ところで、ぬえたちプロジェクトでは上演する曲目を選ぶのに一定の「決まり」を持っていました。
もちろん ぬえが所持している面装束を使い、すでに師匠の稽古を受けて能楽堂で上演した経験がある曲から選ばざるを得ないので曲目は限られるのですが、それでもたとえば、初めて訪れる地域では必ず『羽衣』を上演することにしています。
地上界に降り立って水浴びをする天女の羽衣を見つけた漁師はそれを隠しますが、嘆き悲しむ天女の姿に心動かされた漁師は「天人の舞」を見せることを条件に羽衣を返し、天女は三保の松原の風景を愛でながら舞い上がり、やがて天上に姿を消す。。誰でも知っているこのストーリーは、じつは日本中にある「羽衣伝説」(や世界中にある類例の「白鳥処女伝説」)の中では異色です。
日本各地の「羽衣伝説」にはかなりろいろな種類があって大変面白いのですが、そのほぼすべてで天女は羽衣を返してもらえず、漁師の妻になったり、羽衣を拾った老夫婦の養女となったりします。それでも天女は漁師の子を産んで円満な家庭を築いたり、酒を造るのが上手くて老夫婦の家を栄えさせたりするのですが、最後は天女は隠されていた羽衣を見つけ出すと夫や子供を残して天上に去る、というのが典型的なストーリーだと思います。
ちなみに老夫婦の養女となった天女は最後まで羽衣を返してもらえず、あげくに家から追い出されて地上に定住してしまいますが、そのときに天女が嘆いて詠んだ歌が「天の原 ふりさけ見れば。。」と能『羽衣』に引用されています。これは「羽衣伝説」の中では最も古いものの一つと考えられいる『丹後国風土記』の中に出てくる話ですが、能『羽衣』の舞台である三保の松原の「羽衣伝説」については散逸した『駿河国風土記』に載っているようで、わずかに江戸期に他書に引用されて知られる程度。それによれば漁師の妻となった天女は経緯はわからないながら羽衣を見つけ出して天上し、漁師もそのあとを追って仙人になったようです(えっ!)
さてこういうわけで能『羽衣』の「天人の舞を見せる」という展開はおそらく作者の発想による創作なのではないかと思われるのですが、そうであるならば、この能が初演された当時これを見た観客は現代人には想像がつかないくらい驚いたことでしょう。え! 返しちゃうの? しかしその後美しい長絹をまとったシテが優雅に舞う姿を見せることで、ストーリー展開に違和感を覚えた観客もいつしか満足もできたでしょう。それだからこそ現在では天人の舞を見せるのが「羽衣伝説」の典型のストーリーだと誤解されているほどに能『羽衣』は受け入れられたのだと思います。

が、まだ内弟子時代の ぬえはここであることに気づきました。
天女は漁師に舞を見せる約束をしたのに、いざ舞い始めると(他の能の曲と同様に)シテはワキではなく見所に向かって演技をしますし、ワキの漁師は目立たぬように着座します。ワキはこの場面からは舞を傍観する立場からシテの舞の邪魔にならぬように演技を控えるのだし、シテはワキに舞を見せる心で客席に向かって演技をすると考えればこれも当然なのですが、どうもそれだけではないと ぬえは思います。
それが端的に現れるのはキリの「七宝充満の宝を降らし、国土にこれを施し給ふ」という部分で、シテは客席に向かって進みながら扇を持った右手(あるいは両手)を上げて、大きく二度あおぐ型をするのです。いかにも天上界から宝物をバラバラっと降り下らせることを直観させる印象的な型です。この場合降り注がれる宝物は金品や財宝ではなく、「幸せ」でしょう。
シテがワキ個人の要求に応える範囲を完全に逸脱して「国土に」幸せを降り注ぐ型をする事実を考えるとき、この能の作者がなぜ本来の「羽衣伝説」のストーリーを変えて「天人の舞」を挿入したのかがわかるような気がします。おそらく作者は、能を楽しむ観客の心に、知らず知らずに「幸せ」をもたらすことを祈ったのでしょう。
演技の対象となるべき相手(この場合ワキ)ではなく演技を客席に向かって行うことは演劇としてよくあることではありますが、能では『高砂』などの脇能などを見れば、シテはワキを相手としていても、むしろそれを代表としつつも人類全体への祝福を意図しているのは明らかなので、『羽衣』の作者もその手法に沿って原作のストーリーを大胆に書き換えた、と考えられると思います。
観客の心に知らず知らずのうちに「幸せ」をもたらすのが作者の意図。。これに気づいた ぬえは能が単なる演劇にとどまらない奥深さを持っていることに驚嘆したものです。結婚式で『高砂』の待謡を謡う意味もこれで氷解し(別なところで ぬえの解釈を述べていますのでここでは詳述しませんが)、能役者の仕事というものが本来的に持っている使命や責任というものも考えさせられたのでした。
そういうわけで震災を受けて慰問ボランティアという支援方法があると知った ぬえは、能楽師が立ち上がるのは今しかない、と考えて、また仮設住宅などにご紹介を頂いて初めて訪れるときには必ず『羽衣』を上演することにしているのです。
住民さんには「今日はみなさんもストーリーはよく知っている”羽衣”をやりますよー」「ちょっとゆっくりな動きで退屈かもしれないけれど、衣裳がキレイだから楽しんでくださいねー」。住民さんにはこう言って興味を持って頂くようにはしていますが、じつは『羽衣』を上演することで、初めてお目にかかる、震災によって痛手を受けた住民さんに「幸せになってくださいね」と祈りを込めております。言うなれば「七宝充満。。」の、あの型をやるためだけにこの曲を選んでいるのです。神様と人間との橋渡しをする。。ぬえはそんな大それたことができるような高潔な生活をしているわけではないのですが、赤面しながらも能楽に携わるようになった以上、その本来の使命を果たすべきだと思います。
じつは初めて避難所で上演したのは『羽衣』ではなく『石橋』だったのですが、それについてはもう少し深い意味合いがあります。これは改めてお話したいと思います。
丹後地方の羽衣伝説
滋賀県・余呉町の羽衣伝説
鹿児島県・喜界島の羽衣伝説
沖縄県・宜野湾市の羽衣伝説
もちろん ぬえが所持している面装束を使い、すでに師匠の稽古を受けて能楽堂で上演した経験がある曲から選ばざるを得ないので曲目は限られるのですが、それでもたとえば、初めて訪れる地域では必ず『羽衣』を上演することにしています。
地上界に降り立って水浴びをする天女の羽衣を見つけた漁師はそれを隠しますが、嘆き悲しむ天女の姿に心動かされた漁師は「天人の舞」を見せることを条件に羽衣を返し、天女は三保の松原の風景を愛でながら舞い上がり、やがて天上に姿を消す。。誰でも知っているこのストーリーは、じつは日本中にある「羽衣伝説」(や世界中にある類例の「白鳥処女伝説」)の中では異色です。
日本各地の「羽衣伝説」にはかなりろいろな種類があって大変面白いのですが、そのほぼすべてで天女は羽衣を返してもらえず、漁師の妻になったり、羽衣を拾った老夫婦の養女となったりします。それでも天女は漁師の子を産んで円満な家庭を築いたり、酒を造るのが上手くて老夫婦の家を栄えさせたりするのですが、最後は天女は隠されていた羽衣を見つけ出すと夫や子供を残して天上に去る、というのが典型的なストーリーだと思います。
ちなみに老夫婦の養女となった天女は最後まで羽衣を返してもらえず、あげくに家から追い出されて地上に定住してしまいますが、そのときに天女が嘆いて詠んだ歌が「天の原 ふりさけ見れば。。」と能『羽衣』に引用されています。これは「羽衣伝説」の中では最も古いものの一つと考えられいる『丹後国風土記』の中に出てくる話ですが、能『羽衣』の舞台である三保の松原の「羽衣伝説」については散逸した『駿河国風土記』に載っているようで、わずかに江戸期に他書に引用されて知られる程度。それによれば漁師の妻となった天女は経緯はわからないながら羽衣を見つけ出して天上し、漁師もそのあとを追って仙人になったようです(えっ!)
さてこういうわけで能『羽衣』の「天人の舞を見せる」という展開はおそらく作者の発想による創作なのではないかと思われるのですが、そうであるならば、この能が初演された当時これを見た観客は現代人には想像がつかないくらい驚いたことでしょう。え! 返しちゃうの? しかしその後美しい長絹をまとったシテが優雅に舞う姿を見せることで、ストーリー展開に違和感を覚えた観客もいつしか満足もできたでしょう。それだからこそ現在では天人の舞を見せるのが「羽衣伝説」の典型のストーリーだと誤解されているほどに能『羽衣』は受け入れられたのだと思います。

が、まだ内弟子時代の ぬえはここであることに気づきました。
天女は漁師に舞を見せる約束をしたのに、いざ舞い始めると(他の能の曲と同様に)シテはワキではなく見所に向かって演技をしますし、ワキの漁師は目立たぬように着座します。ワキはこの場面からは舞を傍観する立場からシテの舞の邪魔にならぬように演技を控えるのだし、シテはワキに舞を見せる心で客席に向かって演技をすると考えればこれも当然なのですが、どうもそれだけではないと ぬえは思います。
それが端的に現れるのはキリの「七宝充満の宝を降らし、国土にこれを施し給ふ」という部分で、シテは客席に向かって進みながら扇を持った右手(あるいは両手)を上げて、大きく二度あおぐ型をするのです。いかにも天上界から宝物をバラバラっと降り下らせることを直観させる印象的な型です。この場合降り注がれる宝物は金品や財宝ではなく、「幸せ」でしょう。
シテがワキ個人の要求に応える範囲を完全に逸脱して「国土に」幸せを降り注ぐ型をする事実を考えるとき、この能の作者がなぜ本来の「羽衣伝説」のストーリーを変えて「天人の舞」を挿入したのかがわかるような気がします。おそらく作者は、能を楽しむ観客の心に、知らず知らずに「幸せ」をもたらすことを祈ったのでしょう。
演技の対象となるべき相手(この場合ワキ)ではなく演技を客席に向かって行うことは演劇としてよくあることではありますが、能では『高砂』などの脇能などを見れば、シテはワキを相手としていても、むしろそれを代表としつつも人類全体への祝福を意図しているのは明らかなので、『羽衣』の作者もその手法に沿って原作のストーリーを大胆に書き換えた、と考えられると思います。
観客の心に知らず知らずのうちに「幸せ」をもたらすのが作者の意図。。これに気づいた ぬえは能が単なる演劇にとどまらない奥深さを持っていることに驚嘆したものです。結婚式で『高砂』の待謡を謡う意味もこれで氷解し(別なところで ぬえの解釈を述べていますのでここでは詳述しませんが)、能役者の仕事というものが本来的に持っている使命や責任というものも考えさせられたのでした。
そういうわけで震災を受けて慰問ボランティアという支援方法があると知った ぬえは、能楽師が立ち上がるのは今しかない、と考えて、また仮設住宅などにご紹介を頂いて初めて訪れるときには必ず『羽衣』を上演することにしているのです。
住民さんには「今日はみなさんもストーリーはよく知っている”羽衣”をやりますよー」「ちょっとゆっくりな動きで退屈かもしれないけれど、衣裳がキレイだから楽しんでくださいねー」。住民さんにはこう言って興味を持って頂くようにはしていますが、じつは『羽衣』を上演することで、初めてお目にかかる、震災によって痛手を受けた住民さんに「幸せになってくださいね」と祈りを込めております。言うなれば「七宝充満。。」の、あの型をやるためだけにこの曲を選んでいるのです。神様と人間との橋渡しをする。。ぬえはそんな大それたことができるような高潔な生活をしているわけではないのですが、赤面しながらも能楽に携わるようになった以上、その本来の使命を果たすべきだと思います。
じつは初めて避難所で上演したのは『羽衣』ではなく『石橋』だったのですが、それについてはもう少し深い意味合いがあります。これは改めてお話したいと思います。
丹後地方の羽衣伝説
滋賀県・余呉町の羽衣伝説
鹿児島県・喜界島の羽衣伝説
沖縄県・宜野湾市の羽衣伝説