毎年、あの日が来ると思い出すんだ。
僕らが一生背負う「あの日」。
決して忘れてはならない「あの日」。
古い人にとっては誰もが、それは忘れられない日なんだ。
あれから7年。
もう7年も経つんだね。
あの日の仲間たちは今も、一緒に戦っている。
僕にとって特別な仲間たちなんだ。
苦しい時を共に過ごした仲間。
かけがえのない仲間。
大きくなって「浦和らしさ」が薄まりつつあっても、
そこだけは昔と変わらない。
「90分に全てを賭ける」
「僕らの喜びのためではなく、勝たせるためだけに戦う」
「勝てば選手のおかげ、負けたら僕らのせい」
ずっとずっと、おんなじなんだ。
屈辱の日から7年、浦和が狙う初王者(日刊スポーツ)
[追記]
インナー、無理して着てくれなくてもいいなぁ。
いつものように、いつも通りに戦ってくれれば、
それで十分だよ。
寄せ書きによってインナーシャツとしての機能が失われていたら・・・。
余計な心配かな。
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あの年は仕事にプライベートにかなりゴタゴタした時期だったので、
ほとんど試合に行けませんでした。
だから、語る資格はないと思っています。
あの年を境に去っていった者もいました。
翌年、今でも信じられないぐらいのペースで試合に行きました。
もしかしたら、責任感のようなものがあったのかもしれません。
でも、鳥栖戦には行けませんでした。
なんか、上手く言葉が繋がりません・・・
今、仲間がいますが、そのうち2名は明日来れません。
彼らの分も「ノルマ」は果たしたいと思います。
それまでも金返せ!といいたい試合を散々見せられたけどそれでも駒場に、国立へと。2000年から遠征に行くようになって新潟市陸や鳥栖、日立(日立台にあらず)etc、こりずに通いましたね。あの年を境に”金返せ”がなくなったような気がします。2001年ごろまではあったけど(埼スタ杮落としなんかは最たるもんだな)
明日はチケット確保したけどいけなくなってしまった。どうもろくでもない運を持ってるようなのでいないほうがいいかもね。試合終了ごろには用事も済むので携帯TVを持っていくことにします。16時ごろ携帯TV見てないてるおじさんいたら私かも。でもそんな人あちこちであらわれそう。
7年も経った実感がありません。
担げる縁起はすべて担いで、自分に出来ること(出来そうなこと)は全部やって・・・。それでも駄目でした。届かぬ思いと項垂れる福田正博。唇をかみ締めたままピッチを凝視することしか出来なかった自分・・・。もう二度とあんな思いはしたくありません。
翌年、ナビスコもリーグ戦も全部行きました。
「意地」と「プライド」でしたね。
浦和が好きで好きでたまらないから、同じ泥水、飲んでやろうと思っていました。
あれから7年。
あの時の仲間は今も健在です。
ただ、地方に行ったヤツもいて、
毎試合一緒に戦うことは叶わなくなっています。
「あの時」の仲間は本当の意味で「戦友」な気がしています。
明日、思いの限り、戦いましょう。
「金返せ」な試合ばかりでしたよね。
99から01年は第2次「もがき苦しみ期」でしたよね。何を支えに戦えばいいのか、迷い道に入り込みそうでした(入っていたかも知れませんね)。
降格の時は泣けませんでした。
復帰の時は「我慢汁」が目から溢れてきました。
ナビスコ制覇も2ndも天皇杯も、泣きませんでした。
今度はヤバイ気がしています。
暢久、岡野、永井、伸二、内舘・・・。
彼らに「頂点」を極めさせてあげたい。
明日、残念です。
戦友のためにも、力の限り戦ってきます。
共に頂点へ。
あと少しですから。