作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 越し方を省みて 】

2010-03-02 14:14:04 | 02 華麗な生活

腰の椎間板ヘルニヤが始まったのは20年以上も前のこと。

病院の整形外科に診てもらったら、「まだ若いのだから、
こんな所で治療を受けるより、スポーツクラブに入会して
背筋を鍛えた方がよい」と言われた。

その時すでに60歳寸前であったが、医者が「まだ若い」と
言ったのだ。

そこで最寄のスポーツクラブに入会したが、マットでの
ストレッチ体操が面白くないから長続きしなかった。

95年に例の阪神大震災の直撃を受けて、その時点で
29年間、食事療法で抑えていた腎臓が駄目になり、2年後
の97年10月1日に人工透析が始まった。

最初の一年間は、針を刺される度に痛いし、4時間もベッドに
居ることが苦痛で、こんな状態が永遠に続くのなら、死んだ
方がマシだと真剣に思ったものだった。

健全な精神は健全な身体に宿る。

そうだと思い、ホテル内にある、別のクラブに入会し、
テニスコーチのレッスンを受けるようになった。

当初は5分と身体が持たず、すぐに横たわり息を整えて
いた。


そんなテニス&透析生活が07年まで続き、真夏に38日間、
真冬に43日間の連続出場まで果たした。この記録は
破られていない。
透析はぐんと楽になった。テニス効果だった。

07(06年?)年3月末に、トガメが現れた。尾てい骨の辺りに
激痛が走り、歩くことも不能。整形外科を探して、神経ブロック
注射。

週一回の神経ブロックと、頑丈なコルセットでなだめていた
が、痛みはどんどん激しさを増す。

ついに意を定めて手術を決行したのが、去年5月。

この詳細は、連載した「腰痛治療日記」と「新・腰痛治療日記」
に詳しい。

昨日入ったばかりの情報では、同じ頃に手術を受けた同病の
人が、ボク同様に苦しんだ末に亡くなったという。

無関係な人には迷惑なブログだろうが、心当りがある人々に
は歓迎されている。

今日のヒルメシに、会社から程近い中華料理屋に行き、
ラーメンを食べる女子社員2名を眺めながらボクは焼き餃子
を二人分12個を食べた。
この店は神戸中華街に本店がある。

ニンニク入りの後は、コーヒーと決まっていて、いつもなら
会社で点てるのを、目の前のカフェ。

往復の歩行がずいぶんと楽になってきた。

今週土曜日に、横浜でハンブルグ時代の会合があるから、
日帰りで参加する。

横浜駅から100メーター以上はあると聞いた。
少し危ないから、たぶんタクシーでの移動となるだろう。



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