作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 ドイツで飲むコーヒーが不味い(いつも珈琲があった5話) 】

2014-03-11 18:18:56 | 03 いつも珈琲があった

ボクの欧州初出張は、1968年(昭和43年)の事で、同期の
中でも遅咲きだった。南アフリカに十日も滞在し、欧州各地を併せて
視察する大規模なもので、初出張者には荷が重かった。

折りしも世界的な学生運動が盛んな時で、新宿で電車が止められたと
いった事件が日本でも起きていた。
フランスで、ドゴール大統領の退陣を迫るゼネストが発生し、ボクは
フランクフルトの日航のオフイスで、当分はフライトの予定が無いことを
確認し、どこかで時間を潰すことを余儀なくされた。

ボクよりも4歳違うだけで、旧制の高等学校の体験者だったが、そこで、
ドイツ語を学んだ人々は、ドイツで最も行きたい場としてハイデルベルグを
挙げる人が圧倒的に多かった時代だった。
ボクはもちろん新制高校だが、アルト・ハイデルベルグという戯曲がある事
を知っていて、一日を割いてハイデルベルグに行った。

当時はまだ団体旅行者の姿もなく、有名な城に上っても日本人はと探したら
一人だけ居られた。その方はコロンビアを中核とするコーヒー豆産出国連合
に勤務されていて、大森さんとおっしゃった。

お互いにホテルが近いと分かり、夕食をご一緒にと約束して、その場で別れた。
夕食は中華料理店だったが、大森さんが言われるのに、ドイツのコーヒーが
美味くないのが不思議だとの事だった。そういえばハンブルグのコーヒーは
妙に苦い感があった。

大森さんは商売柄コーヒー豆に詳しい。コーヒーの業界で有りがたい国が三つ
有ると。もっとも大量に買う国がアメリカ。その年の最も上出来の豆を買うのが
ドイツ。日本が質量ともに第三位に上がってきたとの事だった。
しかし、ドイツ各地で飲んだコーヒーで美味いと思ったことがない、品質にこだわる
意味が無いとの事だった。

ボクはその後、ローマから南アに飛び、帰途はロンドン。
そしてその年の10月末から、ミュンヘン郊外のドイツ語学校へと、欧州生活が
始まる。ドイツ南部のミュンヘンで飲むコーヒーは、そうは悪くない。土地柄軟水が
有るからだろう。ハンブルグの水道水は極端な硬水であった。あんな水じゃ紅茶も
珈琲も共に良いものは出来ない。



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