温泉クンの旅日記

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京都・左京区、永観堂(2)

2024-08-04 | 京都点描
  <京都・左京区、永観堂(2)>

 永観堂の「御影堂(みえいどう)」は大正元年(1912年)に再建された、比較的新しい総欅造りの宗祖「法然」を祀る堂で、本尊を安置する「阿弥陀堂」よりも規模が大きい。

 

“御影堂”とは、寺院の開基・開山や宗祖の像を安置した堂塔で、奈良時代頃から開山の没後に敬慕の心を込めて建立されるようになった。そのため御影堂は「祖師堂(そしどう)」とか「開山堂」などとも言われている。
 永観堂の御影堂は過去何度も再建された。応仁の乱で焼失した後、1497年に「後土門天皇」によって再建され、その後1600年と1912年にも再建がなされたのである。

 

(驚いたなぁ・・・なんとなくセットにしちゃった「法然院」と、ちゃんと“法然つながり”になっとるやないかい!)
 この御影堂(大殿)だけでも、永観堂に寄った甲斐があったじゃないか。

 

 

 御影堂のすぐそばにある、琵琶湖の疏水を引いた「龍吐水」。
 飲用不可と書いてあるし、柄杓などもないので、防火用水なのであろうか。季節の花を浮かべて“花手水”にしたら雰囲気ピッタリって感じ。

 本堂へはいかず、池のほうに降りていく。
「放生池(ほうじょうち)」は捕えた魚を殺さずに放してやる池で、殺生を戒める“放生会”の舞台である。

 

 永観堂の紅葉といえば、この放生池周辺が殺到する撮影スポットとなる。
 池を囲むように植えられたモミジ、そして池の水面に映る逆さモミジが、いかにも風光明媚な極上の画像を提供してくれるのだ。

 弁天島に架かる「錦雲橋」は、“3径間太鼓桁”でゆるく弧を描いている。

 

「弁天社」は、正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の、神社建築の形式でいうところの「一間社流造(いっけんしゃながれづくり) 」の、「桟瓦葺(さんがわらぶき)」です。桟瓦葺とは、平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く、耐水耐火に優れた方法である。

 

 弁天島の「弁天社」は江戸時代後期の慶応2年(1866年)、尼僧で歌人の「大田垣蓮月(おおたがきれんげつ)」の寄進によって放生池の弁天島に建立された。
 大田垣蓮月は歌道を公卿・歌人である「千種有功(ちぐさありこと)」に学び、自詠の歌を書いた陶器(蓮月焼)を焼いて生活の資とし、京都で飢饉が起こった際に私財を投げ打って寄付したり、鴨川に丸太町橋を架けたりするなど慈善活動も行ったそうだ。

 

 池に浮かぶ岩の上に、一見したところ「烏」のような野鳥が羽を休めていた。
 よく見ると「鵜(う)」のようだ。東山の池なので、たぶん「川鵜」なのだろう。
(オマエも独り旅なのか・・・)
 仲間もおらずどこか寂しげである。


 

 思えば、永観堂は銀閣寺と南禅寺の間にあるため、いつも端折って拝観していたようだ。今日もまた大端折りだが、次こそ、ゆっくり拝観することにしよう。
 さて、ここらで切りあげて、一路「法然院」に急ぐとするか。


  →「京都・左京区、永観堂(1)」の記事はこちら


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