作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 石原慎太郎は日本の歴史を知らない(歴史エッセイ124) 】

2012-11-08 10:12:45 | 05 歴史エッセイ

足利十五代将軍を足利義輝だと言い張ったのは有名。

その石原が、何かといえば「薩長連合」を持ち出す。
そして薩摩と長州は戦争をした間柄だと言う。
幕末の京都に長州軍が大挙して押し寄せ、御所の蛤御門を
守っていた会津藩と激突する。
途中まで中立の立場だった、薩摩藩が御所が危ういと見て
守備側に参戦した。
公然と薩摩藩と長州藩が、戦ったわけではない。

今の第三局の中で、薩摩はどこで、長州はどこに当るのか。
石原の気持ちの中には、「立ち上がれ」も薩長のいずれかと
言いたいのであろうが、「立ち上がれ」は薩摩でも長州でもない。

ついでに書くが、薩長の中を取り持った主役は、坂本竜馬では
ないぞ。
中岡慎太郎と土方久元が、熱心に両藩の仲を取り持った。

中岡は竜馬と共に、幕府が大政を奉還した京都で斬られて死ぬが、
土方は明治維新の中で、伯爵に昇進する。
土佐人としては、幸福な人である。

坂本竜馬は、好奇心旺盛で、薩長連合の案を中岡から聞いて
それは面白いと、後から割り込んだ人物。

越前の松平春獄や、宇和島の伊達宗城といった、大名に直接
会って、海援隊の資金を出させた辺りは、土佐の脱藩者としては
立派なものである。しかも竜馬は郷士の身分の者であった。

ついでに書いておくが、幕末の四賢候の中に土佐の山内容堂が
入っていることに異議がある。ヤツは佐幕派の巨怪というべきで
愚候の代表であった。NHKの大河ドラマの歴史観には、往々に
徳川様さまが見て取れる。




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