ももクロ主演映画『幕が上がる』の1シーン。
志賀廣太郎さん演じる国語教師、滝田先生が朗読する、谷川俊太郎の詩、「二十億光年の孤独」。
百田夏菜子演じる高橋さおりは、舞台劇「銀河鉄道の夜」の台本に、この詩から受けたインスピレーションを加えていきます。
二十億光年の孤独 谷川俊太郎
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或は、ネリリし、キルルし、ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
2015年公開の映画『幕が上がる』。高校の弱小演劇部の部長をやらされる羽目になった高橋さおり(百田夏菜子)は、演劇の楽しさが分からず、辞めることを決意します。しかしそんなときに出会った新任の美術教師、吉岡先生(黒木華)が、さおりの運命を変えることになります。
やけに演劇に詳しい様子の吉岡先生。調べてみるとかつて「学生演劇の女王」と呼ばれた人物であることが判明。さおりは吉岡先生に顧問になってくれと直談判。顧問はダメだが「見学」なら、という了承を得ます。吉岡先生を通して演劇の楽しさを知っていくさおり。吉岡先生はさおりに演出家の才能を見出し、さおりに演出をすることと、台本を書いてみることを勧めます。
折しも現れた転校生、中西悦子(有安杏果)。演劇の強豪校からやってきたスーパー転校生でしたが、訳あって演劇から離れていました。心を鎖し気味だった赤西さんですが、さおりの情熱と真摯さに心打たれ、再び演劇を始めることを決意します。
さおりの脚本、演出による「銀河鉄道の夜」で、演劇部は県大会を通過し、ブロック大会へと進みます。これに勝てば、次は愈々全国大会。
そんな時、吉岡先生が突然教師を辞めてしまう。かねてからの夢だった女優への道を歩むためでした。突然のことに呆然とする演劇部員たち。しかしそれでも、さおりはこの事実を受け入れ、前へ進むことを決意します。演劇部員たち、ユッコ(玉井詩織)もガルル(高城れに)も、後輩の明美ちゃん(佐々木彩夏)も、もちろん中西さんもこれに同意。演劇部はブロック大会の舞台に上がります。
ブロック大会の幕が上がる。演劇部ははたして、全国大会へと進めるのか……。

映画公開時、吉岡先生はあかりんの暗喩だろうと感じていました。
でも今は違います。
これは、杏果のことです。この映画はどうやら、杏果のことを予見していたらしい。
そうして吉岡先生のことを受け入れ、前へ進んで行こうとする姿も同じ。こういうシンクロニシティ、ももクロにはよくあるような気がします。吉岡先生が杏果なら、全国大会はさしずめ10周年記念桃響導夢(東京ドーム)大会でしょうか。
ももクロって、なにか「持って」るんですよねえ。こういう言葉はあまり使うべきではないのでしょうが、やはり思わずにはいられない。
「神憑っている」なと。
そう、演劇部員たちは吉岡先生のことを受け入れた。納得できたにせよできないにせよ、とにかく受け入れ、前へと進んで行きました。
ももクロもまた同じです。納得できたにせよ、できなかったにせよ、みんな杏果のことを受け入れた。
受け入れて、前へと進み続けている。それが今のももクロです。

『幕が上がる』は劇作家で演出家の平田オリザ氏の小説が原作です。この原作小説のなかに、こんな言葉があります。
【大人になるということは、人生の不条理を、何とかして受け入れる覚悟をすることです】
ももクロちゃんたちにとって杏果の突然の卒業はまさに不条理だったに違いなく、それでも彼女たちは必死にこれを受け入れようとしたし、実際受け入れました。
それが杏果のためだから。
ファンにとっても、杏果の卒業はそれはそれは不条理の極みでした。ももクロは「奇跡の5人」で続いていくものだ。そう思い込んでいましたからね。
でもそんなことはあり得なんですよね。諸行無常、この世の事象はいつかすべて別れ行く。
それがこの世の理。ももクロもそれは同じ。
ももクロのファン、モノノフは比較的「大人」が多いと云われています。他のアイドルに比べて年齢層が高いようです。
ならば、「不条理」を受け入れる「覚悟」を持って生きなきゃならない。
ももクロはみんな、「覚悟」を持って生きてる。ならばモノノフもまた、「覚悟」を持たなきゃなりません。
未だその覚悟が持てないそこのあなた!
あなたはまだまだ、「大人」じゃないねえ。
今の杏果には、谷川俊太郎の次の言葉を伝えたい。
【嫉まれるがいい。恨まれるがいい。幸福でさえ無傷ではない】
己の道を歩むに際しては、どうしても他者から嫉まれたり恨まれたり、傷つけられたりするものです。そうしたことをすべて受けきる「覚悟」がなければ、己の道など歩めるものではない。
すべてを受けきる覚悟。杏果にはそれを忘れず、感謝と謙虚さをもって己の道を歩んでほしい。
まあ、杏果なら大丈夫だと思いますけどね(笑)
さおりが滝田先生の朗読した谷川俊太郎の詩『二十億年の孤独』から得たインスピレーション。それは舞台劇「銀河鉄道の夜」のラストシーンに、次のようなセリフとなって生かされました。

ジョバンニ「カンパネルラ、僕は今日学校での最後の時間、本当は眠っていませんでした。いや、眠っていたのだけど、君の声に起こされた。
君は僕をかばってくれたけど、でも君は、君と僕は一つではないと言った。僕はとても悲しかった。悲しかったけど、本当にそうだと思った。
どこまでも、どこまでも一緒に行きたかった。でも、一緒に行けないことは、僕も知っていたよ。
カンパネルラ、僕には、まだ、本当の幸せが何か分からない。
宇宙はどんどん広がっていく。だから、人間はいつも一人だ。
つながっていても、いつも一人だ。
でも、一人でも、宇宙から見れば、みんな一緒だ。
みんな一緒でも………みんな一人だ。」
遠く高く積み重ねたキューブの上に、カンパネルラが立って手を振っている。
ジョバンニ「カンパネルラ!」
カンパネルラ「…………(クルミを叩く)」
ジョバンニ「クルミだ!(ジョバンニも、ポケットの中からクルミをさがし出す)このクルミは、確かに僕の手の中にある。カンパネルラ、僕も、ずっと持ってるらね」
カンパネルラ、手を振る。
ジョバンニ「カンパネルラ!
また、いつか、どこかで!」

カンパネルラはすでに死者となっており、ジョバンニは親友カンパネルラと分かれるという不条理を、宇宙を旅するほどの時間を掛けて受け入れていく。
それは、ジョバンニが「大人」になっていく過程。
このカンパネルラを演じていたのが、有安杏果演じる中西さんだったというのも、なにやら示唆的ではあります。
ジョバンニとカンパネルラのように、ももクロと杏果は別れ別れになった。
でも、その心はつながってる。それはジョバンニとカンパネルラが共に持ち続けることを誓ったクルミのよう。
そのクルミは、実はモノノフにもあるんです。あとはその存在を
「信じる」という「覚悟」が持てるかどうかだけ。
杏果の卒業は、ももクロが次なるステップへと進むための起爆剤となった。こうしてももクロは大人になっていく。
未だに杏果のことをとやかく云ってる人たち、そんな暇はないよ。
いい加減、「大人」にならなきゃダメだ。
「覚悟」を持たなきゃダメだ。
やはり思う。杏果の卒業は、「天の配剤」だったのだと。
ももクロと杏果と
共に、幸あれ!

最近、このブログ閲覧数とかめっちゃ増えてません?
以前は「薫風亭」だけではたどり着けませんでしたけど(ユラユラ とか一語入れての検索が必要でした)
今だと、 薫風亭 だけで上位に出てくるのはもちろんのこと、 「大奥道」 が選択キーワードとしてオススメされたりしてビックリするんですよねー。
やっぱし、ももクロちゃん効果が高いのかしらん?
ホント、なんでだろう?
妬みも恨みも、すべてを受け入れる覚悟で…。
杏果の懸命なところは、どんな悪口雑言を浴びせられようとも、一切反論しない、言い返さないことです。その代わりにこれでもかというくらい、自分のしたいことをし続けている。胸がすくくらいにね(笑)
行動がすべてを証明します。杏果には一本芯の通った信念がある。だから負けない。
未だ杏果に悪意を抱き続ける人たちには、結局悪意は、自分を傷つけるだけなんだよと云っておきたい。無意味なことはおやめなさい。あなた自身のために。
そんで、モノノフって意外と本当に子供が多い、と勿論自分も含めて、そう話してきましたね。
大人と言うより純粋な人が多いのかもしれません。
奇跡の5人ってことに、とても大きな期待を込めて、応援してたことの反動で可愛さ余って憎さ100倍の人も見ました。
勿論、あの日から1ヶ月ぐらい、インスタ始めてくれるまでは、鈍器で殴られた衝撃、所先生が交通事故に遭いそうになったって分かるぐらい、みんなそうだった。
この映画は、モノノフも考えて生きなきゃいけないってことだと思います。
現場に来れている人で、仕事の励みにしている人もいるけど、社会の縮図のようにグッズを6色買い漁り、現実生活で家庭と会社を頑張ることと逆転しているほどの応援ぶりの人もいる。
音楽は、それを励みにして現実を豊かにしなきゃいけないし、そこにすがっちゃいけない、そう思います。
私は夏菜子がフリーライブをやりたい、初心に帰りたい、ただ人に笑顔を届けたい、人の命を救う人を救う人になりたい、それを実現してくれたら、と思います。
そして、モノノフもももクロから元気をもらって、そうならなきゃとも。
何故ももクロが好きなのか。ももクロの何が好きなのか。夏菜子の云う「笑顔の天下」をどう思っているのか。もう一度冷静になって考えて欲しい。こんなことをやっている自分自身の姿を、客観的に見つめて欲しい。そんなことをしている自分を、ももクロに対してあなたは誇れるのか?夏菜子に対して真っすぐ顔を向けられるのか?
よおっく、考えて欲しい。
これが「人間」なんだなあって、思いますねえ。
ももクロを知ってたり、現場で騒げることが好きな一部のマナー違反の人も残念だけど本当にいます。
でも90%以上は違うし、もちろん5人が良かったって淋しさで留めてる人もたくさんいるし、大人な方がほとんどで、twitterのそのコメントをあげて、本当にこれモノノフ?って疑問投げかけてるひとが多いです。
だから、1部の人のコメントに真っ黒にならないように、明るく受け止めなきゃですね。
私は今後現場に行くことは無くなると思いますが、笑顔を届ける、その笑顔を頂いて一体自分だったらどう社会にお返し出来るのかを考えて行動出来る人になりたいです。
なかなか難しいけどね。
玲さんも、お身体お大事にね。
そうか、杏果のインスタの写真は、構図だけ本人が決めて、シャッターだけ誰かに撮ってもらってるとみたわけか。なるほど、それなら納得がいきます。すべて誰かにまかせっきりというのは、何か違うと思ってましたからね。やはりインスタ(ツイッターも含めて)は自身の「作品」の発表の場だったね。納得。
いいぞ、杏果。どんといけ!