おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「年下の男の子」 五十嵐貴久

2011年01月18日 | あ行の作家
「年下の男の子」 五十嵐貴久 実業之日本社 11/01/18読了 

 シングルのアラフォー・オバフォー女子が大量発生している現代社会のお伽噺。

 タイトルそのまんまの物語である。そういえば、昔、キャンディーズが歌った「年下の男の子」という曲が流行っていた。時代が変われど、カワイイ年下の男の子との恋愛は、女子にとって、ちょっとした憧れなのかもしれない。

 ただ、この物語では「年下」っぷりが半端ではない。乳業メーカーの広報課に勤める普通のOL晶子37歳。取引先の小さなPR会社の契約社員・児島くん23歳から猛烈なアタックを受ける。年の差14歳。そりゃあ、余程、お目出度い人間でもなければ、「若造にからかわれている」と思うのが普通だ。

 たとえ気分は18歳のままでも、どんなに若作りをしたとろで、アラフォー女は、自分が所詮アラフォーであることを自覚している。肌のハリはどんどんと失われ、腹の肉はたるむ一方。髪の分け目に白髪を発見し、小さな文字を読む時についつい書類を手元から遠くに離す自分に日々、ウンザリしているのだ。

 それなのに、児島くんは懲りずに、何度でも、そして、本当に純粋にアタックしてくる。『こんな若くて、カッコよくて、気持ちのいい青年が本当に自分のことを好きになってくれたら、どんなにステキだろう。私だって、児島くんのことは憎からず思っているのだ。でも、世の中、そんな上手い話しがあるわけはない。若者にはもっと魅力的な選択肢がいっぱいあるのに、好きこのんでこんなオバサンと付き合う必要なんてないじゃないか』―オバフォーの私には揺れる晶子の気持ちは痛いほどよくわかる。もっと生々しいのは、児島くんと付き合い始めた後の、晶子の心理描写だ。幸せな分だけ、それを失った後の恐怖にさいなまれてしまうのはリアルとしかいいようがない。

 それにしても、作家ってスゴイよなぁ―と改めて思う。著者は1961年生まれ、ということは50歳に手が届かんとする立派なオッサンである。以前、奥田英朗の短編集(確か「ガール」だと思う)を読んだ時に、「奥田さんって、実は女?」と、真剣に疑ってしまったが、ここまでアラフォー女を描ききる五十嵐貴久もタダモノではない。

 と、絶賛しつつも、物語の結末があまりにも乱暴すぎてガッカリ。さすがお伽噺だけあって、アラフォー・オバフォーが夢見る気分を楽しめるハッピーエンドという立て付けにはなっている。しかし、時間切れ寸前、反則まがいの力技で無理矢理一本をとりにいくような、美しさに欠ける結末だった。月刊誌の1年連載なので「どんなことがあっても、とにかく、あと1回で終わらせなきゃいか~ん」という縛りがあったのだろうけれど…それにしても、ちょっと、情緒に欠けるなぁ。

で 、まぁ、現実にはそんなお伽噺のような話がしょっちゅう起こるわけでもないのですが…こんなあり得ない夢を栄養にしながら、オバフォーはたくましく生きるのです。


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