筑井城爽風

趣味悠々・木彫・水彩・書・椅子作り

憲政記念館で出版記念会

2022-08-28 16:01:47 | 日記
憲政記念館で「政治家の条件」石田尊昭氏の出版記念の集いに行ってきました。

国会議事堂の隣です。現在は仮移転中です。




























久々の憲政記念館でしたが現在移転中で仮の建物に入っています。7年後に新しい建物に移るそうでその後はこの建物は国会図書館になるそうです、
出版記念は尾崎行雄記念財団の事務局長の石田尊昭氏が書かれた、尾崎行雄に学ぶ政治家の条件について、講演をされました。
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彼岸花の植え付け作業

2022-08-24 17:01:51 | 日記
城山のふもとに彼岸花の球根を植え付けました。彼岸花は正式な名前はリコリスラジアータと言うそうです。

これが彼岸花の球根です。


今回は赤い花の球根です。


観光センターに9時半集合で大勢集まりました。










石ころだらけの土で掘るのが大変でしたが大勢の参加者でしたのでアッと言う間に作業は完了しました。
もう芽か出ているのがあったのですぐに咲くと思います。皆さんお疲れ様でした。うまく根づけば毎年咲いてくれます。
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筑井紀行詩

2022-08-23 07:38:27 | 日記
江戸時代の筑井紀行詩から今回は桑の森の漢詩を書いてみます。







桑の森は三国峠の中腹にあり、桑木を多く植え蚕を育てて江戸に献上した。
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塩野適斎の漢詩金亀巌

2022-08-23 07:37:28 | 日記
江戸時代に塩野適斎が津久井県を紀行して漢詩を書いた。この中から今回は金亀巌の漢詩を書いてみた。







金亀巌は小猿橋の西数百歩にあり、相模川の中流にある、大きな岩で中ほどに浅間祠を祀る。
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江戸時代の筑井の漢詩より与瀬駅

2022-08-21 13:28:48 | 日記
江戸時代の筑井紀行詩より与瀬駅の漢詩を書く。








与瀬駅は毛利庄に属す。甲州街道の駅舎宿なり、駅西に蔵王権現を祀って鎮主となる。

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書道誌に載りました

2022-08-20 10:10:27 | 日記
先日書いた江戸時代の漢詩が書道誌に載りまし塩野適斎作の甘草水と言う漢詩です。


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江戸時代の筑井紀行詩から景信山の漢詩

2022-08-19 18:00:57 | 日記
江戸時代の筑井紀行詩から今回は小仏嶺と景信山の漢詩を楷書で書く。




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江戸時代の筑井紀行詩から石楯尾神社

2022-08-19 17:31:34 | 日記
江戸時代の筑井紀行詩から石楯尾神社の漢詩を書く。







石楯尾神社は三国嶺にあり、高座郡に六座あり、其の一となす。
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江戸時代の筑井紀行詩から七奇石

2022-08-18 10:29:54 | 日記
江戸時代の筑井紀行詩から七奇石の漢詩を書いてみる。







七奇石は御石明神社の後園にあり、いわゆる靴掛石、矢立石、沓掛石、鏡石、床机石、臥竜石、兜石、これなり。各々形状により名前が付く。
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江戸時代の筑井紀行詩より鼠坂の関

2022-08-18 09:26:02 | 日記
江戸時代の筑井紀行詩から鼠坂の関の漢詩を書いてみる。







鼠坂の関は若柳と寸沢嵐のさかいにあり、鼠坂組にあり、草刈りと木こりいがいの他人の往来を禁ず。
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江戸時代の筑井県紀行詩の漢詩

2022-08-18 09:07:18 | 日記
塩野適斎の起行詩から衣瀧の漢詩を楷書と隷書で書いてみました。







衣滝は駅西の路傍にあり。瀑布の形状が衣をひるがえす如くあり、寄って名がつく。水源は村北の沢より注ぐ、下流は南して相模川に入る。
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江戸時代の筑井県紀行詩から

2022-08-17 09:26:26 | 日記
江戸時代の津久井紀行詩から寸沢嵐村の漢詩を書く。







寸沢村は毛利庄に属し、奥三保日陰郷桂里と称す。
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お盆の迎え火

2022-08-15 11:45:15 | 日記
13日はお盆の入りの日で玄関で迎え火を炊きます。

迎え火用の皿があります、


先日娘が買ってきた、焚き付け用の茎に火をつけます。




牛の藁人形


馬の藁人形。
馬に乗って早く来てもらい、牛に乗ってのんびりと帰ってもらう意味があるそうです。


玄関の所にヤモリの子供がいました。やもりは家を守ると縁起の良いものらしいです。
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書道 筑井県漢詩

2022-08-14 11:23:57 | 日記
江戸時代の筑井県の漢詩から善勝寺の漢詩を書く、善勝寺は千木良村にあり、弘法大師開基の寺。






次の詩は甘草水の詩、日本武が東夷を征伐するとき、三国峠を過ぎるや、道に迷い軍士の渇き止めるために、尊は鉾をもって巌頭を叩けば直ちに清泉湧き出し渇きをとめた、尊、大いに喜び泉に命じ、甘草水と呼ぶ、下流をば狭野川と称す、ついに、村名となる、後世改めて佐野川と書く。
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孫たちの墓参り

2022-08-12 18:14:00 | 日記
孫たちが久しぶりに墓参りに来てくれました。





















綺麗なお花も買ってきてくれました。



亡き妻が好きな白百合の花です。


迎え火の時に飾る藁でできた牛と馬の人形もかつてきてくれました。



これは迎え火の時に炊く藁です。












孫たちはお墓で甲子園の報告や英検合格の報告を亡き妻やご先祖さまに報告していました。
















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