「吾唯知足」
「われ ただ たるを しる」と読み、一言で言うと「人は欲張らず、今の自分を大切にしなさい」という意味で「足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることが出来る」ということのようです。
京都・竜安寺にある蹲踞(つくばい)に刻まれている言葉として有名です。蹲踞とは茶室の庭先にある石の手水鉢(ちょうずばち)のことで、この手水鉢が低く据えてあって、茶客が手を洗うのに、つくばうから、蹲踞と言うようになったものだそうです。
竜安寺の蹲踞は「吾唯足知」の4つの漢字に含まれる□の部分を中央に集めて共有化し水を張るデザインになっています。 上から見ると漢字の配列はこんな具合です。
吾 五
知 唯 → 矢口隹
足 ?
↑足から口を取った字
楷書
行書
隷書
篆書
「われ ただ たるを しる」と読み、一言で言うと「人は欲張らず、今の自分を大切にしなさい」という意味で「足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることが出来る」ということのようです。
京都・竜安寺にある蹲踞(つくばい)に刻まれている言葉として有名です。蹲踞とは茶室の庭先にある石の手水鉢(ちょうずばち)のことで、この手水鉢が低く据えてあって、茶客が手を洗うのに、つくばうから、蹲踞と言うようになったものだそうです。
竜安寺の蹲踞は「吾唯足知」の4つの漢字に含まれる□の部分を中央に集めて共有化し水を張るデザインになっています。 上から見ると漢字の配列はこんな具合です。
吾 五
知 唯 → 矢口隹
足 ?
↑足から口を取った字
楷書
行書
隷書
篆書