作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 土佐山内家は江戸期最悪の藩主 (歴史エッセイ 86) 】

2010-01-19 18:16:06 | 05 歴史エッセイ

またもや坂本竜馬の人気にあやかろうとするNHKだが、
江戸期俗に300諸侯と呼ばれた約260の藩の中で、最も
ヒドイ内政を布いていたのが、土佐の山内家であったことに
異論はなかろう。

そもそも藩主が山内一豊と言う、信長・秀吉の時代には、
嫁さんの持参金で馬揃えの馬を購入できたことがエピソード
として知られているだけの、まことにつまらん男。

家康の策謀で上杉討伐の豊臣軍が組織され、その留守を
狙った石田三成が反徳川の旗を上げる。

これを待っていた家康は、小山で評定を開くのだが腕力は
強いがアタマが悪い福島正則の、三成憎しだけで後先を
考えぬ行動宣言で態勢が決まる。

全軍が家康に従うとなったからには、何か家康の気をひく
発言が必要と判断した一豊は、こともあろうに秀吉から
与えられた掛川の城を家康に差し出すというおよそ豊臣大名
にあるまじき行動に出る。

そうまでして家康の気にいられようとする、およそ男の風上
にもおけぬヤツ。

関ヶ原の戦後、西軍に加担した長宗我部氏が家禄没収と
なって、その後釜に、なんと一豊が。

普通なら長宗我部の旧家臣を多数召抱えることで地元の
安心感を買うところを、このバカは京都で浪人どもを多数
召抱え、それらに守られた形で土佐に入国する。
まるで多数の民主党員を従えて得意然とする小沢一郎を
見る思いがする。

京都から引き連れたあぶれ者が上士で、地付の長宗我部侍
たちは下士。道で下士が上士を見かけると、跪いて道を譲る。
上士は気にいらねば下士を切り捨てご免だ。

こんな乱暴な藩政を布いたところは他にない。
幕末だって、土佐の山内容堂は最後まで佐幕の本心で、
行動は日和見を決め込む。
もう官軍の勝利と決してから、やっと行動を起こし官軍に
参加した汚いヤツ。
それが山内家だ。


                       パパゲーノ



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