こないだ自分の映っている写真を見ました。
すると、そこには太ったおっさんが・・・。
うーむ。
自分の頭の中ではもう少し痩せているはずなのだが、と、思いながら改めて写真を見ても、変わりわない。
大変に醜悪な状態で映っている。
写真に映っている他の方を見た場合、自分が普段認識している状況と大差ない。
と、いうことは、普段他の方が認識している私というものも、この写真の状態な訳か、と思う。
要は、他人の目に映る自分はこの写真のとおりである、ということ。
おおおお・・・、神よ。
写真とはかくも残酷なものか!
鏡に映る自分、というものは、いつの間にやら自分の過去の記憶映像により脳内補正されているのか、と、思い至る。
元々、血圧や脂質といった数値はよろしくない上に、体重計に乗るまでもなく体重は増加していることはわかっているのです。
ベルと締めるときの穴が増えたり減ったりすることや、ズボンの太ももや尻に対する当たり具合ですぐわかる。
ただ、「ま、いいか。」という軽い気持ちで特に節制もしないため、元に戻れなくなってしまうのです。
今までも体重を落とすことはあったのですが、いつの間にやら戻る、ということの繰り返し。
間もなく不惑を前にして、今後の体調変化に今までは考えられないようなことが起こる、と、先輩諸氏から脅されているだけに、ネットの広告で爺さんが「あのとき血圧管理をしておけばよかった」という広告が最近やたら出てくるようになったのが気になってしょうがない。
正しい現状認識が無ければ改善の必要性もわからない。
ちょっと、ここは本気で減量しなければ、と、思っております。
幸い、今月に入ってから昼に歩く時間が確保できるようになったので、毎日30分でも歩くようにしています。
さて、今後どうなることやら。
すると、そこには太ったおっさんが・・・。
うーむ。
自分の頭の中ではもう少し痩せているはずなのだが、と、思いながら改めて写真を見ても、変わりわない。
大変に醜悪な状態で映っている。
写真に映っている他の方を見た場合、自分が普段認識している状況と大差ない。
と、いうことは、普段他の方が認識している私というものも、この写真の状態な訳か、と思う。
要は、他人の目に映る自分はこの写真のとおりである、ということ。
おおおお・・・、神よ。
写真とはかくも残酷なものか!
鏡に映る自分、というものは、いつの間にやら自分の過去の記憶映像により脳内補正されているのか、と、思い至る。
元々、血圧や脂質といった数値はよろしくない上に、体重計に乗るまでもなく体重は増加していることはわかっているのです。
ベルと締めるときの穴が増えたり減ったりすることや、ズボンの太ももや尻に対する当たり具合ですぐわかる。
ただ、「ま、いいか。」という軽い気持ちで特に節制もしないため、元に戻れなくなってしまうのです。
今までも体重を落とすことはあったのですが、いつの間にやら戻る、ということの繰り返し。
間もなく不惑を前にして、今後の体調変化に今までは考えられないようなことが起こる、と、先輩諸氏から脅されているだけに、ネットの広告で爺さんが「あのとき血圧管理をしておけばよかった」という広告が最近やたら出てくるようになったのが気になってしょうがない。
正しい現状認識が無ければ改善の必要性もわからない。
ちょっと、ここは本気で減量しなければ、と、思っております。
幸い、今月に入ってから昼に歩く時間が確保できるようになったので、毎日30分でも歩くようにしています。
さて、今後どうなることやら。
早めに対処されるのがよろしいかと思います。50を越えると信じられないくらい痩せません。
若い頃痩せてた分、そのイメージが脳に焼き付いているので、会社で通販のカタログとか見ていても
モデルの体にそのまま自分の顔を乗っけてしまう。で、着てみたら全く別モノ・・・。
「きっとちゃん、だめだよそのまま自分の顔想像したら。こっちのデブモデルの本にしときなさいっ!」
と先輩、同僚に注意される始末であります。
男性は結構結果が早くついてくるのではないでしょうか。
歩くことは大事ですね。
脳に焼きつくイメージを直してくれるのが写真、と、感謝せねばいかんのかもしれませんね。
歩きます。