東京での公演、ついで新潟、伊豆、茨城と、なんだかあちこち忙しくしておりました。
今日は国立能楽堂で師匠の生徒さんの発表会の申合。その後、図書室で調べものをしておりました…と言っても今日は休館日だったようで、ちょっと無理を言ってほんの少しだけ資料を見せて頂きました。見ると職員さんは新しい企画展示のためのチラシやポスターの郵送の作業に忙しくしておられて、ぬえも資料を見せて頂いてから、お礼の意味もこめてその作業にちょっとだけお手伝いさせて頂きました。
ところで、このとき ふと手にとった能楽雑誌『能楽ジャーナル』の巻末に、編集者の堀上謙さんが編集後記を書いておられて、その内容を見てびっくり。
「震災で能楽師は何の活動をしただろうか。被災者の心の癒しになる慰問公演こそ、今求められているのではあるまいか。謡を聞かせるのは難しいとしても、能の一部分だけでも見せられないだろうか。たとえば『石橋』の舞だけを演じるとか、『土蜘蛛』の蜘蛛の巣を投げるところを見せるとか…」…と、だいたい大意はこのようなことだったと思いますが、げ。これ、ついぞ ぬえがやった事そのものではありませぬか…。ををっと~! と思って発行日を見ると…7月でした。…う~む、ぬえが今回の石巻訪問の演目を決めたよりもずっと以前だ…。
すんませ~ん、ぬえ、『能楽ジャーナル』は購読しておりませんで、この記事を読んでアイデアを頂いたワケではありません~。出発の直前に参加能楽師と相談している中で思いついたのどす~ (・_・、) 勘弁どす~
ところで今日、ぬえが被災地に行った話題が出たのですが、その時の話の中で、そもそも ぬえがどうして東北に思いを寄せるか、という、原点に立ち戻る話になって、それは少し以前に師匠の学校公演のお手伝いで、石巻の小学校にも気仙沼の中学校にも行ったから。これはこのブログでもご紹介した通りなのですが。
折りもおり、日本の首相がまたしても交代する、という話題で持ちきりの時期ですから、おのずと学校公演の話も政治がらみの展開を見せました。
考えてみれば、ぬえたちの学校公演は文化庁の事業によって派遣されたものでした。その名も「本物の舞台芸術体験事業」。これは ぬえが思うに画期的な事業で、こういう、国のレベルでの派遣がなければ、公演としては採算が合わないため とても行かないであろう山間の集落の小さな学校なども廻ったのです。もう来年は廃校が決まった、という学校にも行きましたし、いくつもの学校が統合されて一つの学校になり、それでも生徒が20名…という所にも行きました。公演会場となった体育館の窓を開けたら、数メートル先の山肌に猿が歩いているのを発見したりもしました。いうなれば海外公演よりも遠い場所が、日本の国内にあったのです。採算を考えていたら、日本の文化を再認識して頂く活動を続けることは到底無理で、こういう国の施策があって初めて伝えられた事も大きい。そうして子どもたちの反応や感想も、ちょっと驚くようなものもずいぶん体験したんですよ。これは能楽師として嬉しいかぎりでした。
…ところがこの事業、一時は廃止に追い込まれるところだったのです。あのレンホーさんが事業の実名入りで「無駄」と決めつけて…「本物でなければいけないんですかっ? ニセモノではまずいんですか?」…と言ったかどうかはわかりませんが、(^◇^;) ともあれ一時は仕分けされそうになりまして。能楽に限らず、芸術家はかなり大規模な署名活動なども繰り広げました。結果、内容は多少修正されたのかもしれませんが、文化庁の派遣事業は存続となりました。
政治の話はともかく、ぬえも、あのときの子どもたちの笑顔が忘れられずに、それだからこそ震災のあとずっと心にトゲが刺さってしまったんです。このたび2度に渡って被災地を廻って、少しばかりのお手伝いをさせて頂きましたのも、そんな心のキズを埋める…いうなれば自分のためであったかもしれないと白状しなければなりません。
でも、被災地の現状を見るにつけ、また避難所の住人さんと仲良くなって話をするにつけ、かえってトゲは深く刺さってしまったようにも感じます… また来月、被災地を訪問する計画を立てつつある ぬえですが、一方で岩手県では避難所がすべて解消された、とのニュースが。ぬえたちが先日訪れた石巻の湊小学校の住人さんもすでに100人を切ったそうです。仮設住宅という、避難所よりもずっと規模の小さい、個人の生活が営まれる場に新しい展開をとげて、またそこでは居住者の孤独という問題も指摘されつつあります。そこで ぬえたちがどうやって、何ができるのか。模索は続きます。
今日は国立能楽堂で師匠の生徒さんの発表会の申合。その後、図書室で調べものをしておりました…と言っても今日は休館日だったようで、ちょっと無理を言ってほんの少しだけ資料を見せて頂きました。見ると職員さんは新しい企画展示のためのチラシやポスターの郵送の作業に忙しくしておられて、ぬえも資料を見せて頂いてから、お礼の意味もこめてその作業にちょっとだけお手伝いさせて頂きました。
ところで、このとき ふと手にとった能楽雑誌『能楽ジャーナル』の巻末に、編集者の堀上謙さんが編集後記を書いておられて、その内容を見てびっくり。
「震災で能楽師は何の活動をしただろうか。被災者の心の癒しになる慰問公演こそ、今求められているのではあるまいか。謡を聞かせるのは難しいとしても、能の一部分だけでも見せられないだろうか。たとえば『石橋』の舞だけを演じるとか、『土蜘蛛』の蜘蛛の巣を投げるところを見せるとか…」…と、だいたい大意はこのようなことだったと思いますが、げ。これ、ついぞ ぬえがやった事そのものではありませぬか…。ををっと~! と思って発行日を見ると…7月でした。…う~む、ぬえが今回の石巻訪問の演目を決めたよりもずっと以前だ…。
すんませ~ん、ぬえ、『能楽ジャーナル』は購読しておりませんで、この記事を読んでアイデアを頂いたワケではありません~。出発の直前に参加能楽師と相談している中で思いついたのどす~ (・_・、) 勘弁どす~
ところで今日、ぬえが被災地に行った話題が出たのですが、その時の話の中で、そもそも ぬえがどうして東北に思いを寄せるか、という、原点に立ち戻る話になって、それは少し以前に師匠の学校公演のお手伝いで、石巻の小学校にも気仙沼の中学校にも行ったから。これはこのブログでもご紹介した通りなのですが。
折りもおり、日本の首相がまたしても交代する、という話題で持ちきりの時期ですから、おのずと学校公演の話も政治がらみの展開を見せました。
考えてみれば、ぬえたちの学校公演は文化庁の事業によって派遣されたものでした。その名も「本物の舞台芸術体験事業」。これは ぬえが思うに画期的な事業で、こういう、国のレベルでの派遣がなければ、公演としては採算が合わないため とても行かないであろう山間の集落の小さな学校なども廻ったのです。もう来年は廃校が決まった、という学校にも行きましたし、いくつもの学校が統合されて一つの学校になり、それでも生徒が20名…という所にも行きました。公演会場となった体育館の窓を開けたら、数メートル先の山肌に猿が歩いているのを発見したりもしました。いうなれば海外公演よりも遠い場所が、日本の国内にあったのです。採算を考えていたら、日本の文化を再認識して頂く活動を続けることは到底無理で、こういう国の施策があって初めて伝えられた事も大きい。そうして子どもたちの反応や感想も、ちょっと驚くようなものもずいぶん体験したんですよ。これは能楽師として嬉しいかぎりでした。
…ところがこの事業、一時は廃止に追い込まれるところだったのです。あのレンホーさんが事業の実名入りで「無駄」と決めつけて…「本物でなければいけないんですかっ? ニセモノではまずいんですか?」…と言ったかどうかはわかりませんが、(^◇^;) ともあれ一時は仕分けされそうになりまして。能楽に限らず、芸術家はかなり大規模な署名活動なども繰り広げました。結果、内容は多少修正されたのかもしれませんが、文化庁の派遣事業は存続となりました。
政治の話はともかく、ぬえも、あのときの子どもたちの笑顔が忘れられずに、それだからこそ震災のあとずっと心にトゲが刺さってしまったんです。このたび2度に渡って被災地を廻って、少しばかりのお手伝いをさせて頂きましたのも、そんな心のキズを埋める…いうなれば自分のためであったかもしれないと白状しなければなりません。
でも、被災地の現状を見るにつけ、また避難所の住人さんと仲良くなって話をするにつけ、かえってトゲは深く刺さってしまったようにも感じます… また来月、被災地を訪問する計画を立てつつある ぬえですが、一方で岩手県では避難所がすべて解消された、とのニュースが。ぬえたちが先日訪れた石巻の湊小学校の住人さんもすでに100人を切ったそうです。仮設住宅という、避難所よりもずっと規模の小さい、個人の生活が営まれる場に新しい展開をとげて、またそこでは居住者の孤独という問題も指摘されつつあります。そこで ぬえたちがどうやって、何ができるのか。模索は続きます。
私の語彙力では思っている事をうまくお伝えできるか不安ですが…。
最初私は、お能に興味をもったことをきっかけに、このぬえさんのブログにたどり着きました。
しかし、お能の事はもちろんですが、今はこのブログから感じられるぬえさんのお人柄にひかれ、尊敬し、更新を楽しみにしています。
素直に心の内を語られる(と、勝手に私は思ってます)文章からは、お会いしたことがないにもかかわらず、真剣な眼差し、ぬくもりのある笑顔を感じられます。
きっと、ぬえさんたちにお会いした被災地の皆さんも、心からそう感じていらっしゃると思います。
うまく言えないのですが、たとえその行動の始まりが自分のためであった(のかも・・)としても、決して自分のためだけ、という結果で終わることはないと思います。
今自分にできることは何かと真剣に考え、そして真摯に取り組んでいらっしゃるぬえさんは本当に素敵です。
(うまく言葉にできなくてちょっと悔しいです・・・・。)
いやいやいやいや
それは ちと買いかぶり過ぎですじゃ~(゜_゜;)
ホント、トゲを抜くために最初は行ったのに…
明友館の千葉さんからも最初の訪問のあとに
「少しだけ心のトゲが抜けたかも…」とお礼のメールを出したら、
「少しでもお力になれたようで安心致しました」と返信が。
『被災者に慰められてどうする』(хх,)
でもやっぱりトゲが抜けない ぬえは悲しひ。
さて水無月李雨さんは関東近辺にお住まいですか?
そうなら一度、伊豆の子ども能を見に来てくださいましな~。
ぬえの本物はそこにこそ居るのです!
今年は9/11、10/9、11/3、来年の2/18に公演があります。
個人的には講師演目もある11月がオススメかなあ。