいこう」
言われてコップを差し出した高木に、もはやビールの味なぞ
わかりっこなく、ただの苦い水だった。
山村の発した次の言葉が、高木には追い撃ちにも似た
決め手に思え、ハンブルグで中原が言ったようにクビに
なるのは自分なんだと落ち込んでいった。
「中原信介か。社内を肩で風切る合繊原料の若手の中でも、
カクさんとサシで渡り合って平然としているのはあいつぐらい
だろう。高木ももっと社内情報を身につけておくべきだったな」
「しかし、中原って前からいたか。まさか途中入社じゃ
あるまいな」
「れっきとした花の昭和32年組よ。受渡や国内営業が
長かったから、海外には名前が届いていなかったわけ」
「ああ、西尾は奉天だったな。子供時代の中原のこと、
知ってるんだろう」
天王寺商業を卒業してトーセンに入社早々、旧満州国の
奉天支店に勤務を命じられた西尾は、昭和17年に後に
首相となる岸信介の主導で行われた、商社の繊維部門の
統合による満州繊維公社に出向を命じられた経験を持つ。
中原の父が初代奉天支社長に任じられたから、西尾は
中原の父の部下だった時期があることになる。
「オレなんか入社早々のペイペイだからな。支社長なんて
雲の上よ。それも支社長を一年ほど務めて新京本社で
主席監察官なんて役職についたと思う。たしか満州国高等官
だったが、そんな中原さんにも赤紙が来て、まあ新京では
大勢が徴兵されたんだが、前線部隊に配属されている
留守に奥さんが亡くなったそうだ。
いま問題の中原が当時11才かそこらで、それが4才の弟を
連れて奉天まで逃れてきた。ソ連が参戦してすぐのことだ」
「親がいなくて子供だけで逃げたのか」
「おやじは兵隊で、一緒に逃げたら脱走兵になる。中原さんは
緊急措置として、子供達に北朝鮮行きの疎開列車の席を取り、
それに無理やり乗せたんだが、弟が熱を出したとかで奉天で
降りた。医者に連れていって手当てを受けさせ、弟の症状は
治まったが行く当てがない」
「それでどうした」
「途方にくれたようだが、閃いたらしい。本人は亡くなった
母の声を聞いたと言ってるそうだが」
「何を閃いたんだ」
「新京に引っ越す前に住んでいた家が医者の近くにある。
あそこは公社の社宅だったから、今は父の後任が住んで
いるはず。行けば何とかしてくれるだろうと思ったてんだよ」
「11才でか、たいした知恵じゃないか」
「そうよ、そんな経験積んでるから、度胸も据わってるし頭の
回転もちょっと違うって評判だ」
「父とは満州で再会できたのか」
「そこがまた凄い話でな。満州繊維公社の奉天支社にいたら、
いずれ新京の状況が分かるだろう。そう思って毎日弟を連れて
支社にやって来た。支社でもちょうど新京本社の情報を得ようと
必死だった」
「少しでも日本に近づきたいのが、当時の在満の日本人の
心理よ。パラパラと新京から南下してくる社員が奉天支社に
顔を出す。それが唯一の情報源だった」
「で、中原のおやじの消息は分かったのか」
「配属された部隊はソ満国境に近い最前線だったからまず
全滅だな。中原さんは子供達を列車に乗せた後、関東軍本部に
出頭して事情説明したところ、本部も原隊復帰なんて命令は
出せない。本部自体がガタついているし、やがて敗戦と
決まり武装解除となる。老兵ではあるし入隊から日も浅い。
除隊ってことになったらしい」
「中原はその情報を聞いたんだな」
「それを目的に毎日出社してたんだ。皆が少しでも南へ
というときに新京に戻ると言い出した。
支社としても本社への伝令を派遣しようということになって
いたんで、中原兄弟を同行する形になった」
「逆行したんだな」
「その辺の判断力が我々凡人とは違うのよ」
「11才でなぁ」
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「炎の商社マン」 解説
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