作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 月額6万円の家賃が一挙120万円に 】

2011-08-02 10:32:25 | 02 華麗な生活

ドイツでの所要を終えて帰国。伊丹空港まで出迎えてくれた
社員たちがニコニコしている。
何か良いことでもあったの
だろうか。話の中味を聞いてのけぞった。バカか、お前等。
会社にカネの成る木でも植わっているのか。

御堂筋パレードの計画があった。そのパレードの基点の
場所にS生命のビルが建造中
であるとは知っていた。
が、まさか。暢気な社員たちは、そのS生命に連絡を入れて
新事務所の候補に上げていたのだ。
家賃が何倍、いや何十倍かになることに無関心
なのだ。
起業者と給料取りの大きな違いを改めて知った。

驚いたことに、その翌日かに昼食を摂りに外出し、
帰社したら見知らぬ背広姿があった。
S生命の不動産部の人だった。

「ウチみたいな、昨日今日出来たての小さな会社に、
お宅の厳しい審査は通りませんよ」
「いえ、すでに通してあります。社長さんがサラリーマン
として、どんな活躍をされたか
有名な方ですから」
「とにかく、一度現場をご覧ください」

ハナシの種にはなるだろう。一生の目の保養にと、
出かけて行った。かなたに大阪城が見える。こっちの方が
はるかに高い。秀吉に勝った気分になる。
見渡す中に、ボクがこの前まで居た会社が低く、小さく
見えた。他に数社のライバル
商社のビルも。
これを日々眺め下ろしながらの気分はさぞ爽快なものだろう。

そこへS生命の部長がやってきた。

「お家賃だと思われると確かにお高いでしょう。
だけど如何でしょう。御社の宣伝費
とお考えになれば」。
さすがは部長だけのことはある。殺し文句を知っている。

家賃は月額120万円、保証金が1200万円だという。
到底手の届かぬ金額だが、
何となると浅はかに考えた。
それからが地獄だった。カネの苦労を味わったことを社員
たちはどこまで分かっていたやら。
その時点で会社の金庫には、かき集めて400万円の現金
しかなかった。
ボクには最後の財産として、S化成の株が1万株あった。
時価が650万円くらいだった。

主力銀行面で通ってきていたT銀行の支店長代理に、
1200万円を貸せと言った。
使い道は御堂筋に新築のS生命のビルの保証金。
400万円を定期預金にする。
ボクの持ち株を時価650万円担保に入れる。

てっきり快諾されるものと、その時は思っていた。
支店長決済でみごと拒否されるとは
考えもしなかったの
だからオメデタイ。
それが58年の2月始めのこと。

新ビルの入居が5月からだった。残された時間は3ヶ月しか
ない。
闘志が湧いてきた。
「ようし、何としても1200万円、耳を揃えて5月初めまでに
用意するぞ」
あんな思いは以後もしたことがない。当時の代理店の数が
およそ25軒。
美容室にワゴンを乗り付け、美容用品の行商
を業とする、決して豊かじゃない
中小企業だ。
幸いにして三年間かけて行なったセミナーの効果が出て
きていた。
世界で初めて特許を取った美容食品「ビューティキャップ」
の評価が高まっていた。

4月末には1400万円ぐらいの現金が口座にあったから
思議である。3ヶ月で新たに1000万円稼いだことになる。

この時も、受取手形を銀行で割ることは考えなかった。
以来手形を割ったことも振り出したこともない。
第一、手形帳を持ったことがない。

(この稿続きます)


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