Photo by Ume氏
昨日はあんなことを書いた。あまり安易な観光地開発が日本国中にはびこり、自然がしぜんでなくなってしまってもよいのだろうかという日頃の思いを、つい漏らしてしまった。
この独り言は一応、入笠牧場内のキャンプ場と山小屋の広報宣伝も買って出ている。そのことは充分に承知している。そういう立ち位置からすれば、昨今の観光事業や政策にあれこれ異を唱えるのはいかがなものかという気もしないではない。また、つい「安易」と書いたが、どこの自治体であれ、企業であれ、安易に巨額の投資をするわけがないし、村起こしのために温泉を掘ったり、山の斜面を切り開きスキー場を造ったり、湖のそばに観光施設を造たりしたい気持ちはよく分かる。上手くいけば、細々とした農業や林業しかなかった寒村にも新しい仕事ができ、人も集まる。
しかし、一時の成功例はあっても、長く続かせるためには、立ち上げ以上の苦労と努力が要ると言われる。観光地が自然と融和するにも、相当の時間がかかる。上手くいけば人工物が自然や景観と一体化するが、調和できずに終わってしまう例もある。成功したようで、一過性の賑わいで幕を閉じる場合もあるし、そうなれば、一度いじくってしまった土地の復元も難しい。
上高地、日本有数の観光地であり、その地位は今後も変わらないだろう。しかしもし、ウエストンを案内した有名な山案内人である上条嘉門次氏が、河童橋に立ったら何と言うだろうか。「何だ、このザマは」なんていって、怒り出したら面白い。
神々の生まれてくる瞬間、などとも評される荘厳な朝焼けの穂高の山並み、太古の面影を見せる鬱蒼とした森、そしてその間を流れる靄のかかった梓川の清冽な水の色、こうした情景は幸い、と言っても良いだろうが、人工的な夾雑物でしかないホテルや旅館、それに蝟集する観光客を圧倒している。だから上高地が時代の変遷に耐え、今も人気を保ち続けていられる訳で、訪れた人々は梓川の両岸に建つ土産物屋や旅館やホテルも、いや自身を含めて観光客も、上高地の一部と受け入れ、それでも、彼の地の魅力は損なわれてないと感じているのだろう。あそこまでいけば信仰にも似て、しかし有名な寺院や神社などそこのけである。
初めてこの地を訪れた時、吊り尾根の夕暮れを見て、夕陽に染まった岩肌の美しさが今でも目に浮かんでくる。半世紀も昔のことである。以来、春夏秋冬、幾たびあそこを訪れ、通過していったことだろう。(つづく)
これからの季節は時代遅れの山小屋がオススメ。キャンプ場及び山小屋の営業内容につきましては、「H29年度の営業案内」と「続H29年度の営業案内」を参考にしてください。