ちょっと時間が経ってしまいまいましたが、その後の報告です。
初めての大槌町での活動は町内・安渡(あんど)地区の公民館で行われました。
新しく、モダンな公民館でしたが、じつは安渡地区はもともと海に近い場所にあって、震災時も被害が大きかったようで、公民館も津波の被害を受け、この建物も震災後に再建されたものだそうです。
上演曲は「羽衣」で、初めて活動する場所では必ずこの曲を上演することにしております。
終演後は恒例の体験会も行い、楽しい催しとなりました。
(撮影:新宮夕海氏)
終了後に宮城県・気仙沼市に移動。
今回は旧知の住民さんの「ゆかぽん」家に泊めて頂きました。
高台に建つ住居の裏には広い旧家があって、ここに泊めて頂いたのですが、震災当時はこの家が臨時の避難所になり、その状態が長期化するにつれて「みなし仮設」(賃貸アパートなど自治体が建設する仮設住宅ではないが、被災者が生活する場所として認定された施設)となっていたとのこと。
気仙沼での活動は久しぶりですが、なんとこの日、ゆかぽんが呼び掛けてくれて、これまでにプロジェクトの活動に支援頂いたみなさんが集まってくださり、お庭でバーベキュー大会になりました!
仙台でお勤めしている ゆかぽんの長女と、盛岡で大学生活を送る長男もお盆で帰省して、なんとも賑やかなパーティーになりました。二人ともプロジェクトの能楽体験に参加したことがありますが、当時はたしか小中学生。。もうあれから7年も経ったのだもんね。
。。が、話題はやはりいつの間にか震災のことに。
分けてもこの夜、集まった方のうちのお一人から、震災関連死についての重い重い体験談を伺う事になりました。
詳しくここに内容を書くことはできませんが、震災の犠牲になった両親の跡を追ってしまった少年の話。。あまりにも重く、悲しい。生き残った命を「死なせてしまうのは もう見たくない」と、この話者さんは締めくくりました。
。。
じつは ぬえは震災の体験談というものを ほとんど聞いた事がありません。
実際に被災地の瓦礫や倒壊した建物を見には行くんだけれど、その惨状を見て決意を新たにして避難所や仮設住宅に向かいます。
しかしプロジェクトの活動は被災した住民さんに楽しんで頂くことを目的としているので、そこで被災体験を伺うことはありません。宿泊したときなど、住民さんと膝をつめてふれ合う場面で断片的な体験談を伺うことが何度かありましたが。。
それだけに、この夜に聞いた少年の死の話はショッキングでもあり、7年経っても 当事者にしかわからない重い心の傷を、この街は抱え続けているのを実感しました。
震災の記憶の風化がかつて言われ、今はそれさえ話題に上らなくなった昨今ですが、伝えてゆくべき事もまた、あるのだと思います。
初めての大槌町での活動は町内・安渡(あんど)地区の公民館で行われました。
新しく、モダンな公民館でしたが、じつは安渡地区はもともと海に近い場所にあって、震災時も被害が大きかったようで、公民館も津波の被害を受け、この建物も震災後に再建されたものだそうです。
上演曲は「羽衣」で、初めて活動する場所では必ずこの曲を上演することにしております。
終演後は恒例の体験会も行い、楽しい催しとなりました。
(撮影:新宮夕海氏)
終了後に宮城県・気仙沼市に移動。
今回は旧知の住民さんの「ゆかぽん」家に泊めて頂きました。
高台に建つ住居の裏には広い旧家があって、ここに泊めて頂いたのですが、震災当時はこの家が臨時の避難所になり、その状態が長期化するにつれて「みなし仮設」(賃貸アパートなど自治体が建設する仮設住宅ではないが、被災者が生活する場所として認定された施設)となっていたとのこと。
気仙沼での活動は久しぶりですが、なんとこの日、ゆかぽんが呼び掛けてくれて、これまでにプロジェクトの活動に支援頂いたみなさんが集まってくださり、お庭でバーベキュー大会になりました!
仙台でお勤めしている ゆかぽんの長女と、盛岡で大学生活を送る長男もお盆で帰省して、なんとも賑やかなパーティーになりました。二人ともプロジェクトの能楽体験に参加したことがありますが、当時はたしか小中学生。。もうあれから7年も経ったのだもんね。
。。が、話題はやはりいつの間にか震災のことに。
分けてもこの夜、集まった方のうちのお一人から、震災関連死についての重い重い体験談を伺う事になりました。
詳しくここに内容を書くことはできませんが、震災の犠牲になった両親の跡を追ってしまった少年の話。。あまりにも重く、悲しい。生き残った命を「死なせてしまうのは もう見たくない」と、この話者さんは締めくくりました。
。。
じつは ぬえは震災の体験談というものを ほとんど聞いた事がありません。
実際に被災地の瓦礫や倒壊した建物を見には行くんだけれど、その惨状を見て決意を新たにして避難所や仮設住宅に向かいます。
しかしプロジェクトの活動は被災した住民さんに楽しんで頂くことを目的としているので、そこで被災体験を伺うことはありません。宿泊したときなど、住民さんと膝をつめてふれ合う場面で断片的な体験談を伺うことが何度かありましたが。。
それだけに、この夜に聞いた少年の死の話はショッキングでもあり、7年経っても 当事者にしかわからない重い心の傷を、この街は抱え続けているのを実感しました。
震災の記憶の風化がかつて言われ、今はそれさえ話題に上らなくなった昨今ですが、伝えてゆくべき事もまた、あるのだと思います。