後に平安京が出来たから、大津といっても京都の傍じゃない
かで済むが、天智が近江朝を開いた時点では、飛鳥から大津
とは、突拍子も無い辺地であった筈。
御陵の中に沓の片方だけとは前述したが、天皇の地位にある
者が狩に出るのに供をする十名ぐらいは居って当然。
中大兄皇子という、即位前の名前からも、「中大兄」すなわち、
「中」で兄が居たことを示唆している。
天武の母は半島から来た人とは、知られたことだが、本当は
異母兄弟の天武の方が長兄ではなかったか。
それなら娘の持統を年長の義兄に与えたとしても納得がいく。
聖徳太子の時と同じく、蘇我入鹿を自らの刃で倒すほどの
豪気な皇子が、大兄皇子を名乗ったまま、女帝斉明の新羅
征伐に参加した事に、不思議を感じないか。
新羅との戦は、唐の新羅側参戦もあって、惨敗に終った。
飛鳥から遠く近江に都を移したのは、唐の侵攻を怖れての
逃避と見るのが自然。
異母兄にあたる天武との仲は、良くはなかったと思う。
天武が天智も、その子大友皇子も殺し、王朝を簒奪したという
のが、天皇家に伝えられた話。
故に桓武は天武の系統を先祖と認めなかった。
日本書記も古事記も共に、年長者とはいえ、母が半島系の人
であったことに、コンプレックスを抱いていた天武が、自らを
天智の弟と、皇位を継ぐことを正当化させるための編纂命令
であった。
以上がボクの推察である。すべてが自然に見えてくる。
もうひとつ、天武には天智に恨みがあった。万葉の名歌人、
額田王を盗られたことがある。
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「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」 出版:彩流社 1月19日
内容紹介(「彩流社」HPに出ている。)
・闇に葬られていた日記が語る衝撃的新事実!!
・暴かれた黒幕と新撰組の近藤勇らが複雑に絡み合った背後関係。
・巧みに仕組まれた暗殺の実行過程が詳らかに…。