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現在ストパン憑依物「ヴァルハラの乙女」を連載中。

おススメSS 祝☆劇場版公開記念! ガルパンにゲート成分を混ぜて『門』の開通を100年以上早めてみた

2016-02-12 23:55:03 | おススメSS

祝☆劇場版公開記念! ガルパンにゲート成分を混ぜて『門』の開通を100年以上早めてみた

本ブログでも掲載しているGATEのSSです。
タイトルにガルパン、と明記しているようにガールズ&パンツァーのクロスSSであります。
しかし、「ゲートの異世界と繋ぐ『門』が100年以上早く出現し、そこにガルパン要素をぶちこんだ」作品であり、

ガルパンとゲートを混ぜ込んだ火葬戦記ともいえるSSになっています。
容赦ない残虐描写にオリジナル要素が多分にあり、好き嫌いが分かれるかもしれません。

しかし、それでも西住殿の勇士や数少ないゲートSSを読みたい!
と言う方は、SSの描写そのものは丁寧で読み応えがあるので読むことをお勧めします。


「我れらが大日本帝国にとっては、今のところまぁーったく関係ない話だけどね」

「そりゃそうですね。日本が同盟を結んでいるのは英米とだけですから」

どうやらこの世界は我々の世界とはかなり異なる歴史を歩んでいるようだった。
少なくとも1939年11月時点で1902年に締結された日英同盟は未だ(やや惰性的ではあるが)継続されており、また1906年には新たに”日米同盟”が締結されていた。
もっともこれは日英米の三国同盟を意味するものではなく、あくまで日英同盟と日米同盟は別々の同盟として機能していた。

この二つの同盟が未だ機能しているのは、我々の歴史と異なる第一次世界大戦での日本の立ち位置やパリ講和条約あるいはヴェルサイユ条約のあり方などがあるが……

その根源を探るなら、少なくとも大日本帝国の全ては1905年(明治38年)9月5日に起因するといえるだろう。
そう、日露戦争の終演である”ポーツマス条約”に拒絶を突きつけるために日比谷公園に集まった市民達の前に突如開いた【門】こそが全ての『異聞』の始まりだと……
そう、後世で言う【日比谷『門』異変】である。



***



少なくとも”この世界”……平行世界とは違う時間軸で生きるみほと優花里にとっては、欧州での出来事は絵空事のように現実感の無いものだった。

平行世界と異なる日本、大日本帝国は「異なる世界」……今では『特地』、正確には『特別地区』という大雑把な呼び方がまかり通る世界と繋がってしまったことにより、日露戦争以降に飛躍するはずだった遅ればせながらの覇権主義、海外への領土拡張へ連なる目論見と野心は無期限で封印せざるえなかったのであった。

そう、日比谷公園に開いた門を中心に帝都の一部が……決して無視できない範囲が、「見たことも無い正体不明の敵軍」に占領されてしまったのだから。

その事態をいち早く収拾する為に大陸や半島に出兵した将兵達は直ちに呼び戻され、各占領地/実効支配地は放棄された。
また各国に散らばった日系移民たちにさえ本国への帰還要請が出たほどだった。
故に史実なら1910年に起こった日韓併合」も話題にすら出ず、日本は山東省や遼東半島などの大陸への足がかりは自発的な放棄により全て失っていた。
”この世界”の日本の大陸からの全面撤退により、1932年になっても満州国は影も形もない。
今や大日本帝国は『門』のせいでそれどころではなく、半島の併合や大陸への再進出など誰も考えない……首都を一部とはいえ占領され、帝都が半ば恒常的な戦場となった帝国にそんな余裕はどこにもなかった。



詳細は今は割愛させてもらうが……大日本帝国軍の火力/制圧力不足や日英同盟/日米同盟の兼ね合いから第一次世界大戦の参戦と出兵、関東大震災という不運や世界恐慌という混乱もあった。
しかし、それらを乗り越え長き膠着と幾度と無く繰り返された散発的な戦闘、そして占領地包囲の睨み合いのはてに『門』の向こう側から来た異界の軍勢を駆逐し、ついに侵略者達を門の奥へと敗走させて日本人の手に帝都全てが取り戻せたのは結局、後の歴史家の言う【日比谷『門』異変】から四半世紀以降の時間が過ぎた1932年(昭和7年)5月15日のことだった。

この出来事は、国内では『5・15戦役』や『帝都奪還戦』として報じられたが、世界では多少皮肉も入ってるだろうが『ジャパニーズ・レコンキスタ』として報道されたようだ。

高密度な砲兵部隊の効力射と当時は最新鋭の”九一式重戦車”の分厚い装甲と膨大な火力を前面に押し立て破城槌として用い後続の”八九式中戦車”をはじめとする機甲兵力で機甲強襲蹂躙戦術を敢行、自動火器で武装した高火力歩兵部隊の浸透突破戦術の組み合わせがが功を奏した戦いであり、また大日本帝国が日清/日露/第一次大戦の近代陸戦と『門』外勢力の度重なる戦闘において膨大な犠牲と引き換えに結論として出した「火力至上主義」の総括とも言える戦いだった。

しかしこうして帝都は奪還できたものの、この時点で異界の軍勢との交戦により失われた死者/行方不明者は民間人を含めるとのべ30万人をゆうに越えていた……



そして1936年(昭和11年)2月26日、小雪舞い散る帝都より『門』の向こう側にある未知の土地……『特地』へ向け最大限の努力により現状における最良の装備を整えた大日本帝国陸軍/大日本帝国”空軍”の独立混成諸兵科連合軍団……【特別地域攻略機甲軍】、通称【特甲軍】がついに出兵するに至ったのだった。
俗に言う『2・26出陣』である。



***



当時は最新鋭だった九五式重戦車を前面に押し立てて怒涛の勢いで攻め入った陸軍は、”帝国”軍が守る『特地』側の『門』出口……”アルヌスの丘”を占領し、そこを史実に太平洋戦争末期の硫黄島すらも凌ぐ要塞へと驚くべき速さで変貌させた。
もっともそれは米国から大量輸入したブルドーザーなどの重機の功績でもあるのだが。

それより三年……正体不明の敵の正体であった”帝国”の焦土作戦に苦しめられながらも特甲軍は、まずはアルヌスの丘を中心に兵庫県に匹敵する広さを持つ【アルヌス管区】を支配下におき、次にアルヌス北部にある商業都市イタリカへと侵攻し穀倉地帯が広がる周辺を【イタリカ保護領】として”帝国”から切り離した上に併合、また産油地帯や豊富な地下資源鉱脈を持つ”エルベ藩王国”を保護国としていた。
大雑把に言えば、現地の地図で言うロルドム渓谷からデュマ山脈に挟まれたイタリカからアルヌスを通ってエルベ藩王国までが大日本帝国の勢力圏ということになる。
この地にはイタリカ領主やエルベ王以外にも領主や封建貴族はいたが、いずれもアルヌスやイタリカの攻防戦で戦死するか、あるいは討伐されている。

みほ達が配属されていたのは、その対”帝国”最前線と言える【イタリカ保護領】だった。


















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