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生きる

2006-09-24 | 政治経済
先般、友人が来春の地方選・市議会議員選への出馬を表明した。トップページにリンクが張ってある「きんとう旅館」の若旦那石川克正くん。石川くんとは青年会議所や岬塾など多方面で関わりあっており、微力ながらもぼくもアシストは惜しまないつもりだ。

元来彼はまちづくり・地域活性化に並々ならぬ情熱を持っていて、独自のヴィジョンも確立しているから立つべくして立ったとも言えよう。
だがしかし、選挙に出るという決心は現実にはそんな簡単なものじゃない。特に現在の選挙システムに起因しているが、選挙活動は周りの人間にばく大な負荷を強いることが多い。家族間・近隣にとどまらず人間関係にも多大な影響を及ぼすし、公人としての責務を背負うのは昔と比べてはるかにストイックな人生を想定しなくてはならないだろう。
つまり、選挙に出るということはそれら諸々に対する毅然とした覚悟を持つということだ。容易じゃない。

ぼくはここ数年小島すすむの応援をしてきたから、候補者のご家族にかかる負担を考えると余計な心配をしてしまう。まあ、彼のことだから強い熱意を持ってきっちりインスパイアしているだろうけど。

以前も書いたが、映画『男はつらいよ』で、「人間は何のために生きてるのか」という甥みつおの質問に対し寅さんは
「ああ、生きてて良かったって思う瞬間が幾度かあるじゃんか、そのために生きてるんじゃねーか」と答える。

いかにも寅さんらしい明快な答えだが、ぼくはこのせりふが大好きだ。人によって価値観によって捕らえ方は違うだろうが、ぼくの場合は体の力を抜いて自然体で生きればいいんだなと、リラックスさせられる。

何が言いたいかというと、斯様にぼくという人間は(悪く言えば)上昇志向の欠けた部分があるので選挙に出るなんて発想は思いもよらないのだ。そして人間は己にない部分を持つひとに尊敬の念を持つ。ぼくには考えられないようなはじけんばかりのエネルギーに魅せられることになる。
ま、これもバランスだろう。

「生き方」としてどちらが良いとか悪いとかはないと思う。いや、人によってはぼくの人生は無意味と判断するかもしれない。

岬先生に教わった「知行合一」。知っていることは行わなければ知らないのと同じだ、という意味。考えてるだけ言っているだけでなく行え!という陽明学的なアプローチだが、その言葉にはぼくも納得している。
要はいかなる形で具現化するかだろう。もしかしたらそれは目立たない行いになるやも知れない。で、間違えちゃいけないのは「目立つこと」が目的じゃないこと。
行いを為して結果的に目立つ人と目立たない人とが出てくる、目立つから価値が高いなんてはずはない。

なので、理解されようがされまいがぼくはぼくの道を行く。
と、気持ちを整理するために書いたコラムでしたww 石川くんの出馬を聞いて、何故かぼく自身が混乱してしまったので。

誤解しないでね、小島すすむと石川克正の応援は全力でするということだよ。