作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 透析生活10年目 (19) ボクの葬儀のやり方 】

2007-03-03 15:36:22 | 09 透析生活15年目


昨日の透析のベッドでの会話。
相手は婦長ともう一人のナース。
かなり真面目なハナシです。

ボクは婦長のことをママと呼ぶ。
最近ではナースたちもママと呼び出したみたい。
「ママに聞いてきましょうか」なんて使っている。

「ねえママ、ボクがここで死んだらどうなんの」

「救急車を呼びます」

「もう死んでいるのに、なんで救急車?」

「だって、ここじゃ看取れませんよ。一応一式
揃えてはあるけど」

「救急車で何処へ運ぶ」

「多分市民病院か、ひょっとしたら赤十字かな」

「そこで死亡確認をするわけ?」

「そうね、それまでは必至に心臓を動かそうと
努力を続けます」

「せっかく、もう死んでいるのに?」

「ところで、市民病院かどこかで、死亡の確認が
出来たら、後はどうすれば良い?」

「そこからは葬儀社の仕事でしょう」

「病院で棺おけに入れるのかな?」

「さあ、そのままご自宅に送るのじゃない」

「どんな格好で?」

「寝たままで、担架に乗せてじゃなかったかしら」

「寝たままじゃなくて、死んだままでだろう」

「葬儀社は、やっぱ必要なんだろうな」

「そりゃ必要でしょう。ご家族だけじゃ、どうにも
ならないわ。先ず市役所に届け出したり、お寺に
連絡したり、ご家族はもう大変よ」

「それを、なるべく大変にしないように、今聞いてん
だ。ボクは無宗教で弔って欲しいしな。寺の坊主なん
て、トンでもない」

「でも、お通夜の、たとえ密葬でも祭壇は要るし」

「最低のヤツでいいや、マンションの共用部分に
和室も洋室もあるから、あれを使わせてもらうよう、
今から頼んでおこう」

そうなんです。ボクは無宗教でこの世におさらばしたい。

どうしてもというなら神道だな。寄付してボクの名前の
石柱が建っている、二つの神社のうち、弓弦羽の方
はヨメさんが、えらいケバイから、あそこは避けて
本住吉の方がいいかも知れん。今度行って、葬儀
引き受けてくれるか聞いてみよう。

あらためて墓石なんか要らない。そのために神社の
境内に名前入りの石柱がある。

戒名なんてとんでもない。名前は生前も生後も一個
で良い。特にこの名前、気に入っているし。

なんたって、司馬遼太郎さんの記念館の中庭に、
銅版に名前が掘り込まれたのが建っている。
あんな立派な戒名は滅多にあるもんじゃない。

暫くしてから、友人知人集まってもらってモーツアルト
とベートーベンを主体にフェアウエル・コンサートを
やる。

立食にして水割りの一杯も飲んでもらう。写真も飾ら
ないし、献花もやらない。もちろん御供物の儀は固く
お断り。

坊主が現れたり、少しでも香の匂いがしたら、祟ってやる。

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