ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

鵜住居復興スタジアム

2018-08-11 00:18:47 | 能楽の心と癒しプロジェクト
遠野を出ていよいよ最初の活動場所である岩手県・大槌町に到着しました!
 
…とは言っても今夜は大槌町に到着しただけで、本格的な上演活動はあさってから始まります。今日は同地の受け入れ協力者さんにご挨拶し、おいしいお食事をご馳走頂きました!
 
さて大槌町に向かう途中にも、いくつか震災以来見守り続けてきた遺構のその後を見てきたのですが、今回ぜひともご紹介したいのが釜石市の鵜住居(うのすまい)地区に完成なった「鵜住居復興スタジアム」です。
 
釜石市の中心部からは少し北上した場所にある鵜住居地区ですが、ぬえらプロジェクトは何度か被災旅館での活動を行いました。はじめて当地を訪れたのは震災の年の年末。この時は宮城県と比べて、岩手県の復興は半年遅れているな。。と感じたものですが。
 
ところがその後、ぬえが見てきた限りでは岩手県の復興は どんどんと進められました。防潮堤問題ひとつとっても、岩手県では「作るべきところには作る。不要と住民さんが決断したところは建設を諦めて潔く撤退する」というように、ぬえの素人目ながら、ブレない基準をもって貫き通して、震災から7年目の、それにふさわしい復興が進められてきたのだ、という実感が感じられます。
 
さてこの鵜住居復興スタジアムですが、2~3年前にはじめてこの計画を聞いた ぬえはビックリ仰天でした。なんせ。。実際に津波が襲って被災した小中学校の建物を取り壊した、その跡地にスタジアムを建設し、東京オリンピックの前年。。つまり来年に日本で行われるラグビーのワールドカップの試合会場に誘致しよう、というのですから。
 
そして。。その後この計画は実現し、つい先日、テレビのニュース番組でスタジアムの完成が報道されました。
 
まさか、の展開。ぬえもこの機会にスタジアムを見に行ってみました。
 
ふうむ、すごいなあ。
正直言って、東京のスタジアムのような壮麗はないのだけれど、あの学校跡地がこうなるとは。。
 
そのスタジアムが震災当時どうなっていたのか。
ここで ぬえが2011年の終わりに撮影した画像をお見せしましょう。
 

 

 


「○」「スミ」は生存者の捜索作業がすでに完了した場所であることを、後続の捜索隊に知らせるために書かれたサインです。

。。これほどひどい状況だったのが、いま外国人のサポーターをゲストとしてお迎えしてワールドカップを開催する施設に変貌を遂げる日が来るとは。。
 
ちなみに、そのとき被災した「鵜住居小学校」「釜石東中学校」ですが、震災当時は日頃の避難訓練が効を奏して いち早く避難して、1名の犠牲者も出さなかったそうで、「釜石の奇跡」などといわれました。


それがこれほどに震災後に復興を遂げるなんて。
素晴らしいことです。


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