「誇」-URAWA REDS-
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大宮戦は今までいた場所から。
ズレを修正できないもどかしさ。
これでいいという意見があることの違和感。
跳ねなくなったゴール裏。
試合そのものに熱くなることが出来ない自分に、苛立っていた。

仙台戦。
数年前までいた場所に戻った。
「熱くやる」と宣言した人が集い、場所を開けたところ。
リズムを取る手段が、引っ張っていこうとする手立てが、
熱くなかった。
この状態で試合のことを書く資格はない。
少なくても「スタジアムに行こう!」と勧めることは、
今の僕には出来ないな、と。

やってはいけないことをした輩ではなくて、
毎試合、どんな時もスタジアムに通い続ける人を
クラブは支えてくれている。
ずっと信じていたものが揺らいでいる。
20年頑張って築いたものが壊れてしまって、
また20年頑張りましょうと言われても、頑張れないよ。

浦和の浦和らしさを伝えて来なかった「罰」だと思ってるんだ。
クラブも僕らのことを分かってないんだってこと、
当日抽選の運営ではっきり分かったよ。
規制だけ強化してもね、クラブが自力で賄うことが出来ないなんて。
残念なものを見てしまったよ。


「スタジアムにおいでよ!」
と言えるようになるまで、試合のことは書けないかな。



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どんどん遠くなる。
好きだとアピールすればするほど、避けられてしまう。
ずっとずっと好きだったのに、
好きでいてくれたはずなのに。

あのね、
嫌いな言葉があるんだ。
何でも略しちゃったりするじゃない。
「サポ」っていうの、なんとなく嫌なんだ。
軽い気がしてさ、
「〇〇サポなんです」
「〇〇サポなんですか」
むず痒いんだよなぁ。
サポーター、だよね。
じゃなきゃ、ファンでもいいよね。

略しちゃう言葉でいうとね、
「ファンサ」も嫌いなの。
ファンサービスのことだと思うんだけど、
大原でサインに応じることがサービスではないと思うんだぁ。
一番大切なこと、何よりも欲しいものはさ、
「試合に勝利してくれること」だよね。
だからね、
選手たちが試合に最高のパフォーマンスで挑むことが出来るように、
選手たちの負担にならないように気を使わなくちゃって思ってるんだ。

変わろうと努力しているのは分かるんだけど、
何もなかった93年のように、新しいスタートを切る訳じゃないんだね。
最近のウチは、窮屈な感じがするんだ。

平等なんていらないよ。
平等を主張する人がいるとしたらもう、
平等という名の不平等の始まりだからね。

公平って、どういうことだろう。
どう理解したらいいのか、わかんなくなっちゃった。

無観客試合の前の日。
近づくことすら許されなかった埼玉スタジアムではなくて、
たくさんの思い出が詰まった(苦い思い出ばかりだけど…)
駒場スタジアムに行ったんだ。
西ゲート、東ゲート、日通グランド沿いの道、土だったサブグラウンド、
雛壇、東クルヴァ、手摺り、武骨な照明塔。
ついこの間のようだったな。

前日からテントを張ったり、
夜明け前からシートを張ったり、
夜の試合なのに朝からずっと駒場に詰めていたりね。
開門の頃にはすっかり出来上がっちゃってたりして。
やんちゃだったあの頃が懐かしくて。
今日こそは勝てるかも知れない、
今日こそは勝つんだと信じて戦っていたな。
それでも負けたけどね…。

告白するよ。
僕は、差別をしていた。
99年、00年を共に戦った人と、
そうでない人のことを。
苦しい時に共に戦った人と、
去っていった人、強い浦和しか知らない人のことを。
そして、強い浦和が強くない浦和になって去っていった人を。
これが「排他的」という奴だよね。

今、生まれ変わろうとするクラブと共に戦うことが出来るのか。
自信がないんだ。
神戸戦で目の当たりにした現実に、
消滅の危機が到来していることに気付かされたような気がして。
気のせいならいいんだけれど…。


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