「誇」-URAWA REDS-
共に…
 



どんどん遠くなる。
好きだとアピールすればするほど、避けられてしまう。
ずっとずっと好きだったのに、
好きでいてくれたはずなのに。

あのね、
嫌いな言葉があるんだ。
何でも略しちゃったりするじゃない。
「サポ」っていうの、なんとなく嫌なんだ。
軽い気がしてさ、
「〇〇サポなんです」
「〇〇サポなんですか」
むず痒いんだよなぁ。
サポーター、だよね。
じゃなきゃ、ファンでもいいよね。

略しちゃう言葉でいうとね、
「ファンサ」も嫌いなの。
ファンサービスのことだと思うんだけど、
大原でサインに応じることがサービスではないと思うんだぁ。
一番大切なこと、何よりも欲しいものはさ、
「試合に勝利してくれること」だよね。
だからね、
選手たちが試合に最高のパフォーマンスで挑むことが出来るように、
選手たちの負担にならないように気を使わなくちゃって思ってるんだ。

変わろうと努力しているのは分かるんだけど、
何もなかった93年のように、新しいスタートを切る訳じゃないんだね。
最近のウチは、窮屈な感じがするんだ。

平等なんていらないよ。
平等を主張する人がいるとしたらもう、
平等という名の不平等の始まりだからね。

公平って、どういうことだろう。
どう理解したらいいのか、わかんなくなっちゃった。

無観客試合の前の日。
近づくことすら許されなかった埼玉スタジアムではなくて、
たくさんの思い出が詰まった(苦い思い出ばかりだけど…)
駒場スタジアムに行ったんだ。
西ゲート、東ゲート、日通グランド沿いの道、土だったサブグラウンド、
雛壇、東クルヴァ、手摺り、武骨な照明塔。
ついこの間のようだったな。

前日からテントを張ったり、
夜明け前からシートを張ったり、
夜の試合なのに朝からずっと駒場に詰めていたりね。
開門の頃にはすっかり出来上がっちゃってたりして。
やんちゃだったあの頃が懐かしくて。
今日こそは勝てるかも知れない、
今日こそは勝つんだと信じて戦っていたな。
それでも負けたけどね…。

告白するよ。
僕は、差別をしていた。
99年、00年を共に戦った人と、
そうでない人のことを。
苦しい時に共に戦った人と、
去っていった人、強い浦和しか知らない人のことを。
そして、強い浦和が強くない浦和になって去っていった人を。
これが「排他的」という奴だよね。

今、生まれ変わろうとするクラブと共に戦うことが出来るのか。
自信がないんだ。
神戸戦で目の当たりにした現実に、
消滅の危機が到来していることに気付かされたような気がして。
気のせいならいいんだけれど…。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« 苛まれて。(... さよなら、浦和。 »
 
コメント
 
 
 
忘れ得ぬ99年 (kobby)
2014-04-06 22:18:02
私は93年はチケットが取れず、94年もちょっとしか参戦していませんが、オジェックが浦和を改革して強くなってきた95年の駒場改修のタイミングでシーズンチケットが手に入りました。そのため、otteruさんのおっしゃるサブグランドの並びや徹夜組のテントなどの昔の駒場文化は知っています。もちろん、当時は今のように戦術分析をしたり、熱くならないで試合を観たりはできませんでしたが、私のサッカー好きの原点を作ってくれた駒場には感謝の気持ちが強いです。99年00年のことは決して忘れないでしょう。特に代表の中断期間がなく、どこまで行っても試合があったJ2時代は、初めてシーズンが早く終わって欲しい感覚でした。今の浦和がどうなるか、もちろん不安はありますが、自分の目で見届けたい気持ちはまだあるので、埼玉スタジアムにはきっと通うと思います。
 
 
 
整理 (otteru)
2014-12-05 23:41:53
kobbyさん、すみません。
非常にタフなシーズンでした。
あまりの変わり様に戸惑い、諦め、
一時はスタジアムに通うことが億劫になるほどでした。
それでも結局、清水戦以外すべての試合に赴きました。
明日の結果がどうなるのか分かりませんが、
アジアへの権利を得ることが出来ました。

未だ不安や疑問ばかりですが、
来年もきっと、スタジアムにいます。
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。