「吾唯知足」
「われ ただ たるを しる」と読み、一言で言うと「人は欲張らず、今の自分を大切にしなさい」という意味で「足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることが出来る」ということのようです。
京都・竜安寺にある蹲踞(つくばい)に刻まれている言葉として有名です。蹲踞とは茶室の庭先にある石の手水鉢(ちょうずばち)のことで、この手水鉢が低く据えてあって、茶客が手を洗うのに、つくばうから、蹲踞と言うようになったものだそうです。
竜安寺の蹲踞は「吾唯足知」の4つの漢字に含まれる□の部分を中央に集めて共有化し水を張るデザインになっています。 上から見ると漢字の配列はこんな具合です。
吾 五
知 唯 → 矢口隹
足 ?
↑足から口を取った字
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/c3/ee2b0444ede9d569102606204ea91470.jpg)
楷書
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/1c/4a34ed5a9f99d4e8ad093e5ed51ebdd1.jpg)
行書
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/70/fe6e31069f0d4a8973b10c0efde81922.jpg)
隷書
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/db/159b9e9cbac19ee6e5086828ab5c45ab.jpg)
篆書
「われ ただ たるを しる」と読み、一言で言うと「人は欲張らず、今の自分を大切にしなさい」という意味で「足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることが出来る」ということのようです。
京都・竜安寺にある蹲踞(つくばい)に刻まれている言葉として有名です。蹲踞とは茶室の庭先にある石の手水鉢(ちょうずばち)のことで、この手水鉢が低く据えてあって、茶客が手を洗うのに、つくばうから、蹲踞と言うようになったものだそうです。
竜安寺の蹲踞は「吾唯足知」の4つの漢字に含まれる□の部分を中央に集めて共有化し水を張るデザインになっています。 上から見ると漢字の配列はこんな具合です。
吾 五
知 唯 → 矢口隹
足 ?
↑足から口を取った字
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楷書
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行書
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/70/fe6e31069f0d4a8973b10c0efde81922.jpg)
隷書
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篆書