1993年ドーハ。
純粋に応援してたな。三浦カズが決めてもゴンちゃんが決めても、素直に日本の勝利が嬉しかったし。ま、福田正博が決めたときは「格別」だったけどね。ラモスだって「巧いなぁ、別格だよ彼は」なんて殊勝なことを思っていたし…。
1997年ジョホールバル。
「浦和」という「自我」は目覚めていたな、もう。横浜の若きエースは大っ嫌いだったし、どうしてウチの右サイドが代表じゃないのか、納得できなかったしね(それは今もおんなじか…)。それでも岡野がいて伸二がいて。代表戦に足繁く通ってたのはこの頃だったかな。
2002年日本。
代表がどうの、じゃなくてW杯を楽しんでたね。トルシエは最後まで好きになれなかったし…(でもね、ジーコジャパンの10番を外してくれた時は“ニヤリ”としてしまったけど)。チケット争奪戦でPCの前に張り付き、チケット+遠征費に湯水のようにお金を使い…。
2006年ドイツ。
監督の采配に疑問を感じたまま時間だけが過ぎ、「浦和絶対主義」に磨きがかかり、チケット取るのも面倒になり…。あのスタジアムの雰囲気に居たたまれなくなり、TV観戦に。関東圏の代表戦は事欠くことがなかったのにね。それがやがてTVすら観ないことも。「思い入れ」はとうの昔に失くしてしまった。
これって、どうなんだろうか?
伸二もスタメンじゃないしな…。
[追記]
仕事の予定もW杯よりエジプトに合わせるように組み始めている。
早くリリースしてくれないかな、中断期間のスケジュール。
[追記2]
ラモスのことを「凄いなぁ」と思った感覚は、今で言うとベレーザの沢選手をそう思うのと良く似ている。“安藤梢ちゃんも巧いけど、彼女は違うねぇ”とLリーグを観るたび感心してたもの。
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